21. 宣教師オリヴァー
この日は朝から風雪が酷く、リディアは昼過ぎに低体温症になって一人で歩けなくなった。これ以上の野営は命に関わる。ステファンの判断により、私たちはモストという小さな集落にある宿屋、月光亭に入った。幸いなことに帝国軍の姿はなく、住民の話では来たとしても居座りはしないとのことだった。
「三人泊まれますか」
「大人二人に子供一人かい」
「はい」
「空いてるのはベッドが一床の部屋だけだ」
「そこで構いません」
「先払いの1000クルス」
受付で恰幅の良い男に手を差し出されたステファンはポケットから硬貨を取り出す。最近、ステファンは金の出所に文句を言わなくなった。私とリディアはフードを被ったままやり取りが終わるのを待つ。
「フレイだ。名前は?」
「カール」
「家族かい?」
「親戚です」
「ふうん、内地の人間か」
フレイが私の顔を覗く。顔を隠していたのはまさにこんな反応を心配していたからだ。アタパカでは内地にルーツを持っているだけで疎まれる。私とリディアはそんな敵意から逃げるように俯いた。
「ヘントから逃げてきたんです」
「そういや、一昨日もそんな客がいたな。軍がせっせと西に向かってるのも見てたが、そういうことか」
「ええ」
「まあゆっくりしてくれ。二階の通りに面した角部屋だ。夕食になったら呼び鈴を鳴らす」
「ありがとう」
鍵を受け取ったステファンはリディアの手を引いて階段をあがる。月光亭は見るからに年季が入っていて、階段や廊下を歩くだけでキイキイと軋む音が響く。部屋に入ると、ステファンでは足がはみ出てしまいそうな小さなベッドが目に留まった。聞いていた通りの寂しい部屋だが、ここ数日に比べればましである。壁に打ち付けられた釘にコートをかけると荷物を部屋の隅に並べていく。
「少し寒いな。リディア、ベッドで横になってて」
ステファンは扉の前に突っ立っていたリディアにそう言い、暖炉を覗き込む。薪は部屋に常備されていて、それを組み上げてから火起こしが始まった。リディアはそんな作業をベッド横からずっと眺めている。暖炉の火を安定させたステファンが振り返って首を傾げる。リディアは自分の体を見て躊躇っていた。
「汚れた体でベッドに入りたくないのよ」
「悪いけど、こういう宿屋に風呂はない。どうせエレナと使うんだから気にしなくていいよ」
ステファンは、自分はこっちだと黒ずんだ床に毛布を敷く。それでもリディアはベッドに腰掛けるだけで横になろうとしなかった。私はその様子を見て仕方ないと呟く。
「ステファン、外に出て」
「え?」
「着替えるの。早く」
「あ、ああ」
強引にステファンを追い出した私は荷物からリディアの着替えを取り出す。これも決して綺麗なわけではない。私はシンタマニを手に取った。
「魔法、見るの怖い?」
膝を折ってリディアと目線を合わせる。反応が戻ってくることはないが、その瞳に恐怖は見当たらない。私はシンタマニをゆっくりと回して最小限のルサルカをリディアの服に作用させる。これくらいならば、よほど近くに他の魔法師がいない限り気付かれない。ルサルカはみるみるうちに煤や土汚れを取り払っていった。
「綺麗になった。これを着れば良い」
新品同様とはいかないが随分と見てくれは良くなった。それを渡してやるとリディアの口元が少しだけ緩む。喜んでくれたと思ったが、声を出す前に口を噤んでしまった。
「髪も綺麗にしてあげようか?」
意地を張ったわけではなかったが、私は過干渉気味に問いかける。これにはリディアの肩がビクッと震えた。さすがに魔法が体に触れることは怖いらしい。
「心配ない。見てて」
もう一度シンタマニを回し、今度は私の頭に注目させる。ルサルカが作用すると私の髪でも同じことが起こり、指通りが良くなっていく。リディアは目を丸くして驚いた。
「ね、怖くない。いい?」
髪に触れるとリディアは目をキュッと閉じる。その間にさっと処理を終わらせる。リディアの髪色は私と似ている。ただ、幼い分だけ柔らかく、触っていると不思議な気持ちが湧き上がった。その後、着替えを済ませたリディアはベッドに横になってくれた。
「あれ、寝てくれたの?」
「疲れてたから」
「魔法使った?」
「ええ」
部屋に戻ってきたステファンはリディアの寝顔を見てすぐに気付く。私はリディアが先程まで着ていた服も同じように洗濯する。
「良かったの」
「今日はちゃんとした食事を取れる」
「そうじゃない。怖がってなかった?」
「喜んでくれたからああして眠ってる」
こんな魔法の使い方は初めてだった。一般魔法師の中には魔法で人助けをする者もいる。彼らならば当たり前に知っているのかもしれないが、私は子供を喜ばせる方法など教わったことがない。初めて英雄と呼ばれた時よりもよほど、魔法を使った感触が手に残っていた。
夕食の鈴が鳴り、リディアを起こして食堂に向かうと、他の宿泊者は既に食事を始めていた。基本的に一人の客が多く、そのどれもがアタパカの人間である。私たちの席にも料理がいくつか並べられていて、着席するとフレイが温かいスープを運んでくる。視線が気になるのは私たちが内地の人間だからだ。それが直接リディアに触れないように席を選んだ。
