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47. ウタラトス

 事態が切迫したのはグルズまであと一日という距離に差し迫った時だった。偶然、グルズを発ったばかりのラテノン治安部員と出くわし、彼らから不可思議な人員輸送の情報が伝えられた。主体は軍部の兵士ということで、具体的な説明なしに雪山遠征に必要な物資を求められたのだという。その集団がグルズを発ったのも昨日。私とへニアが色めき立つ中、コリンはその一行がラインホルト渓谷に向かったのではないかと推測していた。

 「ラインホルト渓谷って何?」

 「ウルサ山脈に通る秘密の横断ルートだ」

 へニアに問いかけると、いつにもなく気色ばんだ声が返ってくる。他の皆も、ようやくルルたちの尻尾を掴んだと思っている。要求された物資には女子用衣類も含まれていたという。通常の行軍にそんな物資は必要ない。

 「変な名前ね。ラインホルトが自分で掘って作った?」

 「もちろんそういうわけでは。昔、帝国軍に追われたラインホルト様がその渓谷を抜けてアタカマに脱出しました。それ以来、ラテノンではラインホルト渓谷と呼んで利用しているのです。帝国側が今も把握していないかどうかは分かりませんが」

 「そういった名前は聞いたことがありません。けれど、帝国軍は来る戦争に向けてアタカマとタラパカを繋ぐ新しいルートの探索に積極的でした。既に発見されている可能性は十分にあります」

 「その前に追いつけばいい」

 ステファンたちの奪還に帝国軍の介入があってはいけない。渓谷となれば逃げ場は少なく、包囲されると最悪全滅という結果もあり得る。それを分かっていてへニアの歩調は速まる。

 とはいえ、アタパカに展開する帝国の魔法師戦力はかつてないほど弱り切っている。クラウスとカタリナが抜けてまだ間もなく、ライネが追加派遣を決定していたとしても間に合わない。グスタフもしびれを切らしてライネに戻ったといい、こちらから仕掛ければ必ず勝てるというのが私の見立てだった。

 へニアの要望で、この日は夜通し追跡に徹することになった。これまでそんな無謀を認めてこなかった私も、今晩追いつけるかもしれないと期待して賛成する。へニアの頭にある地図に賭けたという側面もあった。

 そんな取り組みが結実し、痕跡を発見したのは日が昇ったばかりの早朝だった。シエナ山脈の分岐点まで西進した後、鬱蒼とした麓の森を歩いていた私たちは近傍で覚えのある魔法に息を飲む。

 「ルルだ」

 「どこにいる?」

 全員から睡魔が吹き飛び、それぞれ馬から降りて身を屈める。木々の隙間からは遠くを見通せず、目が届く範囲に不審な影は見当たらない。感じた魔法は何かを修理するためのもので、ルサルカの出力もそこまで大きくなかった。それでもはっきりと感じられたため、距離は近い。

 「殺そう」

 「待って。二人を見つけるのが先」

 へニアを思いとどまらせ、私はもう一度森の中に目を這わせる。風はほとんど吹いておらず、葉を蓄えた木々も静かで、まるで世界が静止したようだ。辛抱強く観察を続けていたところ、少し先で何かが太陽の光を反射して輝く。私は即座に尻もちをついて背の低い植物に体を隠した。

 「双眼鏡で覗かれてる。気づかれたかも」

 「なら戦うしかない」

 「囮だったらどうする?そうやって私は奪われた」

 「お前が負けたのは弱かったからだ。私なら全員殺してステファンを助け出せる」

 そう吐き捨てたへニアが一人で動き出す。その腕を掴んだのはカタリナだった。へニアが凍りついた目で威圧するが、カタリナは首を大きく横に振る。

 「一番に考えるべきはお二人の安全です。劣勢を感じれば敵はどんな暴挙に出るか分かりません。二人を殺されては、たとえ敵を全滅させられたとしても私たちの負けではないですか?」

 「その通りよ。カタリナ、どうしたら良いと思う?」

 「散開して包囲しましょう。お二人を見つけたら鈴音で合図し、救出を優先します。今回は恨みつらみを晴らす場ではありません。理解してください」

 カタリナが方針を決めると、へニアが掴まれていた手を力づくで払う。どうやら同調してくれるらしい。へニアが歩み寄ってくれたため、私も協調を優先する。

 わずかな話し合いの末、私は森の北側から先程のルサルカを辿ることになった。カタリナとヘニアは南側へと移動していき、コリンとシーラは離れた場所から監視に当たる。

 木々を縫って進むこと数分、私はすぐ近くで何者かの気配を感じ取った。そこからは全身を湿った地面に投げ出し、匍匐前進でジリジリと近づいていく。前回の失敗を反省して体力は気にしない。顔で落ち葉と雑草をかき分けていくと、シンタマニを握った一人の男が見えた。

