36. 徴発
旅の再開はそれから二週間後のことだった。リビオが放ったルサルカは腹部を貫通していた。それにもかかわらずこれほど短期間で回復したのはカタリナのおかげで、今は痒みが残るだけとなっている。他人の魔法を受け入れることには抵抗があった。それでも、一か所に留まることはステファンとリディアの危険に繋がると諭された私は反論できなかった。
ステファンの提案で呪いについても調べてもらったが、解決には至らなかった。カタリナもこんな魔法言語があることに驚いていて、特殊な魔法だったことが改めて分かる。元の体を取り戻すためには、やはりグスタフを殺さなければならない。
カタリナが協力的だった一方、クラウスは非干渉を貫き続けた。唯一話しかけてきたのはお互いが別々の旅路につくと決まった夜のことで、内容はへニアに関する不満だった。ヘニアの能力が王家直属魔法師と遜色ないことはもはや疑う余地がない。こんな結末を迎えた以上、お互いが衝突する理由などなく、ステファンは次にへニアと会ったときに事情を伝えると約束していた。
クラウスたちも今日から追われる立場で旅をする。目的はこの二週間で見つけられたようで、魔法師による力の濫用を止めるというものだった。アタパカでは帝国の魔法師に戦死者と離反者が増えている。そんな中でライネが魔法師の追加派遣を決断すれば、アラスと同じことが繰り返されかねないとカタリナは危惧していた。クラウスがその考えにどこまで同調しているのかは分からない。ただし、当面は行動を共にするつもりのようだった。
洞窟暮らしの間も季節は進み続けた。歩き始めてすぐ、私は暖かい風のせいでじんわりと汗をかく。リディアも随分と旅に慣れて歩く速度が落ちなくなった。それに、もうすぐ誕生日が来て年齢が一つ上がるという。すぐに抱擁を求める幼さはまだ残っているが、その時の頭の位置が出会った頃と比べて高くなっている。子供の成長を見守る日が来るとは思ってもいなかったが、決して悪いものではなかった。
街道ですれ違う人々にも活気が満ち満ちている。広大な平野に広がる畑も発芽したばかりの新緑が美しく、クバだけはすぐに見分けられた。ラッサで育てたクバは一体どうなったのか。ブーツに踏まれて土に還っていたとしても、また育ててみたいと思う。
アラスで死に直面した体は二週間の休養でその緊張を忘れつつある。クラウスたちが邪魔だったが、ステファンやリディアと過ごす何気ない時間は楽しかった。昔と比べて私から話題を振ることも多くなり、リディアに慕われることにも慣れた。しかし、自分の役割を忘れたわけではない。
私の腰には、これまでクラウスが使っていたシンタマニが揺れている。私はアラスでシンタマニを失った。そんな私にクラウスが譲ってくれたのだ。クラウスはというと、リビオが所有していたシンタマニを使うのだという。グスタフの右腕が使っていただけあり、武器としても骨董品としても価値が高いと話していた。
本音を言えばクラウスのシンタマニなど触りたくもない。しかし、私が担う役割の性質上、シンタマニを持たないわけにはいかない。そのシンタマニがもともとゲルトのものだったということを聞いて最後は手に取った。過去できなかった師匠への孝行のつもりだった。
長閑だった道のりもタラパカに近づくにつれて変化していく。話に聞く通り、アタパカの環境は悪化の一途を辿っている。あと二日でエムデンという距離まで近づいて、見慣れた問題が私たちの行く手を阻んだ。
「これはまた荒れてるな」
「ええ」
「通り過ぎるか?」
「いえ、エムデンも同じかもしれない」
「じゃあ食料だけ買ってすぐ出よう」
フージャという小さな街では暴動が起きていた。当然、揉めているのは住民と帝国軍で、今のところはまだ小競り合いの範疇に収まっている。兵士はしがない一般兵で、大量の馬車を率いていることから兵站部隊だと分かった。
「リディア、ちゃんと手を繋いでおくのよ」
「うん」
通りは人でごった返していた。住民は配置された兵士に詰め寄り、言い合いをしている。怒っている住民には内地にルーツを持つ者も多い。とても食料品店の場所を尋ねられる状況にない。
人を避けつつ歩いていると、ひと際大きな人だかりが目の前に現れる。整列した兵士が住民と対峙し、その奥ではレンガ造りの倉庫から木箱が運び出されていた。いずれも小麦やワイン、羊の干し肉など人々の生活に不可欠な食料である。それを見た私とステファンは同時に肩を落とした。
「仕方ない。エムデンに急ごう」
「ええ」
