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49. ヤンの思惑

 同じ山脈でも季節が変われば表情も大きく変わる。本格的な夏を迎えた頃、私は再びウルサ山脈の横断を経験していた。ただ、秘密通路とされていた割に、ラインホルト渓谷は拍子抜けするほど起伏が少ない。当然吹雪に見舞われるということもなく、わずか数日でアタカマに到着した。

 きっかけは一か月ほど別行動だったコリンとシーラの活動に遡る。治安部伝いにウタラトスの情報を流した結果、ルッツとの交渉に成功し、ヤンと接触する機会を手に入れたのだ。指定された場所はヘントから馬で数日の距離にあるトナルヴァという村で、理由は指導部の拠点に近いからだった。

 ヤンとの最終的な合意形成は私が担う。ラテノンの暴走を止める上で協力は必要不可欠だが、カタリナが不安視したように根拠のない信用には危険が伴う。今やウタラトスは重要な取引材料で、ヤンの考えを再確認しなければ引き渡すことはできない。焦点はヤンが誰の意思を引き継いでいるのかだった。

 トナルヴァへは私とカタリナだけが向かい、その他は近くの渓谷に待機する。本当はもっと離れた場所で待たせるべきだったが、仮に交渉が上手くいった場合は速やかにクーデターに移行しなければならない。戦争が迫る中、時間の節約を優先させていた。

 指定された場所はトナルヴァの共同墓地だった。カタリナを隣接する森に潜ませて、私一人で待っていたところヤンも一人で現れた。

 「やはり一人で来たか。君ほどの魔法師だ。仲間をぞろぞろと引き連れて来るとは思っていなかった」

 「あなたも一人で良かったの。追われる身なのに護衛がいない」

 「なけなしの戦力なんだ。君と敵対すれば全て殺される。その点、私の代わりは他にもいる」

 「やけに自信ありげね」

 「分かり合えると確信している。指導部はまだ気付いてない。これが最後の機会だ」

 ヤンは変わらず穏やかな口調をしている。瞳に隠れた小さな嘘もあの日と変わらないままだった。それが破滅的な未来と繋がっていないか、私は見極めようとする。しかし、ヤンは時間を与えてくれない。

 「ウタラトスはどうした。もう保護したのか、それとも何か有力な情報を持ってきたのか」

 「分かっているんでしょう」

 「まあな。トナルヴァまでの旅は大変だったろう。仮にウタラトスの情報を持っていたとしても、ここに来るまでに鮮度が落ちる。君たちと合意できた時点で容易に想像できた」

 「さすがね」

 「へニアのことも聞いた。ラテノンとひと悶着あったことも知っている。彼らと一緒なんだろう」

 ヤンは一体どこまで把握しているのか。ウタラトスの身柄を握るこちらの方が有利に交渉を進められるはずだが、手のひらで踊らされている感覚になる。ヤンは腰かけていた石積みの墓から立ち上がった。

 「ところでエレナ、ここがどういう場所か知っているか」

 「この墓地?」

 「そうだ。ここにはアタパカに命を捧げた大偉人が眠っている。私が深く敬愛し、温かい手の感触は今も覚えている。しかし、彼はアタパカの未来と共に永い眠りについてしまった」

 唐突にこの場所の説明を始めたヤンが悲しげな表情を私に見せる。何か雰囲気がおかしい。そう直感してもヤンの話を遮ることができない。シンタマニに触れることも許されない緊張感に冷や汗が流れた。

 「ラインホルトは希望を抱いて死んだ。そうして私たちは地獄に繋がる一本道を進むことになった」

 「私たちには代わりの希望があるはずだったけど?」

 ようやくシンタマニを握る。その時にはもう遅かった。ヤンの背後から巨大なルサルカの塊が姿を現す。咄嗟に弾くも、敵の正体を知って恐怖が現実のものとなる。間髪入れず、多数の魔法師による一斉攻撃が始まった。

 受けきれないと判断した私は墓石に身を隠しながら後退し、カタリナが潜んでいる森を目指す。ヤンはウタラトスが近くにいると察していた。その場所を知られるわけにはいかず、二人で対応しなければならない。

 「殺すのは居場所を吐かせてからだ!」

 「ほざけ。相手は帝国の英雄だぞ」

 戦闘に巻き込まれまいと墓地から脱出したヤンが叫ぶ。しかし、グスタフは攻撃の手を緩めない。私は集めたルサルカの全てを防御に充てて、なんとか森の中に転がり込んだ。遮蔽物が増えると背後からのルサルカは減少する。ここにカタリナの魔法が加勢した。

 「エレナさん、こちらへ」

 「二人じゃどうにもならない。ここから逃げる」

 「はい」

 木に登っていたカタリナが宙を舞いながら魔法を撃ち込む。グスタフの魔法は正確で、目視できない場所からでも的確に私の命を奪いにくる。その対処だけで呼吸が早まった。

 「まさかグスタフと繋がっていたなんて」

 「もう少しペースを上げられますか?」

 「ええ」

 後ろを振り返ると追手の姿が見えた。しかし、体力の問題でこれ以上速くは走れない。逃げきれないのなら、グスタフとの正面対決に挑むしかない。そう思った矢先、別の魔法が介入してくる。

