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25. 赤の大広間

 地図を持ってきたスミロは、ここからピアまで大人の足で7日ほどの距離だと説明を始める。街道に従えば迷うことはないというが、軍の検問所は避けるべきだと助言される。回避するには一時的にトネル砂漠まで迂回してその縁を進まなければならない。ステファンと一緒に道順を覚えていく。

 「ピアで活動するラテノンと言えば、ヤン・ラトケが真っ先に思いつく」

 「知っているんですか?」

 「名前だけは。最近の帝国軍は潜伏するヤンの確保に躍起になっているらしいが上手くいっていない。居場所は当然、私も知らないが」

 ヤンの名前に反応したステファンにスミロが好奇の視線を送る。ステファンといるといつもこうなってしまう。しかし、本人に失敗したという自覚はない。

 「僕らが持ってるラテノンの情報はヤンだけです。けれど、ピアに向かっても見つけられるかという不安があります」

 「ピアはバイロイトに並ぶ大都市だ。普通に探しても見つからないだろう」

 「何か知ってそうな口ぶりね」

 「ああ。秘密にできるなら教えられる」

 問われた私はあえて何も言わずに静かに待つ。スミロは座り直して声量を落とした。

 「ひまわりという宿屋が反体制派を募集してる。そこにラテノンの人間がいる可能性が高い」

 「ヤンではなくて?」

 「ヤンは潜伏場所から出てこないだろう。乱暴はしてくれるな。そうかもしれないというだけの話だ」

 「ありがとうございます」

 「いいんだ。あの子の無事を保証してくれるならね」

 スミロはリディアを意識して、広げていた地図を畳む。その時、本を読み終えたリディアが子供たちを引き連れてこちらにやってきた。最初に比べて打ち解けたらしく、その表情は幾分か柔らかくなっている。スミロは続いてリディアからピアノが弾けると聞き、物置から歪な台形状の鍵盤楽器を出してくる。これを練習させてあげてと渡すと、リディアたちは再び机に戻って音を鳴らし始めた。

 「あの、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

 「何だい」

 子供たちを見て和やかな雰囲気になりつつあった中、ステファンがいつになく真剣な表情をする。また勝手なことを言い出さないか。そんな私の心配とは裏腹に、出てきた話題は予想外のものだった。

 「赤の大広間って一体何なんですか?」

 「ステファン、やめて」

 「エレナから聞いてないのか」

 「はい。エレナを知る人は皆、この言葉を口走っていた。けれどその時のエレナを見ていると聞くに聞けなくて」

 「ステファン」

 私は好奇心を心の内に戻すよう圧力をかける。リディアに聞かれる心配はない。それでも話したくない過去だった。ステファンとの価値観も擦り合わさってきたばかりで、その過程を無駄にしたくない。スミロはそんな私の態度を咎めた。

 「隠してたって仕方ない。いつかは知られることだし、これからラテノンと接触するならなおさら」

 「ラテノンとも関係があるんですか?」

 「もちろんだ。赤の大広間事件とはエレナという名を帝国中に轟かせたきっかけ。帝国で魔法師が評価される出来事といったら一つしかない」

 スミロは回りくどく話して私の様子を窺ってくる。今こんな気持ちになっているのは、私が話すべき時に話さなかったからだ。私が顔を背けるとスミロが説明を始めた。

 「四年前の秋、ライネの王宮で各地の首長を集めた社交界があった。エレナはその時、まだ王宮魔法師だったと思う」

 「王家魔法師とは違いますか」

 「ああ。王家直属魔法師は五大家のどこかに直接仕えている魔法師のこと。王宮魔法師は位で比べるとその下にあたるけど、王宮の警備という任務の性質上、こちらも優れた魔法師で構成されてる。未成年で王宮魔法師だったエレナはそれだけで特別だった」

 「エレナは何歳で魔法師になったの?」

 ステファンが素朴な疑問を持つ。スミロから視線を送られて、私はお茶をすすった後に答えた。

 「試験に合格したのは12の時。でも15歳にならないと就業は許されないから、3年間故郷のヴァイデンに戻ってそれから王宮魔法師になった」

 「そんな時から」

 「エレナという存在は前代未聞だった。実力を疑って馬鹿なことをする奴もいたけど、全員ことごとく返り討ちにあったという噂だ」

 「そんな優秀だったのならどうして最初から王家魔法師にならなかったんですか?」

 「どこも欲しがってたとは思うよ。でも牽制し合ってたんだろう」

 「その時の私には、まだ実戦の経験がなかった。魔法を操るのが上手くても兵士として使い物になるかは別の話。赤の大広間では偶然、その実戦の機会が与えられた」

 私はあの日を思い出す。自分から話すことにしたのは、ステファンには私の言葉で理解してほしかったからだ。赤の大広間事件は有名すぎるため、噂話のほとんどに尾ひれがついている。中には私を快楽殺人鬼だと語っているものもあり、出来事を正確に語れるのはもはや私しかいなかった。