 ここにステファンとリディアはいない。そう分かってシンタマニをナイフに持ち替える。そして、呼吸を整えると背後から襲いかかった。手で相手の口を塞ぎ、ナイフを右手首に差し込む。叫び声が塞いだ手から漏れていると分かって、即座に男の首を締めた。

 「黙れ」

 格闘は不得意だが、両足を相手に絡みつかせて腕に力をかけ続ける。髪の毛を引っ張られ、顔を引っかかれても力を緩めない。ただ、シリヴァスタをつけた手で人を殺すつもりはなかった。

 「ステファンとリディアはどこだ」

 脳に回る血流を抑制すれば人の動きは鈍くなる。敵の抵抗が弱まって一度力を緩めると、もう一度問いかけた。

 「死にたくないなら答えろ」

 「ウタラトスが」

 「ウタラトス?」

 男は何かを言いかけて意識を失う。直後、大規模な魔法の行使があってその場に伏せる。カタリナからの鈴音はそのすぐ後に響き渡った。ここから南に遠くない。私はシンタマニを強く回転させた。

 地面を蹴って樹上に飛び移ると、魔法の力で枝から枝に跳ねる。数人のラテノンの魔法師を追い抜いた先で、シンタマニを大きく振るカタリナを見つけた。敵はルルを含めた魔法師集団で、その後方に長い銀髪を見つける。その腕は慌てふためく魔法師に引っ張られていて、痛がる素振りも無視されている。カタリナが踏み込めないでいるのは、それを気にかけているからだ。私は体中に熱い気持ちが走るのを感じ、意識を一点に集中させた。

 「リディア!」

 高速のルサルカがリディアを掴んでいた男を吹き飛ばす。リディアはその反動で転びそうになったが、私の両手が優しく支える。その瞬間は腕を振って嫌がられた。ただ、私と目が合った途端、顔がくしゃくしゃになって、胸に飛び込んできた。

 「エレナちゃん!」

 「もう大丈夫よ。怪我してない?」

 「うん。来てくれると思ってた」

 リディアに手を這わせて異常がないか調べていると、敵の魔法師に狙われる。リディアを庇いながら応戦し、無力化するとカタリナの背後まで後退する。直後、カタリナはルサルカの出力を跳ね上げた。

 「あとはお願い」

 「分かりました」

 「エレナ・ヘイカ―!俺と戦え!」

 ルルが怒声を上げている。ただ、あの実力ではカタリナにさえかなわないだろう。一瞬で武装解除を迫られたルルは背後の森に逃げていった。カタリナはそれを追跡する。

 「ステファンは?」

 「さっきまで一緒だったの。でもディエゴって魔法師が連れてっちゃった」

 「どこに?」

 「分からない」

 私はリディアと頬を寄せながらステファンの居場所に考えを巡らせる。すると、今の今まで沈黙を貫いていたへニアがとうとう魔法を行使した。ステファンは間違いなくその近くにいる。そう直感した私の体が跳ねると、リディアは抱きしめる力を強くした。

 「離れたくない」

 「私もよ。こっち回って」

 リディアは指示に従い、私に張り付いたまま背中まで移動する。おぶったリディアは以前よりずっと軽い。ラテノンの魔法師どもはしっかりと食事を与えていたのか。そんな怒りに支配されそうになったが、リディアの吐息がすぐに乾いた心を満たしてくれた。

 「しっかり掴まってて」

 「うん」

 リディアの体重分だけ魔法の行使に必要な体力が増す。それでもすぐに、馬鹿げた威力の魔法を繰り出すへニアを見つけられた。ステファンの叫び声も一緒に聞こえてくる。

 「へニア、やめろ!」

 「こいつは悪魔。分かって」

 状況は複雑だった。へニアが対峙していたのは地面に横たわった大男と、それを庇うウタラトス。へニアはステファンに両手を押さえつけられているが、怒りで我を忘れてしまっている。私が近づくと、ステファンを後ろに押しのけてこちらにまでシンタマニを向けてきた。敵と味方の区別さえつかなくなっている。

