22. 刺客
夜中、ベッドの上でずしんと体の奥まで響く振動を感じた。横になったまま様子を窺っていると、一分も経たないうちにもう一度起こる。気になった私はベッドから這い出るなり、足音を立てないように窓際に寄った。
外ではパラパラと雪が降っていて、どこの建物も明かりがついていない。しばらく観察して、気のせいだったかと戻ろうとしたところ、正面の建物で小さな影が動く。月明りのない闇夜でそれが何か判別することは難しい。じっと窓の外の一点を見ていると再び床が揺れる。今度は階段が軋む音もかすかに伴っていた。私は床で寝ていたステファンを足でつついた。
「何だ?」
「静かに。囲まれたかも」
「誰に」
「分からない」
漠然としか伝えられなかったものの、ステファンは機敏に起き上がって靴を履く。荷物を背負うと私にリディアのコートを手渡した。
「リディアを」
「ステファンが。私は廊下を押さえる」
「分かった」
私もコートを羽織ると部屋の扉に近づく。ステファンは優しい声でリディアを起こしている。その時、急激なルサルカの揺れを感じた。
「リディアを守って!」
私が一歩下がるのと同時に扉が蹴破られる。そこに立っていたのは二人分の影だった。ルサルカの集め方が上手く、能力のある魔法師だと確信する。攻撃が始まり、私は牽制魔法で対処する。一部はステファンを狙っていたがそれは無視する。リディアを抱きしめて守るステファンに魔法は効かない。その時間を使って反撃に出た。
敵は国家警備魔法師か見習いの王家魔法師だ。そう予想しながらシンタマニを回し、出力を上げたルサルカで二人ともまとめて薙ぎ払う。リディアがいるため窓から飛び降りる無茶はできない。廊下を突破するしかなかった。
「ついてこられる?」
「大丈夫」
泣き叫びこそしていないものの、リディアは震えて怖がっている。私は怒りをもって全身を制御すると、気絶した二人を乗り越えて廊下に出た。大切な命を背負っているため、いかなる敵意も逃すまいと集中する。階段に近づいた時、再び敵の魔法師が現れた。
敵のルサルカはさほど脅威ではない。問題は体力が足りるかということと、どのようにリディアを守り切るかだった。二階の敵を全て排除した矢先、後方からバリバリと木材が割れる音が響く。
「いやっ!」
リディアから叫び声が上がる。振り返ると床に穴が空いてステファンの姿がなくなっていた。心配する余裕も与えられないまま、部屋の窓から侵入してきた魔法師がリディアの背後に迫る。
「リディア!」
私は穴を飛び越えてリディアを抱き締める。そのままルサルカを放つと敵は壁を貫通して外に落ちていった。階下を確認すると激しい物音が聞こえてくる。ステファンが敵と肉弾戦を繰り広げていた。
ひとまず、リディアの頭を撫でて安心させる。そうしていると、廊下の先から部屋着姿のオリヴァーが姿を見せた。
「止まれ」
「私は君たちの敵ではない。やはり魔法師だったか」
「部屋にいなさい」
「連れの男は?」
私は指で下を指し示す。オリヴァーは分かったと頷くとシンタマニを取り出した。
「ラテノンの魔法師?」
「いいや。宣教師は昔から帝国の摘発対象だった。あくまで自衛用だ」
「私と戦う気?」
「馬鹿言うな。その子を守りたい。帝国軍に二度奪わせるなど許しがたい」
その目は信じるに値する。僅かな時間で決断を下した私はリディアを託すことにした。リディアは離れることを嫌がって腕を伸ばす。私はその手を握って微笑んだ。
「心配しないで。ステファンを助けてくるだけ」
「私に守れと」
「そう。下の敵を排除しないと外に出られない。それが出来るのは私だけ」
「相手はそこらの魔法師とは違う。死ぬかもしれない」
「命に代えても守る。そう約束した」
