33. 自己犠牲
「今度はなんだ」
リビオは夕日を背景に噴水の縁石に腰掛けていた。その奥では先ほどの親子が後ろ手に縛られている。噴水の近くでは遺体が無造作に積み重ねられて異様な匂いを放っている。多くはアラスの住民のようだが、見覚えのある戦闘服姿の遺体もある。ラテノンの魔法師だった。
「これは一体何の真似?」
「おいおい、冗談だよな。エレナじゃないか」
リビオが驚いた顔で縁石から飛び降りる。シンタマニを右手に今度は笑い始めた。
「質問に答えろ」
「本当にエレナか。ああ、なんてことだ。この世に神なんてものがいるのなら、きっと俺の味方なんだろう。とんでもない獲物が引っかかった」
気だるげだったリビオの声に活気が満ちていく。背後ではなおも処刑の準備が続く。怖がる男の子に黒い目隠しがつけられ、私がシンタマニを振り上げるとリビオがそれを邪魔した。
「なんだ、俺との決着をつけに来たんじゃないのか。我が帝国の偉大なる英雄に限って、こんな土人の命を気にするはずがない」
「王家魔法師があろうことか皇帝の民を虐殺するなんて」
「これは皇帝陛下じきじきのご命令だ。ラテノンの魔法師どもにはほとほと手を焼かされている。陛下もそんな現状に不満を抱いておられた。そんな折、ラテノンに手を貸す逆賊の命を利用し、魔法師を誘き出すという聡明なお考えを思いつかれたのだ」
リビオは死体の山を自慢気に見せつける。周囲の部下の反応はまちまちだった。リビオと同じように笑っているのは同じ王家直属魔法師だろう。顔から血の気を引かせているのが国家警備魔法師で、そちらの人数の方が多かった。
「エレナ、お前と会えて嬉しいぞ。失ったはずの腕が今も痛みに疼いている。グスタフ様の魔法で弱っていたはずのお前にあっけなくやられた情けない右腕だと惨めな評価も受けた。こんな汚れ仕事を引き受けたのもひとえに復讐の時を待ち望んでいたからだ」
「その親子を解放しろ。そうすれば私の手で侮蔑から解放してやる」
「饒舌になったな。それに情けないほど慈愛に溺れるようになった。恥知らずめ」
リビオの目は本気だった。この男の息の根を止めることは難しくない。しかし、虐殺に関わった魔法師を全て殺すには分が悪かった。タガが外れた集団からあの親子を守ることも忘れてはいけない。
「二人を殺せ」
リビオが命令を下した瞬間、二人の魔法師がシンタマニを親子に向ける。今まさに魔法が罪なき命を奪おうとしている。私の手に力が入り、ルサルカを集めて親子の前に防壁を築く。その瞬間、リビオの放ったルサルカが頬を掠めた。
弱腰では二人を守れない。取り巻きから撃ち込まれる魔法を躱しながら親子と合流した私は、二人の目隠しを外して噴水から離れる。両手を縛られた二人の動きは制限されている。それでも、怯える目を見て覚悟は決まった。
「なぜ重荷を背負う?それは誰の命令だ」
「私の意思」
「俺たちにそんなもの必要ない。帝国への忠誠は絶対。お前も皇帝陛下の前で誓ったはずだ」
「愛想が尽きた」
「やはりそうか。お前こそが私情で命を奪う殺人鬼だ」
リビオの空の袖が私に向けられる。腕の恨みは相当らしい。親子を連れてゆっくり後退りするも、シンタマニを構えた魔法師に行く手を阻まれる。その中の一人が果敢にも挑戦してきたため返り討ちにすると、その隙を逃さなかったリビオのルサルカに脇腹を貫かれてしまう。膝が地面に触れて、そこに血だまりができていく。
「痛いか。次は右腕だ」
「走って逃げて。私が道を開く」
出血が止まらない。私は脇腹を手で押さえながら母親に指示する。恐怖に支配されていても、母親は子供を守るために頷く。私は大量のルサルカを集めるために魔法を組み立てた。
「走って!」
叫ぶと同時に私は魔法を乱射する。リビオにとってみれば子供騙しだろうが、一度に多くの魔法師を相手取る場合、圧倒的なルサルカで場を支配しなければならない。親子の前に立ちはだかる魔法師を殺し、干渉してくる者にも容赦はしない。久しぶりの大規模な魔法に体は悲鳴を上げ、視界が大きく歪む。リビオの魔法がわずかに見える。対抗魔法を放つと立っていられなくなった。
「あの親子を逃がすな。こいつの前でなぶり殺しにしてやる」
「リビオ様、エレナ・ヘイカーは見つけ次第直ちに殺すようにとの命令ですが」
「こいつにもう抵抗する力は残ってないだろうよ。こっちは何人死んだ」
リビオの問いに部下が律儀に数え始める。芋虫のように地面を這う私は握ったシンタマニを目で確認して戦いを続けようとする。しかし、リビオに弾き飛ばされてしまった。
