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4. 魔法師の評判

 ラッサは真夏になってもライネのように暑苦しくならない。その一方で、夏の終りになると激しい雷雨に見舞われることがしばしばあり、今日は一日中、ステファンと家の中から嵐を眺めていた。雨が強い分には問題ないが、強風は成長して背を高くしたクバを根こそぎなぎ倒す恐れがある。ステファンは毎年大丈夫だから心配ないと言っているが、毎日世話をしている身としては気が気でなかった。

 「そんなに心配?」

 「別に」

 口では否定してみせるが、無意識に窓にくっついて水滴の隙間から外を見てしまう。ここからでは畑を見渡せない。本当はどんな状況か行って確認したいが、その提案をできずにいるのは素直になれないからだった。ステファンはというと鼻歌交じりにお茶を淹れ、呑気な顔でカップを手渡してくる。

 「クバが他の作物と比べて同じ面積にたくさん植えられるってことは教えたよね。だから強い風が吹いてもお互いがお互いを支えあって耐えられる。それにクバの茎が固いことは身をもって学んだでしょ」

 「ええ」

 以前、めくれあがったクバの皮で指を切ってしまった。太い血管だったためなかなか血が止まらず焦ったことを思い出す。その時はステファンに処置してもらって事なきを得た。

 「だから乾燥させたクバの皮は装飾品の材料に使われることがあってさ。アタパカではクバのブレスレットを家族で交換し合う文化があるんだ。シリヴァスタっていうんだけどね。ニーナがつけてるところ見たことあるんじゃないかな」

 「ええ」

 「支え合って成長するクバと家族の結束を重ねてるんだ」

 「へえ」

 私は素っ気なく返事をしてため息をつく。そうでもしなければ聞いてもない話を延々と聞かされるからだ。効果があったのかステファンは頬杖をついて静かになる。ただ、すぐに口を開いた。

 「だんだんヘレンさんのことが分かってきた気がするよ。僕も最初の頃は心配してた。次の日になったら全部流されてるんじゃないかってね」

 「だから心配してない」

 「そっか」

 ステファンはニヤニヤと笑う。気色悪く感じた私は鼻を鳴らし、味の薄いお茶を飲んでサンドイッチを齧る。正直なところ、こんな感覚は初めてだった。シンタマニならばいざしらず、希少性のない植物に愛着を持つなど優れた魔法師に相応しくない。

 「そういえば、グラインの街でまた暴動があったらしいよ。昨日来てた商人が話してたんだ。軍の駐屯地が襲われたって」

 「ふうん」

 「最近はどこの街でもそんな話ばかり。心配だね」

 「何が?」

 また一人語りが始まり、私はぶっきらぼうに反応する。軍の話を持ちかけられるといつも身構えてしまう。ステファンが帝国軍に所属していたという話を聞いて以来、万が一を考えてしまうからだ。しかし、ステファンはきょとんとした顔をして、むしろ私の反応を不思議がった。

 「だってヘレンさんの故郷はエムデンでしょ?あそこはタラパカでも内地に近い」

 「そうね」

 言われてからそんな設定だったことを思い出す。ステファンは純粋な気持ちで私を心配してくれたらしい。本当に勘の悪い人間だと言わざるを得ず、苛立ちが募っていく。

 「そういう街には内地の人間が多い。差別はあっても過激な事件は起きない」

 「そうなんだ。まあ、あのバイロイトでさえ昔ほど過激な人はいないって話だもんなあ」

 適当に話を取り繕うと、ステファンは何度か頷いて納得してくれる。私はそんな素っ気なさが気になった。バイロイトは母親を亡くした特別な地のはずである。私は探りを入れることにする。

 「あなたは帝国をどう思ってる?」

 「帝国のこと?」

 「ここらの人は私を見るだけで嫌な顔をする」

 「ああ、ごめんね。息苦しかった?」

 文句を言ったわけではないが謝られてしまう。これだからステファンは弱い人間なのだ。相手を過度に気遣って不必要に付け入る隙を与えている。実際、私はそんな言葉が欲しかったわけではない。

 「嫌いならそれでもいい」

 「そんなことない。ヘレンさんは良い人だと思ってるよ。ニーナもそう言ってた」

 馬鹿にされているとも知らず、ステファンが真剣な顔で力説する。そんな姿が滑稽で私はあやうく笑いかけてしまった。今ここで私が正体を明かせばどんな反応をするのだろうか。興味をそそられるが、もちろん想像するだけに留めておく。

 「確かに帝国の印象は良くないよ。でも勘違いしないでほしいのは、政治や軍の話であってそこに住む人のことじゃない」

 ステファンは言い切ってから上手く伝わったか心配して顔を覗いてくる。私はその目を通して思考を読み取ろうとしたが、悪意の欠片もないことが分かって目を背けた。本当はステファンの口から帝国軍との関係について聞きたい。ただ、そのせいで安定した生活が破壊されることは避けたい。

