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29. へニアの覚悟

 「こんなところで何してるんだ?一人は危ないだろ」

 「へニア」

 「ステファンはどこ?教えれば命は助ける」

 「何の真似?ステファンを裏切るつもり?」

 「返してもらうだけだ。ラテノンに喧嘩を売るなんて血迷ったか?やっぱりお前には任せられない」

 シンタマニをくるくると回すへニアが気味の悪い笑みを浮かべている。へニアの攻撃は一貫して殺害を目的としていなかった。ステファンの居場所を聞き出すためだったのだろうが、不意打ちを失敗させたことで勝ち目はなくなる。ただ、ルルに肩を貸していた二人がいつの間にかへニアに加勢していた。

 「へニア・シェーン。ラテノンを裏切ったお前の助けなんていらない」

 「裏切ったのはどっちだか。だけど言い合いは後」

 「呆れた。相手が誰だか分かってるの?」

 三人を相手取ることになった私はゆっくりと息を吐く。へニアはクラウスやカタリナと戦って、再び生き延びたらしい。ここまでくるともはや偶然と片付けることはできず、その実力を警戒する。

 「ニールは右、ヨアヒムは左。手は出すな。お前たちじゃエレナに敵わない」

 「こいつがあの赤の大広間の」

 ラテノンの魔法師は私の正体を知って驚く。中でも衝撃を受けていたのは近くの塀によりかかるように座らされていたルルだった。これまでに経験したことのない敵意が私を貫く。

 「エレナ・ヘイカー!俺と戦え!」

 視界の端で強引に立ち上がったルルが膝から崩れ落ちる。その矢先、へニアのシンタマニが動いた。

 「よそ見するな!」

 へニアの魔法はこれまでに何度も見てきたためその特徴は知っている。既知の魔法言語を使っているが、その文法には少しの無駄がある。その分、ルサルカが複雑な形をしていて解除が難しくなっていた。さらに、物体と干渉するとルサルカが散逸するように仕組まれており、乗っ取りされない仕組みになっている。

 また戦い方が特殊で、積極的に格闘戦に持ち込もうとしていた。通常、魔法師は危険な肉弾戦を避けるものだが、へニアはその優れた身体能力で私を打ち負かそうとしている。魔法で上回っていても不慣れな格闘のせいで対処が後手に回った。

 殺すことは簡単。その踏ん切りがつかないのはへニアを心配するステファンの顔がよぎったからだった。甘い考えは命取りとなる。それでも無意識に躊躇ってしまう。

 ただし、明確な意思に突き動かされているへニアは強い。それを認めることで私も決心がついた。ステファンへの言い訳は後で考えることにして、へニアの膝に狙いをつける。しかし、魔法を放つよりも先にへニアのブーツが頬に当たった。口の中に血の味が広がり、私は地面を転がる。

 「ステファンはどこ」

 へニアに理性は感じられない。これがステファンのためになると信じて疑っておらず、逃げる私に大量の魔法を浴びせてくる。私は再び距離を取って魔法で応戦する。人間には攻撃されると戦意を喪失する急所が幾つかあり、みぞおちや喉仏を重点的に狙う。幾つかは当たったはずだ。しかし、へニアの動きは止まらない。私は徐々に体力を失って、走る速度を維持できなくなる。

 「追い詰めた」

 「もらった」

 へニアの手がもうすぐ背中に届く。その瞬間を見計らって体を反転させた私はシンタマニをへニアの腹部に打突し、鋭くルサルカを打ち込んだ。へニアは顔を歪ませながら私の髪を掴み、一緒に倒れる。ただ、その時にはもうへニアのシンタマニは私の手の中にあった。苦しそうに息をするへニアはシンタマニを突き付けられても狂った瞳で私を睨む。

 「私の勝ち。その手を離さないと殺すよ」

 「すればいい。ステファンに嫌われてしまえ」

 「いいから離して」

 私は周囲を警戒する。よく分からない場所まで走ってきてしまった。住民はおろかニールやヨアヒムの姿さえなく、静寂を割いて再び鐘が鳴り始める。

 「お前だけはステファンのそばに居させない」

 「ステファンは信頼してくれた。だから変わることにした」

 「悪魔が心変わりなんてできるものか」

 「できる。ステファンがそう言った」

 私はへニアの指を一本ずつ解いていく。爪を立てられても気にしない。全てを払って立ち上がったところ、へニアは地面に膝をついて頭を下げた。額を強く地面にこすりつけ、悔しそうに地面に爪を立てる。

 「ステファンのところに連れていけ」

 「なぜ」

 「私にはステファンしかいない。一緒に居たい」

 顔を見ることはできない。それでも表情を想像することは容易かった。異様な光景と言わざるを得ないが、病的なまでの依存心を考えれば不自然ではない。私は即座に損得勘定を始める。へニアがいればステファンとリディアを守る上で有利に働く。しかし、思考回路が常人のそれと全く違っていることを考慮に入れなければならない。ただそれも、ステファンの言葉でどうにかなるかもしれない。