ここで食料は手に入らない。そう分かって私たちは出発を決断する。小競り合いは今にも衝突に発展しようとしている。巻き込まれることだけは避けたい。そうして踵を返した矢先、群衆からルサルカを感じた。
「こっち来て!」
咄嗟に二人を建物の陰に隠す。大規模な魔法の行使ではなかった。しかし、これほど人で溢れ返っていると誰が発動させたか分からない。
「魔法師がいる」
「帝国軍?」
「分からない。あそこだ」
通りを観察していると、兵士が数人その場で崩れる。どうやら帝国軍の方が攻撃を受けたらしい。失神しただけのようだが場が一気に緊迫化していく。
「下がれ!下がれ!」
無謀な行為に出たのは一人の若い男だった。シンタマニを見せびらかしながら他の兵士を威嚇し、銃を向けられても魔法で銃弾を抜いて無力化している。能力はぎりぎり国家警備魔法師になれる程度か。少なくとも戦闘を任務とする魔法師ではなかった。
「今度は命を奪う!全員武器と物資を置いて離れろ!」
魔法師が味方だと分かると、住民は兵士から木箱を取り返して歓声を上げる。兵士たちは突然の出来事に驚きつつ、指示に従ってゆっくりと下がっていく。帝国軍側に対抗できる魔法師はいないのか、兵士たちも命を懸けてまで抵抗はしない。一方、シンタマニを握る男の手も震えていた。
行く末を見守っていると、今度は別の誰かがルサルカを集めていることに気付く。私はすぐさま殺傷性の魔法だと見切ったが、魔法師の男は命が狙われていることに気付きもしない。私はマントの中で手に馴染まないシンタマニを握るとフードを深く被った。
「二人ともここにいて」
「エレナ?」
隠れているのは帝国側の魔法師だろう。魔法の質から国家警備魔法師と推測したが、問題は一人とは限らない点だった。住民のために躍り出た若い男は良心に殺されようとしている。昔の私ならば簡単に見捨てただろう。しかし、今は見て見ぬ振りできなかった。
私はシンタマニを軽く回して対抗魔法を放ち、帝国軍と睨み合う若い男を守る。ただ、男はろくな戦闘訓練も受けていないらしく、私の魔法に驚いて兵士から目を離してしまった。このままでは押し切られる。そう思った私は通りに飛び出した。
「後ろだ間抜け!」
群衆からもう一度魔法が放たれる。間一髪でそれを無力化した私は、敵の位置を特定して反撃に移った。火の粉が飛んで住民は蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。その混乱に乗じて私は男に接近した。
「誰だ」
「戦う度胸がないならシンタマニを下ろせ」
私が肉薄しても男はシンタマニを回しさえしない。戦力としてはないに等しいが、はったりをかます程度はしてもらわなければ困る。私は男に兵士を見ているように命令し、住民に紛れて逃げようとする魔法師を引きずり出した。
「国家魔法師だな」
「お前は!」
隠れていた魔法師は住民と同じようなみすぼらしい格好をしていた。勝手に喋ろうとしたため魔法で口を塞ぎ、ポケットの中を調べると国家警備魔法師の記章が出てくる。住民に偽装して活動していたのだろう。隣に立つ男に見せてやると情けない声が漏れた。
「あんたは誰だ」
「集中して。他にもまだいるかもしれない」
「どうしたらいい」
男の声が裏返る。考えなしに飛び出したことを馬鹿にしかけるが、似た男と旅をしているため思いとどまる。無力化した魔法師は気絶させた上で住民に引き渡した。
「どうしたい?」
「軍を追い出す」
「じゃあお願い」
目の前の兵士はこの男に任せて、私はまだ帝国の魔法師が潜んでいるかもしれない群衆を警戒する。国家警備魔法師が捕縛されたことで住民は拍手喝采で喜んでいる。数日後に何倍もの魔法師を送り込まれると分かっていないのだろう。一瞬の満足感を優先して兵士に罵声を浴びせている。
「いつか必ず報いを受けるだろう」
「食料が欲しいならエムデンに行け。公正な値段で買い取るなら住民も文句は言わない」
「ラテノンに呪いを」
街の外まで追い出された兵士はそんな捨て台詞を吐いて立ち去っていく。空の馬車はあっという間に見えなくなった。二人してそれを見届けた後、私は男と顔を合わせる。
「君もラテノンの魔法師?」
「いいえ」
「帝国の、というわけではないんでしょう」
「ええ」
「とにかく感謝します。コリンです。ラテノンの治安部として活動してます」
コリンはシンタマニを仕舞うと手を差し伸べてくる。私はそれを無視して街の方向に引き返した。コリンは諦めが悪い。私についてくると背中に話しかけてきた。




