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23. スミロ・クランク

 アタカマ中央に広がるトネル砂漠は、万年雪を抱える巨大な山脈にその南北を挟まれている。南側は私とステファンが辛うじて山越えを果たしたウルス山脈で、並行するようにウルス街道が西はヘントから東はティロルという街まで伸びている。一方、北側はオルボル山脈と呼ぶらしく、見上げてみるとその標高はウルサ山脈より高いように見えた。これに沿う街道をオルボル街道というのかは知らないが、私たちは山脈に沿う一本道を頼りに東に進んでいた。

 途中に寄った村で聞いた話によると、ピアまではこの道をまっすぐ進むだけらしい。ただ、今が厳冬期ということもあって、街道を移動する者はほとんどいない。私たちも帝国軍との接触を恐れて雪に埋もれた畑のあぜ道を進んでいた。

 「エレナちゃんたちはタラパカから来たの?」

 「そうよ」

 「とっても遠いんでしょう?」

 「ええ」

 馬に揺られながらリディアと雑談を交わす。モストの一件以来、リディアは私たちに心を開いてくれた。その結果、アントンの旧友のヤンという男の存在を知り、彼に会いに行くことになった。雑談は時間潰しの側面が大きい。ただ、リディアのことをもっと知るためにも重要だった。

 「どうやってステファンと会ったの?」

 「ライネの政変に巻き込まれて、逃げた末にステファンの住む村に辿り着いたのよ」

 「最初はこんな話す奴じゃなかったんだぞ。どんなに話題を振ってもずっと無視してさ」

 馬を引いて先導するステファンが振り返る。想像通りだったのかリディアに驚いた様子はなく、確認のために私の顔を見上げてくる。私が首を傾げるとリディアは笑った。

 「それからヘントに来たんだね。お父さんに会うために」

 「そうよ。帝国の魔法師はしつこい。雪山を歩く毎日がずっと続いた」

 「大変じゃなかった?」

 「大変よ。でも、今みたいに馬に乗っていたこともあった。サラっていう賢い馬でね」

 「食料が尽きた時、誰かがサラを食べようって言い出したこともあったなあ」

 「え?」

 ステファンが不必要なことを話してリディアを驚かせる。私は足を伸ばしてステファンの肩を小突いた。すると、行儀が悪いと言わんばかりにリディアが私の太ももに触れて肩を震わせる。私はリディアを包む毛布を整えて一緒に笑った。

 リディアを気遣っているのは親を失った可哀想な孤児だと哀れんでいるからではない。私はかつて帝国の魔法師として最高位に君臨していた。それにもかかわらず、遠方の地で帝国がどんな振る舞いをしていたのか何も知らなかった。ラテノンのようにアタパカを取り巻く環境を変化させたいなどとは考えていない。リディアの信頼を失いたくないだけだった。

 「エレナ、前見て」

 数時間後、私は腕の中で眠るリディアの頭に顔を埋めて、ぼんやりと真っ白い世界を眺めていた。そんな時、ステファンが馬を止めて私の名前を呼ぶ。顔を上げると武器を持った三人の男が見えた。武器といってもシンタマニや銃ではなく、ただの長い棒きれである。私はコートの中でシンタマニを回してステファンに目配せする。向かい合っていると男たちから近づいてきた。

 「エレナちゃん?」

 「そこにいなさい」

 馬から降りる時にリディアを起こしてしまう。私は心配させないように優しい声を出し、ステファンの隣に立って待ち構える。相手は帝国の兵士ではない。貧相な格好をした年配の農夫だった。

 「ここで何をしている」

 「見ての通り移動を。戦禍から逃れるために」

 ステファンが答えると男たちは眉をひそめる。理由は聞かずとも明白だった。彼らの視線は私とリディアに集まっていたのだ。危険度が低いと判断した私は交渉をステファンに任せてリディアの隣まで下がる。リディアの顔には不安が浮かんでいて、私が左手を差し出すと握ってくれた。