私はリディアの頬に触れた後、階段を飛び降りる。魔法に殺されないステファンであるが、今は魔法師と殴り合って負けていた。私はシンタマニを回してルサルカを集める。それに気付いた魔法師が振り返ったタイミングで攻撃を仕掛けた。三人の魔法師が脳震盪で倒れる。ステファンは鼻血を吹き出しながらも立ち上がった。
「リディアは」
「上にいる。あの宣教師が守ってる」
「オリヴァーさんが?」
「私が敵を引き付ける。リディアをお願い」
「分かった。無茶はするな」
足を引きずりながら、ステファンは階段を上がっていく。私はそれを見届けてから外に出た。これまでの魔法師が敵の全てとは思っていない。ここからが本番だった。
「エレナ・ヘイカーだ」
姿を晒すと建物を取り囲んでいた魔法師が集まってくる。私は全体を一瞥して指揮官を探す。その男は高い身長に堀の深い顔、汚い歯並びが特徴だった。
「エレナ、久しいな」
「誰?」
「赤の大広間で一緒だっただろ。覚えてないか?シータス家のトードだ」
「ああ、あの腰抜けの」
「俺が土人の住む未開の地に飛ばされたのはお前のせいだ。あの日の屈辱は今も忘れてない。モストにいると聞いて飛んできてやったぞ。反逆者を捕えればまたライネに戻れる」
トードはシンタマニを振り上げて興奮している。赤の大広間事件の時、この男は侵入してきたラテノンに恐れをなして逃亡し、そのおかげで一人で戦うはめになった私は英雄となった。当然、後になってこの男の敵前逃亡を報告したわけだが、そのことを恨まれていた。
「降伏するなら今のうちだ。グスタフ様から受けた魔法のことは聞いている」
「だったら自分でかかってこい。腰抜け」
私は素早くシンタマニを動かして取り巻きの数人を無力化する。トードは目に角を立てた。
「殺せ!」
その瞬間、一斉に魔法が繰り出される。大量のルサルカを用いた飽和攻撃だった。ただ、そんな初歩的な攻撃への対処法は幾つも編み出している。魔法を一つずつ分類して処理することは難しい。全ての魔法がルサルカを根源としていることを利用し、一様に干渉することでルサルカの飛来速度を操作する。その瞬間、一点突破を狙ってトードに肉薄した。
「くそっ」
赤の大広間で醜態を晒したとはいえ、トードもかつては王宮魔法師だった一人。私の動きを予測して回避すると、即座に反撃してきた。隙を作っても部下を身代わりにして戦い続ける。狙いは私の体力消耗だった。
湯水のごとく現れる魔法師は私を追い詰めていく。使い慣れた殺傷魔法の使用は今も心が拒絶している。心を開きつつあるリディアとの関係に水を差したくない。その気持ちは今や大きいものとなっていたのだ。しかし、ここで私が負ければリディアの身にも危険が及ぶ。嫌われることは恐い。ただそれも、私が背負うべき罰なのかもしれなかった。
私は残っていた力を振り絞り、ヘントで使ったものと同じ空気を利用した広域攻撃に臨む。今日は雪が研磨剤の代わりとなって、多くの魔法師が体中に深い切創を負った。しかし、トードはそれを回避してみせる。
「その魔法は知ってんだよ!」
今度は私に大きな隙が生まれる。刺し違える覚悟でシンタマニを回したが、体力が足りずにルサルカを集められない。グスタフと一戦交えた時より、体は死を意識する。
「エレナ!」
そんな時だった。弱々しい魔法がトードに向けて飛んでくる。それを追いかけるようにステファンが突進してきた。トードはその魔法を簡単に弾いてみせてステファンにシンタマニを向ける。しかし、何も起こらない。トードの顔に驚きが広がった。
トードが放ったルサルカはステファンに作用しなかったことで空間に漂う。私は咄嗟に魔法を詠唱して干渉を試みる。ルサルカはただちに息を吹き返し、トードに死を運んだ。
「この野郎!」
ステファンがトードを押し倒す。その時にはもうトードの息の根は止まっていた。辺りを見渡すと傷だらけの魔法師がうごめき、雪原が血で赤く染まっていく。動ける者はその場から逃走を始めていた。顔を上げたステファンは不思議そうにトードの死体を見つめる。
