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27. ヤン・ラトケ

 ドンの先導で裏口から外に出た私たちは路地を足早に進み、三つ隣の建物に入る。そこには人相の悪い男が数人詰めていて、地下に繋がる階段に案内された。かび臭い空気が充満しており、滑らないように下りていくと真っ暗な地下通路が現れる。そこからは案内人が持つランプだけを頼りに進んでいった。地下は気温が保たれていて温かい。それでもリディアは私の腕を抱きしめて震えていた。

 恐怖に鈍感なステファンはこの間もドンに色々と話しかけていた。ドンも気さくに答えていて、二人の間だけ雰囲気が良い。アントンと面識があるというドンだが、生まれはアタカマの小さな村らしい。ラインホルトの考え方に深く賛同してラテノンに参加し、それからもう半世紀が経ったと話していた。裏を返せば、そんなにも長い間ラテノンは目標を達成できていない。

 通路を進み終えると再び階段が現れる。よくある民家の床下から這い出ると、先程よりも多くの戦闘員に迎えられた。地下通路にはいくつも分岐点があった。ラテノンはこれを利用してピアを生き来しているという。

 「ヤンとの面会は認められた。ただ、多忙につきそんなに時間を取れない」

 「要求は一つだけ。構わない」

 「では中へ」

 ある部屋の前まで連れていかれると、ドンがその扉をノックをする。返事があって中に入ると、五人の男が薄暗い部屋で机を囲んでいた。明かりは小さな天窓と机上のろうそく一本しかない。

 「エレナ・ヘイカーとアントンの娘、リディアを連れてきました。彼は共に旅をしているステファンです」

 「ご苦労」

 五人の中で最も若い男がこちらに近づいてくる。ハーフパンツと上着の上から締められた革製のベルトが特徴的なカーキ色の制服を着ていて、初期型の拳銃を腰に引き下げている。このカーキ色には馴染みがあったが、こんなにも寒そうな軍服は初めて見る。交渉役を自負していた私が一歩前に出ると、今まで私の腰から離れようとしなかったリディアがすっと頭を下げた。

 「久しぶり。覚えていてくれて嬉しいよ」

 「ヤンさん。こんにちは」

 リディアは擦れた声で挨拶して、すぐに引き下がる。自分から提案しただけあってはっきりと面識があるようだった。おかげで交渉手段は限られてしまったが、リディアの不安が解消されたならばそれで良い。ヤンは緩んだ頬を引き締めて私と対峙した。

 「君がエレナか。思っていたより若い。これが帝国の英雄とは」

 「お見知りおきを」

 「そんなに牙を剥かなくていい。ウタラトス様のことはラテノンとして感謝している。個人的にはリディアのことも」

 「媚びを売るためじゃない」

 「分かっている」

 ヤンはドンを下がらせる。扉が閉まると部屋はさらに薄暗くなった。他の四人のもとへ戻ったヤンは、机に広げられた紙に視線を落とす。ピアの地形と戦力の布陣を記した戦術図のようだった。

 「なぜここに来た?あいにく今は忙しい」

 「私たちは帝国軍に追われてる。ステファンとリディアを匿ってほしい」

 「こちらの利益は?」

 「私がウタラトスの護衛につく。ウタラトスがラテノンへの協力を指示するなら、それにも従う」

 「冗談だよな。俺たちの血塗られた過去を忘れたか?」

 要求を突き付けたところ、ヤンの隣で白髪の男が吼えた。腰には木製のシンタマニがぶら下がっている。

 「お前は王宮で多くの仲間を殺した。受け入れられるはずがない」

 「そうなったのはあなたたちが弱く愚かだったから」

 「性根まで腐りきっているのか。今でも死んでいった仲間の悲鳴が聞こえる」

 「私はあなたを知らない。腰抜けなこと以外は」

 「なんだと?」

 「命令に従い、背を向けずに戦った勇気ある魔法師は赤の大広間で全員死んだ」

 私が挑発すると、男は額に血管を浮かべて突進してくる。私の魔法の餌食になる寸前、ヤンがそれを落ち着かせた。ステファンも私の態度を咎め、リディアを険悪な空気から遠ざける。気が立ったのはリディアの前で赤の大広間の話をされたからだった。

 「ルッツはあの日唯一の生き残り。仲間を失ってなお、アタパカのために戦っている」

 「この女とは協力できない。たとえウタラトス様を救った魔法師だとしても」

 ルッツの憎悪は尋常でなく、瞳には隠し切れない殺意が溜まりに溜まっている。私は交渉役として無表情を貫く。ただ、その怒りに全く共感できないわけではなかった。私は戦友を失う苦しみを知らないが、仮にステファンやリディアを奪われれば必ず復讐する。軍人としてではない新しい価値観を持ったからだ。