 「近づくな!」

 「エレナ!良かった、リディアも無事なんだね」

 「ええ。それよりこれは?」

 大男の息はか細い。怒り狂ったへニアを相手にして負けたのだろう。目で見える範囲だけで胸と腹から出血していた。寄り添うウタラトスに怪我はない。身分に似合わず、全身を土と血で汚している。

 「ディエゴ、よりにもよって私の目の前でステファンを殺そうとした馬鹿な男」

 「僕は気にしない」

 「私は許さない」

 「その子を巻き込んじゃ駄目だ」

 へニアとステファンが言い合いする中、ウタラトスが私に叫ぶ。

 「エレナ・ヘイカ―!この魔法師をどうにかしろ。命令だ」

 「私はあなたに仕える魔法師じゃない」

 「父が俺を守るために寄越した。そうだろ」

 「ええ。だからへニアがあなたを殺そうとすれば止める。でもその男は関係ない」

 私はリディアを地面に下ろして手を繋ぐ。今はリディア以上に大切なものはない。へニアもウタラトスには興味がないらしく、この場で不毛な争いを起こす意味がなかった。ただ、何を思ったのか今度はリディアにお願いを始める。

 「リディア、どうか君からも言ってほしい。ディエゴは俺がアタパカに来てからずっと一緒にいた家族なんだ。話しただろう」

 「家族」

 「君はそうして家族と会えた。だったら俺の家族を奪わないよう言うくらいなんてことないはずだ」

 「よく考えろ。その魔法師はステファンだけじゃなくお前のことも苦しめた。そんな奴に情けはいらない」

 ウタラトスとヘニアに挟まれてリディアが苦しそうに声を漏らす。手を握る力が強まって私もそれに応える。リディアに責任を押し付けるなど言語道断だ。何より家族の離別に触れさせたくなかった。

 「へニア、それくらいにして」

 「干渉するな!約束を忘れたか!」

 「約束?」

 ステファンが疑問を抱いてへニアに目配せする。へニアは逃げるように一歩前に出て、代わりにシンタマニを下げた。ステファンに詰められて弱気になるかと思ったが、どうやら覚悟は決まっている。

 「ステファン、来て」

 「ちょっと待って。へニア!」

 へニアはステファンを連れてこの場から離れようとする。私は約束通り止めはしない。リディアからは驚いた顔をされるも、これが協力の条件だった。ステファンはその場に根を張って抵抗する。

 「エレナ、約束って一体。ちょっと、へニアってば」

 「ステファンはへニアに任せる。そう約束した」

 「もうこんな世界なんて捨てて、私と一緒に生きよう。良い場所を知ってる。二人でもささやかに暮らしていける」

 「ちょっと、考えさせて。まずはディエゴを治療しないと」

 混乱する中でもステファンは変わらない。正直なところ、私もこの大男に手を貸したいとは思わない。しかし、ウタラトスを不安そうに見つめるリディアを無視できず、シンタマニを回した。まずは出血を止めなければならない。

 「勝手なことをするな!」

 「私よりステファンの説得を優先した方がいい。早くしないと引き留める人間が増えるだけよ」

 「エレナ、どうしてそんな。僕は」

 「ステファン、私と一緒に来るの!」

 「へニア」

 「こんなこと続けていたらいつか死んじゃうよ。私を一人にしないで」

 二人の言い合いを聞きながら、私はディエゴの治療を続ける。腹部の止血には成功したが、胸部からは血が流れ続けている。このままでは私の体力が尽きる方が早い。そうなる前にカタリナが合流した。

 「何人かには逃げられましたが、おおよそ捕縛しました」

 「死者は?」

 「いません。手首にナイフが刺さった男が唯一の重傷者でした。これは?」

 「手を貸して。血が止まらない」

 私はディエゴの隣をカタリナに譲る。カタリナの魔法は出力が大きく、止血はすぐに完了した。その作業の傍ら、カタリナがステファンを意識する。

 「無事で良かったです」

 「カタリナも来てくれてたんだ。ありがとう」

 「はい。危機だと聞いてすぐに」

 「黙れ!誰もステファンと話すな!私からステファンを奪わないで」

 カタリナの言葉に重ねてへニアが叫ぶ。その声は悲痛を伴っていて、ステファンも気圧されて黙る。背中でステファンを押すへニアは、一歩ずつでも私たちから離れようとしている。あとはステファンが決めることだった。

 「へニア」

 「駄目。私を選んで」

 へニアはなおも訴え続ける。それに対するステファンの回答は言葉ではなかった。その場に膝をつき、へニアを抱き寄せると肩と腰に腕を回す。耳元で口が動いているが、その声は小さくてここまで届かなかった。