そうこうしていると、今度はリディアが宿から出てきた。来ないでと叫ぼうとして、私は咳き込んでしまう。死体の山を築いた私はアントンを殺した集団と何ら変わらない。所詮は暴力装置でしかなく、リディアの目にも同じ人殺しとしか映らないはずだった。
リディアを見るのが怖い。人に嫌われることをこんなにも恐れるようになったのは正しい軍人でなくなってしまったからだ。現実逃避でしか自らを守れずにいると、リディアに抱きつかれる。驚いた私の口から変な声が漏れた。
「エレナ、ちゃん」
リディアの小さな手が私の背中をさする。体に力が入らない私はされるがままだった。震えているのが自分なのか、それともリディアなのかさえ分からない。時間が経ってこれが拒絶でないことが伝わってくる。
「リディア」
「エレナちゃん。ごめんなさい」
これは何の謝罪だろうか。私の胸に顔を埋めるリディアはずっと同じ言葉を繰り返していた。目を合わせるとリディアは涙で頬を濡らしている。苦痛を顔に出さないように肩を抱くと、リディアも私を引き寄せた。
「守るって言ったでしょ」
「うん」
これが人との信頼なのだろうか。私まで目頭が熱くなって、何とか笑って誤魔化す。そこへボロボロのステファンがやってきた。
「悪いけど、逃げないと」
「ええ」
「動けるか?」
私は首を横に振る。本当はリディアと離れたくないだけだった。そこにオリヴァーが悪い知らせを持ってくる。
「二階から松明の行列が見えました。軍がすぐそこまで迫っているようです」
「ステファン、リディアと逃げて。私はもう歩けない」
「いや!」
私の言葉にリディアが強く反発する。首を大きく横に振って、私の腰に回した腕をきつく締める。聞き分けの悪い子供は嫌いなはずだったが、愛おしさが先行していた。
「私の馬を使ってください。二人なら背に乗せて運べます」
「あなたは?」
「私は残って彼らを弔います。生前の行いにかかわらず、死者はそれを受ける権利がある。私の信じる教えですから。では、待っていてください」
オリヴァーはそう言って宿に戻っていく。こんな綺麗事を恥ずかしげもなく口にできるからこそ、宗教家は気に食わない。しかし、今はオリヴァーに感謝する。
リディアはなかなか私から離れようとしなかった。それがこの死屍累々のせいだと分かっていて、私は胸に抱え続ける。騎乗の際はステファンに助けてもらう。リディアは馬の上でも私に体を寄せてくれた。
準備が整うと、オリヴァーに最後の挨拶をしてからモストを出発した。ステファンが馬を先導し、私は冷たい空気を肺の奥まで吸い込んで息を止める。振動が脳に伝わるとそれ以上に視界が揺れる。しかし、リディアと触れ合っている限りは意識を持っていかれることはなかった。
「ピアのヤンおじさん」
「ん?」
真っ暗な道を進んでいると、不意にリディアが口を開く。ステファンは足を止めることなく振り返る。リディアは私の顔を見上げた。
「お父さんの知り合い。ラテノンの人だって言ってた」
「ラテノンの人?」
「よくヘントにも来てた。何回か話したことがあるの。ピアに住んでて、そこでお父さんと同じようなことしてる」
「僕らを助けてくれる?」
「いつもお父さん言ってた。もし何かあったらヤンおじさんを頼りなさいって」
リディアははっきりとした口調で伝える。この時ばかりはアントンが心配していた幼さを感じなかった。リディアは変わろうとしている。本来褒めるべき人間の代わりに、私は後ろから抱き締めた。
「ありがとう」
ステファンと目を合わせてひとまずこの話は保留とする。今は一刻も早く安全な場所に向かわなければならない。頭を使うにしても体力が足りなかった。
リディアはそれからすぐに眠ってしまった。今晩はリディアの体力回復に充てるはずだったが、またこんな目に遭わせてしまった。せめて寒さを感じないようにとリディアの体を毛布で巻いて、顔をすり寄せた。