 「街道を使ってくれ。ここは我々の土地だ」

 「帝国軍の往来が激しい。鉢合わせるとどんな因縁を付けられるか」

 「でも、その二人は内地の人間だろう」

 やはり冷淡な態度の理由はこれだった。ステファンはそれからも粘り強く話を続ける。こうして立ち止まっている間にも危険が迫っているかもしれない。ステファンが解決できなければ私の出番となるが、リディアの前で乱暴は働きたくない。しかし、最優先に考えるべきはリディアの安全だった。

 押し問答が続いていると、別の集団が後方から近づいてきていることに気付く。数は五人でそちらも帝国軍ではなかった。こちらの一人が手を振ったため彼らの仲間だと分かる。原始的な武器は私の前では無力に等しい。囲まれる前に先手を打つべきだと合図を送ったが、ステファンは小さく首を横に振った。

 「何があった」

 「それが変な奴らが集落を通ろうとしてまして」

 「子供連れか」

 五人組は街に買い出しに出ていたらしい。比較的年齢の若い男で構成されていて、横を通り過ぎる間に一人ずつ顔を確認していく。そして最後の男と目が合った瞬間、男は目を丸くして後方に飛び下がった。私もその男が内地出身だと気付いて首を傾げる。

 「エレナ?」

 男は被っていたフードを取り払って私の名前を呼ぶ。手配書をどこかで見たことがあるのか。最初はそう思ったが、私にもその顔に見覚えがあった。ただ、思い出す前にシンタマニを向けられる。私はコートの中のシンタマニに触れて、小さなルサルカの振動で先制攻撃を阻止した。

 「全員下がれ!王家魔法師のエレナだ」

 「エレナ?」

 「エレナってあの赤の大広間の?」

 「やっぱり軍の斥候だったか」

 「俺は帝国に追われていると聞いた。その間に大勢殺したとも」

 私の正体を知った途端、危機感のない声で噂が飛び交う。どれも真実だが、今はリディアの前である。眉間にしわを寄せた私が一歩前に出ると、魔法師の男はシンタマニを強く握りしめた。

 「何のつもり?」

 「彼らは君の敵じゃない。帝国軍が姿を見せるようになって神経を尖らせていただけなんだ。徴発が酷くて生活を守りたい一心だった。許してほしい」

 口ではそんなことを言っているが、全身から敵意が溢れ出ている。ステファンは困ったようにこちらに振り返り、私は肩をすくめた。

 「僕らは通り過ぎようとしただけです。危害を加えるつもりなんて」

 「思い出した。あなたスミロ?」

 「そうだ。魔法師試験で同じだった。そのよしみで見逃してくれ」

 「見逃すって。彼の言った通りよ」

 そう言いつつ私もシンタマニから手を離さない。スミロは私との技量の差を理解している。安易にルサルカを集める行為は控えていて、その目から次の行動を窺い知ることはできない。油断は禁物だった。

 「聞いてもいいか?」

 「なに?」

 スミロが一瞬だけリディアを見やる。次の瞬間、私はシンタマニを表に出して突き付けた。リディアを狙っているとなれば平和的な解決など存在しない。スミロが慌てて意図を説明する。

 「その子はなんだ?誰の子だ?」

 「私の子供に見える?」

 「冗談言うな。君の子でもないな」

 スミロはステファンにも確認する。ステファンとは人種が異なり、私の子供にしては年が近すぎる。疑いの眼差しが強くなって私はため息をついた。

 「何か勘違いしてませんか?」

 「君には聞いてない。エレナ答えろ」

 「エレナちゃん」

 視線が集まって気持ち悪さを感じたのか、リディアが繋いでいた私の手に力を入れる。その腕を引いてやるとリディアはのっそりと馬から下りて私の後ろに隠れた。スミロはそれを見て戸惑う。