 ただ、ルッツの瞳には不思議なことに嘘が共存していた。その正体が分かる前にヤンが咳払いをする。私は要求が拒絶された場合の対策を考えた。

 「君たちの処遇は今すぐに決められるものではない」

 「私が憎いなら二人だけでも構わない」

 「君との交渉には興味がある。ただ、あいにく時間がない。ピアは今、危機的な状況にある。その対応で手一杯なんだ」

 「今度はここで戦いを起こすつもり?」

 私は地図を指差す。ラテノンの暴走によって悲劇に見舞われた街を知っている。何よりアントンからラテノンの目論見を聞かされた後である。危機を謳って人々を巻き込み、勝ち目のない戦いで主義を示すなど正義とは言えない。特にピアは帝国軍に支配されている街である。戦闘を起こせばその被害は計り知れなかった。

 「ラテノンの目的は帝国支配からの脱却。これまで我々がどれだけ譲歩し、粘り強く交渉を続けても帝国は何一つ変わらなかった。だから指導部は実力行使に出るほかないと考えた」

 「大勢死人が出る」

 「そうだ。だから私たちは急いでいる」

 「どういうことですか」

 会話が噛み合わなくなってステファンが割って入る。私はヤンがその戦闘を取り仕切っているものと思っていた。しかし、どうやらそうではないらしい。

 「ピアに駐屯する帝国軍への攻撃は目前に迫っている。指導部が考えを改めることはないだろう。であれば、住民が避難するための時間を作らなければならない」

 「でもそれは作戦を妨害することになりませんか」

 ピアに来れば安全が約束されるとは思っていなかった。それでもこんな状況は想定外で、ステファンは自らの不安を押し込んで動揺するリディアを気遣う。ステファンの言う通り、仮にラテノンが帝国軍に奇襲をかけようとしているならば、住民を避難させる行為は不利益に働く。それどころか指導部に対する反逆と受け止められる危険性があった。そうなればヤンに助けを乞った意味がなくなってしまう。

 「指導部は正気を失いつつある。何もしなければ何千という住民が巻き込まれ命を落とすだろう。そうなればラインホルトの時代から続くラテノンとアタパカの関係は終わりだ。たとえ我々が逆賊になろうともそれだけは避けなければならない」

 「ここに来たのは間違いだったみたいね」

 一通り話を聞いて、私はヤンを見限る方向に舵を切る。指導部に盾突く彼らと一緒にいては私たちまで敵視されてしまう。私は踵を返してリディアの手を握った。

 「どこへ行く?」

 「街を出る。戦いがあると分かってて留まる理由はない」

 「アントンのことは残念だ。だが、その出来事が君を変えた。そうだろう。リディアを連れていたのは過去の罪を償うためじゃないのか。ピアではそれができる」

 「勘違いするな。今も私は帝国の呪縛に囚われたまま。あなたたちの仲間を殺した罪悪感なんて欠片も持ってない。今だって仲間を守ることで精一杯なの。ステファン、行こう」

 私は二人を連れて部屋を出ようとする。すると、扉が開いてラテノンの戦闘員が立ち塞がってきた。最初からこのつもりだったのかもしれない。彼らは私が二人分の足かせに繋がれていると侮っている。シンタマニを見せつけると一触即発となり、後ろからはルッツもにじり寄ってくる。そんなとき、リディアが声を漏らした。

 「お父さん、いつも言ってた。困ったときは助け合いなさいって」

 「リディア?」

 「私はお父さんみたいにはなれない。でもね、エレナちゃん。見て見ぬふりしたくない。逃げると心からもお父さん、消えちゃうかもしれない。そんなの嫌だから」

 振り返った先のリディアは丸い瞳から大粒の涙を流していた。自らの愚かさに気付き、手から力が抜けるとシンタマニを落としてしまう。

 リディアの考え方は幼く、現実的ではない。ヤンに協力することは反対だった。旅をするだけで精一杯の私たちが大勢の命を左右する存在になっていいはずがないからだ。しかし、ついにそれを言い出すことはできなかった。アントンは今もリディアの中で生きている。それが父親との別れを乗り越える唯一の方法で、否定することは生きる希望を奪うことと同義だったからである。

 この曇りきった瞳でもリディアの心で育まれる正しさが見える。決して自らの力を誇示するためではなく、人に恩を売るためでもない。その正しさに触れられないことが悔しかった。

 気がつくと私の腕はリディアを抱きしめていた。リディアから落ちる涙を止めようと両手がぎこちなく頭と背中をいったりきたりする。それを見たステファンは微笑み、その他はひどく驚いている。ただ、他人の視線などどうでもいい。リディアを穢さないように振る舞うだけで私は必死だった。

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