 「苦戦してるみたいだな」

 「クラウスさん!どうしてここに?」

 厳しい表情だったカタリナが、声を上擦らせて笑顔になる。どこからともなく現れたクラウスはカタリナの横に並び、対処すべき魔法の一部を負担してくれた。

 「グスタフ様がライネを発ったと聞いて動きを探ってた。てっきり俺たちの処罰に出てきたと思っていたが」

 クラウスが力任せの反撃を行うと、敵に数人の死者が出る。それをもって攻撃が止んだ。

 「クラウス、カタリナ、この野郎!よくも高貴なるヴィルゴ家から裏切り者を出してくれたな。エレナ!あの川からどうやって這い上がったんだ。その小細工を教えやがれ、この野郎」

 魔法で増幅されたグスタフの声が響く。私は今のうちに息を整えた。

 「投降しろ。さもなくば惨い死を味わわせてやる」

 「クラウスさん」

 「心配するな。向こうにはあいつしかいない。他の魔法師は穴埋めで王家魔法師になった奴ばかりだ。エレナ、逃げるのか戦うのかどっちだ」

 「逃げる」

 「させるか」

 私が答えた直後、ルサルカの揺れと共にグスタフが眼前に現れる。クラウスが咄嗟に前に出て、物理的に衝突した。

 「俺が抑える!走れ!」

 クラウスの魔法はことごとくあしらわれ、ただちに攻守が逆転する。このままではクラウスが殺される。そう悟った私が援護射撃を行ったことで、クラウスは距離を取ることに成功する。ただ、グスタフの狙いが私とカタリナに変わった。

 「カタリナ邪魔!」

 鬼の形相のグスタフに恐怖し、カタリナは動揺を隠しきれなくなる。私はそんなカタリナを押しのけてシンタマニを回した。グスタフも私の魔法には警戒する。しかし、それも一瞬のことで、グスタフは私の呪いに手を触れる。途端に体力が奪われていき、血の巡りが悪くなった。

 「エレナさん!」

 膝をついた私にグスタフの殺意が襲い掛かる。咄嗟に守ってくれたのはカタリナだった。身を投げうって私にとびかかり、背中にグスタフの魔法を浴びる。その瞬間、カタリナの顔に血管が浮かび上がり、歯を食いしばった口から血が噴き出した。カタリナは小さく呟く。

 「これ、使って」

 カタリナの最後の魔法はルサルカの収集だった。集められた膨大なルサルカは形を作ることなくその場に漂い、私はその意味を理解する。グスタフより早く命と等価なルサルカに干渉すると、赤の大広間とは桁違いのルサルカをグスタフに浴びせた。

 グスタフも伊達に五大魔法師を名乗っているわけではない。命を刈り取られる前に防御してみせたが、後方に大きく吹き飛ばされる。シンタマニに飾り付けられた幾つもの宝石が粉々に弾け飛ぶ。クラウスはこの好機を逃さない。さらに背後からはへニアまで助力に現れた。

 グスタフは一目散に撤退していく。引き時ををわきまえているからこそ、あの年まで第一線で戦っていられるのだ。クラウスは追跡しようとする。私はそれを呼び止めた。

 「カタリナの状態が良くない」

 抱きかかえていたカタリナを地面に寝かせる。へニアは何も言わずに見張りを引き受けてくれる。駆け寄ってきたクラウスはカタリナに声を掛けた。

 「カタリナ、大丈夫か」

 「クラウスさん、すみません」

 「脈が弱まってる。心臓に魔法が」

 「すぐ楽にしてやるからな」

 クラウスがシンタマニを握る。しかし、結果は分かりきっていた。カタリナが身に受けた魔法は私の呪いと同じ言語で構成されている。成す術がなかった。

 「苦しいか」

 「クラウスさん」

 徐々にカタリナの声が弱まっていく。ゆっくりと心臓が止められようとしている。クラウスは自らの魔法でカタリナの心臓を握り、強引に動かそうとする。カタリナは苦悶の表情を浮かべて涙をこぼした。

 「もういいんです」

 「魔法師は簡単に諦めない。教えたはずだ」

 「クラウスさん、苦しい」

 カタリナの悲痛にとうとうクラウスは動きを止める。私はカタリナの手を握って勇気づけるが、生気が失われていることを肌で感じた。声を出すのも辛いだろう。カタリナの蚊の鳴くような声を聞くためにクラウスが耳を近づける。

 「クラウスさん。私は、正しい魔法師だった、でしょうか」

 「なんだ」

 「故郷の皆に、胸を張れますか」

 「当たり前だ。俺が保証する」

 クラウスが断言してみせるとカタリナが安堵の表情を浮かべる。そして目を閉じた。

 「ああ、お父様、お母様、どうかお許しください」

 握っていた手から力が抜ける。そこにはもう、魔法に正しさを求めた熱い心はない。かつて魔法師だっただけのどこにでもあるような死体が横たわっているだけだった。

 また一人、自らの正しさを貫いた者が死んだ。ベルトに下げた二つのシリヴァスタが重なり合ってカタリナに寄り添う。土で汚れていびつな形になっていても、今はそっとしておくしかなかった。

 クラウスはカタリナと向かい合ったまま黙り込んでいた。しかし、すぐに魔法師の顔に戻ると、両手でカタリナの涙を拭きとって立ち上がる。まだ安全が確保されたわけではない。クラウスは見張りをへニアと交代した。

 「カタリナに肩を貸してやってくれ。俺が後衛を担う」

 いつもと変わらない声でそう伝え、自らはシンタマニを握る。カタリナが庇ってくれなければ殺されていたのは私だった。それが正しい結末だったのかもしれない。カタリナは復讐を望まないだろう。しかし、力を濫用する魔法師を止めたいという願いが、グスタフを殺す理由と重なって私に流れ込んでくる。私はカタリナのために祈りを捧げ、心の中で約束を交わした。

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