 「違うんだ。怖がらせようとしたわけじゃ」

 「シンタマニを下ろせ」

 私はスミロに強く命令する。リディアを守る立場にある以上、こちらから引き下がることはできない。スミロはしばらくしてシンタマニを仕舞った。

 「スミロさん危険です」

 「大丈夫、私が交渉します。どうせエレナに魔法では勝てない。その子は誰だ」

 「知る必要ない。何も見なかったことにして私たちを通して」

 「それはできない。エレナは帝国の反逆者でありながら、その身分はアタパカで悪事を繰り返す帝国の魔法師と同じ。子供を巻き込むことは許されない」

 スミロは正義感をもって要求を突き付けてくる。こうした非生産的な正義にもすっかり慣れてしまった。その直接の原因が後ろ歩きで近づいてきて耳打ちしてくる。

 「悪い人に見えない」

 「リディアに危害を加えようとしてるなら敵」

 「だからそんなことするような人に見えない。僕らが攫ったと疑ってるんじゃないか」

 「何を話してる」

 スミロが回答を催促してくる。近づいてこようとしたためシンタマニで牽制する。するとリディアが私の腰にしがみついて恐怖を伝えてきた。

 こうなってしまっては魔法はもう交渉手段として使えなかった。丸腰の人間に魔法を使えば、間違いなくリディアに嫌われてしまう。話し合いでスミロを納得させなければならなかった。

 「あなたが納得すれば通してくれるの」

 「もちろんだ」

 「この子に約束できる?」

 「約束する」

 その言葉を聞いて私もゆっくりとシンタマニを下ろす。両手が空くと背中側にいたリディアが前面に回って抱きついてきた。私はそれを受け入れて頭を優しく撫でる。

 「この子の名はリディア。ヘントに住むウルサ家の貴族、アントン・マルティンの娘」

 「アントンの名前は聞いたことがある。ラテノンとの関係が噂されてた男だ」

 「アントンは死んだ。帝国軍に殺された」

 私は事実を簡潔に伝える。するとリディアがより密着してくる。父親の死を理解できたとしてもその悲しみは簡単に癒えない。スミロはリディアの震える背中をじっと見つめていた。

 「その帝国軍とは誰だ。エレナじゃないんだろう?」

 「もし私がそんな人間だったら」

 「分かってる。俺たちはとっくに死んでるだろうね。とても信頼されているみたいだ。エレナがその子を守ったんだな」

 「傷を負わせただけ。アントンを守れなかった」

 過去を悔やむ私はリディアに視線を落とす。アントンが死んだ時はこんな感情とは無縁だった。しかし、苦しむリディアの姿が私に変化をもたらした。私の後悔はアントンを死なせたことに対してではない。その結果、リディアを苦しめてしまったことに由来していた。

 「それで相手は?エレナと渡り合うなんて王家魔法師しかいないが」

 「私たちを追っているのはヴィルゴ家のクラウスとリビオ、そしてグスタフ」

 私は淡々と敵の正体を明かす。これにはスミロも顔を引きつらせる。私たちの逃避行がどれだけ無謀なことか理解してくれたらしい。そしてもう一度リディアを見やる。

 「続きは歩きながらにしよう。案内するよ」

 「必要ない。通してくれればいい」

 「スミロさん。望み通り行かせましょう。得体の知れないよそ者を村に招くのは」

 「聞いただろう、彼らは敵じゃない。それにあの子が心配だ。もうすぐ嵐が来る。そんな中を歩かせるわけにはいかない」

 反発を受けてもスミロは決断を変えようとしない。もう一度断ろうとしたところ、ステファンに先を越されてしまった。

 「ありがとうございます。実はどこで野営しようかと困っていたところで」

 「村まではここから一時間ほど。私の家を使ってくれ」

 「感謝します」

 「ステファン」

 「さあ、二人はまた馬に乗って」

 ステファンの勝手は今に始まったことではない。私たちは馬に乗ると、黒い雲に追われながらスミロを先頭に歩き始めた。そう簡単にスミロを信頼できない。そう思って後ろ姿を注意深く観察していたところ、リディアが戦いにならなくて良かったと呟く。私はそうだねと返事するしかなかった。

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