 「ありがとう」

 「もし嫌がらせを受けてるなら言って。ヘレンさんが苦しむべきことじゃない」

 「大丈夫」

 「なら良かった」

 真っ先にへニアの顔が浮かんだが、あれは今の話と事情が異なっているため何も言わないでおく。最近は私が恋敵になりえないと分かったのか話しかけてこなくなった。しかし、いつもどこからか見られている気がして居心地が悪い。

 「でもさ、バイロイト紛争を経験した人は過激なことが多いから注意して。特に魔法師なんて今でも悪魔のような言われようだ」

 「魔法師が?どうして?」

 突然、ステファンの口から魔法師という言葉が出る。私は魔法師の歴史にはそれなりに詳しいつもりでいたが、そんな評価を受ける理由は思い当たらなかった。

 帝国軍が嫌われている理由は自明である。アタパカから自由を奪っているのは、この地を実効的に支配している軍に他ならないからだ。実際、ラッサまでの道のりでも軍による乱暴や弾圧を見てきた。しかし、私の知る限りでは魔法師はその統治活動にほとんど関与していない。せいぜい国家警備魔法師が検問や犯罪捜査を行っている程度である。

 「一番の理由は歴史だろうね。百年近く前、帝国の侵略は剣や弓を使った純粋な暴力で始まった。でも最初は、アタパカの人々は団結してそれを押し返していた。戦況が一変したのは帝国が魔法師を投入してからだった。あいつらは奇妙な力で人を殺す。心臓を潰されたり目玉をくり抜かれりと凄惨な光景がアタパカを埋め尽くした。当然、魔法を知らなかった当時の人々は恐れた。そうして抵抗する力は急速に衰え、帝国に屈した」

 「魔法師の力を理解できなかったから悪魔だと?」

 「それとあの残虐的な考え方も。当時を知る人はもういないし、帝国はそんな歴史を消し去ろうとしてる。けれど、こうした話は受け継がれて、憎悪は蓄積していくばかりだ」

 ステファンはそうでしょうと同意を求めてくる。ただ、私は的外れな非難だと感じた。帝国軍全てに嫌悪感を抱くならばまだ理解できる。しかしステファンの話では、魔法師がひときわ嫌われているのはその特別な能力と残虐性に由来するのだという。そもそも、剣と魔法に違いはないというのが私の考えである。どちらも人を殺す道具で、魔法だけが責められるのは納得がいかなかった。

 魔法は決して神からの贈り物ではない。幼少期からの厳しい鍛錬と合理的な思考力によって初めて為せる技術の結晶で、そうした苦難の果てに能力を手に入れた魔法師が野蛮な殴り合いから距離を置くのは当然だった。相手の内臓を破壊するのも残虐性を求めているからではない。体力の温存を念頭に戦闘方法が合理化された結果であり、剣に鋭利さが追求されることと根本は同じである。

 言いたいことは山のように出てくる。しかし、それをステファンにぶつけたところで魔法師の評価が変わるわけではない。今の私は魔法師という肩書を捨てており、文句は全て飲み込むことにした。

 「面倒に巻き込まれなければそれでいい」

 「僕もそうだよ」

 ここでステファンの声音が変わる。外の荒れた天気を見て何を思っているのか。両親を帝国に奪われたのだから憎悪があって然るべきである。だからこそ、帝国軍に関与していたという過去が腑に落ちない。

 「でも最近のきな臭さは不気味だ。ラッサでも反体制派に参加した人が傷を負って戻ってくることが多くなった。衝突が激しくなってる気がするよ」

 「ここに軍が来ることもあり得る?」

 「分からない。これまでこんな辺境の村は見向きもされてなかったけど、今後はあり得るかも。襲撃続きで神経質になってるだろうから」

 帝国軍の影が忍び寄っている。そうなるとラッサでの生活も終わりが近いのかもしれなかった。ここの住み心地は良いものの、農家になりたいわけではない。それに潜伏地を変えるならば冬までという制約がつく。将来の見通しは全く立たず、ラテノンが助けになってくれる保証もない。一生帝国から逃げ続ける生活は絶望そのものだった。

 「心配しなくていい」

 よほど深刻な顔をしていたのだろう。ステファンに声を掛けられて私は顔を背ける。その先はまた窓の外だった。雨がガラスに弾けて人を不安にさせる音を響かせている。

 「帝国の首都でも騒乱があったとか、バイロイト紛争以来の混乱になるとか。耳に入る話は不穏なことばかりだけど、ここにいる限りは雇用主として味方でいる。約束するよ」

 「自分の身は自分で守れる」

 「そんな気はしてる。でも一応ね」

 ステファンはそう言って笑う。友好的でない人間になぜ軽々しく味方と言えるのか。そんな疑問が浮かぶのは、きっと私が多く隠し事をしているからだ。ステファンと話していると調子が狂う。私はふんと鼻を鳴らして会話を終わらせた。

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