 見ていられなくなった私はリディアと向かい合う。やはり少し瘦せてしまっていて、服はヨレヨレ、髪はボサボサになっている。それだけで過酷な生活を強いられていたことが想像できた。頬に手を当てて親指で優しく撫でるとリディアは恥ずかしがる。

 「いつものしていい?」

 「うん」

 その返事だけで嬉しい。汚れは一瞬で取り除けたが、痛んだ髪はどうすることもできない。それでもリディアは満足してくれた。

 「そうだ、渡すものがあるの」

 「渡すもの?」

 私はベルトに吊り下げていた自作のシリヴァスタを取り出す。手に取ったリディアは驚いた顔でこちらを見た。

 「私にこれを渡す資格なんてないのかもしれない。でも、離れ離れの間、リディアにつけてもらうことだけを考えた」

 「嬉しい。ありがとう」

 リディアが早速右腕にはめてくれる。ただ、結果から言えば、私が作ったシリヴァスタはリディアの細い腕には不釣り合いで、すぐに滑り落ちてしまう見てくれの悪い物だった。失敗したと思って私は唇を噛む。

 「ごめんね。リディアみたいに上手く作れなかった。また別のを作る」

 そう言って渡したシリヴァスタに手を伸ばすと、リディアは腕を胸の前に引いて首を振る。その後、私の腕を引くと、二つのシリヴァスタを重ねた。

 「これがいい」

 「でも」

 「手を繋いだら落ちないもん。私、大切にしたい」

 リディアが愛おしそうにシリヴァスタを触る。これで気持ちまでお揃いだ。そう思った私はもう一度リディアを強く抱きしめた。

 「お腹すいたでしょ。コリンとシーラも近くに来てる。一緒にごはん食べよう」

 「うん。でも」

 リディアは横目でステファンを気にする。二人はまだ抱き合ったまま濃密な時間を共有している。その横では、ウタラトスとカタリナがディエゴに包帯を巻いていた。しばらくしてステファンが立ち上がる。へニアは膝をついたまま呆けていた。

 「ごめん。話はまとまった」

 「そう」

 「まずはありがとう。僕らのためにこんなところまで。カタリナも」

 「無事で良かったです」

 「それで、どうすることにしたの?」

 私は淡泊に問いかける。仮に別々の道に進むことになったとしても仕方がない。私がいなくとも、へニアがそばにいればステファンは安全だろう。そうなれば私たちの旅はここで終わりだった。

 「実はさ、連れられてる間にウタラトスと仲良くなったんだ。最初は酷い目に遭ってたけど、ウタラトスと合流してからはリディアが仲介役を務めてくれてさ。ディエゴも悪い人じゃないんだ」

 「ええ」

 「もちろんリディアやエレナも心配してる。リディアが家族って言ってくれて嬉しかったよ」

 リディアに笑いかけたステファンはシリヴァスタを見せる。窮屈にしていたはずが、今では適当な大きさになっている。三人で同じものを身に着けていることに嬉しさを感じたが、話題が逸れていた。

 「つまりどういうこと?」

 「もう少し一緒にいようかなって」

 「気を遣わなくていい。ラッサのお詫びはできてないけど、へニアと行く方が安全」

 私は少し突き放すように言葉を返す。そうしなければ、ステファンは自分の意見を言ってくれない。

 「エレナたちはどうするの?ウタラトス、見つけられたけど」

 「さあね。ヤンと合流してもいいかも」

 「じゃあそれまでは一緒にいるよ」

 「へニアは?」

 「僕が決めていいって。一緒に居られるならそれで」

 何を言われれば、あれだけ強硬だったへニアが心変わりするのか。興味がなかったわけではないが聞きはしない。ただ今は、ステファンと向き合うこともしたくなかった。

 「危ない旅が続くことになる」

 「これまでもそうだった」

 「ステファンにウタラトスは関係ないはず」

 「仲良くなっちゃったからね。それに、帝国との争いが終われば、またラッサで暮らしていけるかもしれない。そんな小さな望みのためであっても努力する価値はあると思うんだ」

 「そう。分かった」

 私はそっけなく返して再びリディアの方を向く。ステファンが思い描く未来に私はいるのだろうか。今はとにかくリディアのそばにいたいが、それ以外の望みがないわけではない。そこまで考えて、私は途端に自分に嫌気が差した。再会さえできればいいと思っていたはずが、どんどんと心が図々しくなっている。今ばかりはへニアを羨ましく感じた。

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