「さて、どうしてやろうか。単に殺すだけじゃ面白くない」
「死亡7名、負傷5名。エレナを捕らえた今、あの親子は見逃していいのでは」
「駄目だ。屈辱を与えなければ気が済まん。見ろ。この腕がそう願っている。それに死んだのは全員お前の部下だろう」
呼吸が落ち着いてくる。シンタマニはどこかにいってしまったが、体力的にあと一人を殺す力は残っていた。最期はあの死体の山に投げ込まれるのかもしれない。そうだとしてもリビオだけは殺す。肺に空気を溜め込んだ私は、痛みで震える体を数秒間だけ制御して魔法を繰り出す。ただ、死んだのは隣の魔法師だった。直後、両腕に焼けるような痛みが広がる。
「おいおい、借り物の魔法師が全員死んだじゃないか。こいつに責任を押し付けるつもりが、エレナ、どうしてくれるんだ」
「私と死ね」
「お前が今も英雄だったなら喜んでそうした。だが今はどうだ。国家に仇なす反逆者だ。まあ喜べ。あの土人どもはどこかに行ってしまった」
リビオがルサルカを集める。あの親子が助かったのなら命を散らす意味もあった。そう思い込もうとした私だったが、ステファンとリディアが脳裏をよぎって離れなくなる。もう一度会いたい。願うだけならば神も許してくれるはずだ。しかし、神は想像以上に残酷だった。
「待て!次は僕だ!」
「あ?なんだお前」
「エレナ!」
ステファンの声が聞こえた気がする。しかし、そんなことあるはずがない。死を前にして幻聴に心をゆすぶられる弱い自分に笑いが漏れる。そう思っていると再び名前を呼ばれた。
「エレナ!大丈夫!?」
「ああ、アントンと一緒にいた土人か」
リビオは馬鹿にするように笑い、間髪入れずに魔法を撃ち込む。しかし、ステファンは飄々とした顔でその場に立ち続けていた。リビオは首を傾げて残った部下を集める。
「なぜだ」
「では私たちが」
周りの魔法師が一斉に魔法を放つが、ステファンは身構えることもせずそれらを跳ねのける。誰の干渉も受けなくなったルサルカがステファンの周囲に漂い、リビオたちは目の前で起きた不可思議な現象に混乱する。守るべき人が現れたことで、私はもう一度心を燃やした。
ステファンがリビオに向かって突進する。多種多様な魔法でそれを止めようとするリビオだが、そのどれもが上手くいかない。ステファンの手にはナイフが握られていて、焦ったリビオが対処を部下に押し付ける。その瞬間、私は漂っていたルサルカに干渉した。
「地獄に落ちろ!」
「エレナ・ヘイカー!」
血管の千切れる音がはっきりと聞こえた。顔を真っ赤にしたリビオはシンタマニを落として苦しみ始める。部下が異変に気づいたときにはもう遅かった。私を殺そうとルサルカを集めるが、魔法を組み立てる前にステファンから肉弾戦を仕掛けられる。ステファンは決して強くない。ただ、ステファンに怖気づいた魔法師は命からがらその場から逃走し、一般兵に銃を撃つよう命令した。
「エレナ!」
ステファンは魔法師を深追いすることなく私のそばに駆け寄ってくる。リディアはどうしたのか。勝手な行動を怒ろうとしても、視界がぼやけてステファンを見失ってしまう。銃声があって甲高い音が耳元を突っ切っていく。ステファンはそれを気にも留めず、私の服を脱がしていく。脇腹の出血が相当酷いらしい。銃声はその一発だけだった。代わりに別の魔法師の気配を感じ取る。
「ステファン、逃げて」
「喋らないで!」
「エレナ、また会ったな」
やはりこの世に神など存在しない。クラウスの声が聞こえて、咄嗟にルサルカを集めようとする。しかし、ステファンに抱きしめられて失敗した。
「駄目だ!これ以上は死んでしまう!」
「ほお、死ぬのか」
「クラウス!お前の心に正義はないのか!」
ステファンが啖呵を切る。意識がもうろうとする中、私は敵対をやめさせようとステファンの服を握った。クラウスはステファンの戦う姿を見た。魔法が効かないと気付いたはずで、リビオと同じ轍を踏むはずがない。
「殺すべき人間が二人いる。それだけだ」
「この野郎!」
このままではステファンが殺されてしまう。そんな恐怖が先行した私はステファンの腕を振りほどいて魔法を放った。しかし、手ごたえはなく限界を迎える。
「殺さないで」
気付くと命乞いが口から漏れていた。クラウスにこんな言葉が通じないことは分かっている。それでもステファンだけは死なせたくなかった。ステファンの声がどんどんと遠ざかっていく。責任も取れないなんて自分は最悪な人間だ。私はただひたすらステファンに謝りながら虚無の世界へと落ちていった。