 ステファンの優しさが私にも芽生えつつあることを感じて嬉しくなる。しかし、その対価は大きなものだった。

 「面白いことをしてるな」

 背後から声がかかる。振り返ると近くの民家の屋根に人影が見え、その数はあっという間に増えていく。声を聞いた瞬間から正体は分かっていた。

 「お前たちは仲間じゃなかったのか」

 「運の良い奴め。ヘントでは尻尾巻いて逃げた腰抜けが」

 「クソ野郎、もううんざりなんだよ。エレナもそろそろ諦めろ。そういや、トードを殺したそうだな。それだけは褒めてやる」

 「ラテノンの奇襲は失敗したみたいね」

 「蹴散らしている途中でお前たちを感じた。農夫とアントンの娘はどうした?」

 クラウスは屋根から飛び降りてこちらに歩み寄ってくる。今日はカタリナがそばに居ない。代わりにピアの魔法師を大量に引き連れていた。

 「さあどこだか」

 「どうせラテノンの残りカスと一緒なんだろ。もうすぐカタリナが追いつく」

 「ヴィルゴ家の魔法師様は一般人まで追いかけ回して大変ね」

 「まあな。お前たちと決着つかなかった時のための人質だ」

 「この野郎!二度とそんな戯言吐けないようにしてやる!」

 ステファンに危険が迫っている。それを知ってへニアが啖呵を切り、クラウスは笑って受け流す。

 私は取り上げたシンタマニをへニアに返した。へニアは驚きつつも、それを受け取って戦闘態勢に入る。二人で相手をするには敵が多過ぎる。しかし、この時だけは戦う目的が合致していた。

 「エレナ、何か言い残すことないか」

 「グフタフを連れてこい」

 「グスタフ様はこんな田舎を這いずり回るのはもう嫌だとよ。お前が消息を断ってライネに戻られた」

 「そう」

 私は素っ気なく返事してへニアに近づく。へニアはクラウスにとめどない殺意を向けている。その雰囲気に圧倒されながら耳打ちした。

 「ステファンは地下通路から逃げた」

 「ついてこい」

 私の言葉を聞いた途端、へニアが背後に魔法を放つ。息を合わせるなど困難で、唐突に火蓋を切って落としたへニアの尻拭いに回った私は飛来する魔法の対処に追われる。へニアは細い路地めがけて走る。立ちはだかる国家警備魔法師は私たちの魔法によって押しのけられた。

 「囲いを崩すな。なぶり殺しだ」

 クラウスの指示が飛び、私たちに追手がかかる。正面対決はクラウスの役割のようで、周囲の魔法師は私たちの体力を削ぎ落とすべく魔法の乱れ打ちを始める。

 包囲は頑強で、走っているだけでは突破は難しい。へニアもそれを分かっているはずだったがその足は止まらない。走りながら水筒の中身を飲もうとして半分以上が溢れていく。しばらくして、宿屋ひまわりが見えてきた。

 「中に立て籠もる」

 へニアは叫びながらひまわりの前を走り抜け、地下通路の入り口があった建物の窓を破って中に飛び込む。私もそれに続いて入ると、へニアは正確に入り口が隠されている床を破壊した。しかし、自分は中に入らず、窓際に寄って応戦を始める。

 「早く行け。右から始まって左右交互だ」

 「あなたは」

 「誰かが足止めしないとステファンが危ない。お前じゃ一分と持たない」

 「どうしてそこまで」

 「絶対にステファンを死なせないで!」

 へニアの声には感情が乗っていた。これでもう三度目である。ステファンのためならば命を惜しみもしない。その姿は狂っていて美しい。この時ばかりはへニアが健気に恋い慕う少女に見えた。

 「あなたが死ねばステファンが悲しむ」

 「私は死なない。次こそお前を殺してステファンを返してもらう。それまでステファンを守ってみせろ。行け!」

 私は穴に飛び込んで地下通路に降りる。魔法で明かりを灯すと痕跡を辿られる恐れがあるため、壁に手をついて進み始める。その直後、後方から爆発音が響いて強風にあおられた。地上に繋がる穴が土砂で塞がれる。

 へニアの覚悟は常軌を逸している。今回ばかりは囮となってくれたことを好都合だと思えず、初めてへニアとの約束を守る気持ちになった。一時間以上かけて狭い通路を進み、教えられた通りに分かれ道を選んでいく。すると地上に繋がる出口にたどり着いた。

 顔を出すと、そこは街から少し離れた丘の上だった。敵がいないことを確認して外に出ると、煙の匂いを感じる。ピアの至る所で炎と煙が上がっているのが見える。月は最も高いところで雲の切れ間から顔を出していた。地形を把握すると、さっそく集合場所を目指して走る。敵はすぐにでも追ってくるだろう。私の役割はまだ終わっていなかった。

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