 「私はあの日、庭園で警備についてた。社交界は王宮二階の大広間で行われていて、賑やかな声が何時間も続いてたのを覚えてる。侵入者の一報があったのは満月が高いところまで上った頃だった。突然、正体不明の魔法師が東の格子門から侵入してきたと」

 「どうしてそんな簡単に。王宮なんでしょ?」

 「アタカマの代表団にラテノンの間者が紛れ込んでて、彼らが手引きしたの。王宮魔法師が対応する中、私は厳しい状況を報告してくるように命令された。だけど、向かってみると王宮内でも戦闘が始まっていた」

 「庭に侵入した魔法師は外の王宮魔法師を張り付けるための囮で、別の魔法師が既に王宮内部に侵入していたんだ」

 スミロが私の説明に補足する。聞いていたステファンは生唾を飲んだ。

 「誰もが侵入者の狙いは皇帝コールサックだと思った。もちろん、コールサックは大量の護衛に連れられて早々に避難を済ませた。でも、敵の真の狙いは皇太子だった。ウノカイアもハイドラ家直属の魔法師に守られていたけど、私が大広間に入ると両手で数えきれないほどの敵に囲まれて絶体絶命だった」

 「赤の大広間の赤って、まさか」

 「そう。エレナが殺した敵の血で大広間は赤く染まった。皇太子を守っていた魔法師は全員が戦死した。エレナがいなければウノカイアも死んでいただろう。だからエレナは赤の大広間の英雄なんだ」

 「実際はそこまで赤くなかった。それに、味方の魔法師だって同じ赤い血を流した」

 あの日、私は初めて人を殺した。その時の感情は極度の興奮でかき消され、もう心に残っていない。唯一覚えているのは、ウノカイアが失禁して気絶していたことくらいである。

 「それでウノカイアに仕える魔法師になったのか」

 「そう。幻滅した?」

 これがエレナ・ヘイカーの過去である。どれだけリディアに気を掛けて優しい人間のように振る舞ったとしても、根底にある罪が消えることはない。ステファンはじっと私を見つめる。

 「幻滅なんてしない」

 「あの子供たちの中にも、もしかしたらその時の魔法師の」

 「エレナ」

 自虐的な思考を表に出すと、語気を強くしたステファンに制止される。声が大きかったため、リディアがこちらに振り向く。不安げな瞳を向けられて、かえって私の心は力強さを取り戻していく。

 「前にも言ったはず。過去に囚われすぎるのはよくない。僕はエレナを信頼してる。僕だけじゃない。リディアだってエレナを必要としてる」

 「分かってる」

 「胸の痛みが間違ってるだなんて言わない。でも、それを理由に壁を作らないで。不安なら頼ってほしい」

 ステファンの真っ直ぐな気持ちに当てられてばつが悪くなる。何でも一人でこなしてきた私はもうどこにもいない。ステファンに助けられながら旅をして、リディアの隣で新しい魔法師像をおぼろげながら思い描いているのが今の私だ。そんな世間知らずには仲間が必要だった。

 「過干渉ね。最初からそのつもりだった」

 「エレナ、変わったんだね」

 「何が」

 スミロが笑顔になる。睨みつけると子供たちのもとへ逃げた。リディアも既にスミロに対する恐怖心を克服している。

 「教えてくれてありがとう」

 「ええ」

 「でも本当のところは、僕らがエレナを頼ってばかりだ」

 「それが私の仕事。誰かに奪われてしまうくらいならその方が良い」

 「僕には何が出来るだろう」

 「何も求めてない」

 「少なくとも出会ってからのエレナを肯定することはできる。それが少しでも心の支えになってくれればいいんだけど」

 ステファンはそんなことを平然と言ってのけて私を驚かせる。上手く言葉を返せなかった私はリディアに意識を集中して頭の中を整理した。

 他者のために自己を犠牲にするというのは、言葉の中だけに存在するまぼろしだと思っていた。そんな人間だったからこそ、自分の能力を証明するために戦って命を失うことも許容していた。しかし、今では奪われることを恐れるあまり、明らかな弱さを心に住まわせてしまっている。リディアのこともそうだが、自らの存在理由が不明瞭なまま死ぬことは怖い。だからこそ、ステファンの言葉は嬉しかった。

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