リディアにはデーブルマナーが叩き込まれていて、食事を取る姿には気品がある一方で時間がかかる。そのため、リディアが最後の一口を飲み込んだ時、食堂には私たちの他に一人の中年男しか残っていなかった。ずいぶん前に食事を終わらせていたはずだが、こちらを意識して部屋に戻ろうとしない。あからさまな態度に苛立った私は隠していたシンタマニを握る。
「なに?」
「いえ、その子が気になったもので」
「なぜ」
先手を打って中年男に詰め寄る。リディアに危害を加えるつもりならば容赦はしない。そこにステファンが割り込んできた。
「もしかして宣教師の方ですか」
「お分かりでしたか」
男は頷き、服の中からネックレスを引っ張り出す。鎖の先には鍵穴の形に似た幾何学模様の飾りがついていた。タンタカと呼ばれる、アタパカの一部で栄える土着宗教の紋章である。
「オリヴァーといいます。その子から苦しみが伝わってきたもので、是非お話しさせてもらえないかと」
「いいえ、結構」
「実はそうなんです。最近の混乱で色々とあって。聞いていただけるんですか?」
「はい。是非とも」
宗教など信じるに値しない。そんな価値観から断ろうとしたが、ステファンはすんなりと受け入れてしまう。何を考えているんだと目で非難してもステファンはどこ吹く風だった。
「リディア、少し話をしておいで。大丈夫。宣教師の人はみんな良い人だから」
「ではあの暖炉の前でお話ししよう」
戸惑った顔で私を見上げるリディアだったが、ステファンに背中を押されてオリヴァーに引き渡される。リディアにも宗教を信じる気持ちなどないはずだ。私はステファンの腕を引いて問いただした。
「どういうつもり?」
「宣教師の人と話せるなんて滅多にないよ。色々と苦しみを理解してくれる。もしかしたらリディアの心の傷を癒す方法を知ってるかもしれないと思って」
「そんなわけない。宗教は人の心を貪る危険な思想。彼らの目的はただの金稼ぎ」
「そんなことない、って待って」
ステファンでは話にならない。そう思って私はリディアのもとに向かう。守ると決めた矢先である。弱った心に何をねじ込まれるか分からず、それを黙って見過ごすわけにはいかなかった。ただ、今度はステファンが私の腕を引っ張る。
「怖い顔してる」
「私には一般教養も叩きこまれてる。宗教家の巧妙な嘘も見破れる」
「そんなことしないって。じゃあ後ろで聞いてよう。邪魔しないようにね」
どうしてステファンはこの男を信頼できるのか。私が心配しているのはリディアのことだけではない。仮に正体を知られるとここに居られなくなる可能性もあるのだ。それでも、ステファンは大丈夫だと取り合わなかった。
さすが自らの存在意義を他人に委ねているだけあり、オリヴァーの話し方は上手かった。ただ、リディアは言葉を聞くだけで全く返事をしない。あの日以来、私たちも言葉を交わせていないのだ。初対面の男がそんな簡単に心を開かせられるわけがなかった。困ったオリヴァーは私たちに確認を求めてくる。
「父親が帝国の兵士に殺されるところを目の前で見てしまったんです」
オリヴァーはそれを聞いて言葉を失う。ただ、すぐに暖炉の火に視線を戻してリディアに語りかけた。
「そんな顔をしていたのは大切な人を失った悲しさからだったんだね。これも全て大人が間違いを犯したからだ。もしかしてだけど、自分のせいだなんて思ってるんじゃないかい?」
リディアは壁にかかった絵画を黙って見つめている。オリヴァーはそんなリディアの心の隙間を探し、私はやめさせる機会をうかがっていた。
「人の死に触れると罪悪感に襲われる。これは誰にでもあることなんだ。もしかすると助けられたかもしれない。止められたかもしれない。どうして自分だけが生きているのか。私も母を失った時はそう思った」
リディアがオリヴァーの方を向く。まだその表情に変化はないが、オリヴァーの方は何かを掴んだのか優しい顔をしていた。虫唾が走った私はステファンに合図を送る。しかし、人差し指を口に当てたステファンに黙っているよう指示される。
「苦しく感じるのは当たり前なんだ。大切な人を失ってしまった時は特に。でも、それを一人で抱える必要はないんだよ」
オリヴァーの会話に目立った小細工はない。宗教的な謳い文句も見当たらなかった。だからこそ、リディアが話し始めた時、私は驚いた。
「お父さんが死んだのは私のせい」
「どういうことだい」
リディアがあの日のことを話し始める。抱える罪悪感は帝国兵が屋敷に入ってきた時、アントンのもとに逃げ込んだことに由来していた。言いつけを守って部屋に留まっていればあんな結末にはならなかったかもしれない。そんな後悔に押しつぶされそうになっていた。
「君のお父さんを殺したのは帝国軍だ。だから罰を受けるべきも懺悔すべきもあの乱暴な兵士たち。そうだろう。リディアちゃんじゃない」
「お母さんがあんなことしたのだって私のせい。お父さんとお母さん、いつも喧嘩してた。私がウルサ家の血を引いてたから邪魔だったんだ」
「まさか」
想像以上に悲しい話を聞かされる。オリヴァーはやんわりと否定していたが、私は納得してしまった。クラウディアはアントンと結婚したため、ヘントのような辺境の地で住むことを強いられたのだろう。ヴィルゴ家としての生活を取り戻そうにも、リディアがアントンとの関係を破綻させる上で足枷になっていたと考えれば辻褄が合う。それがアントンの死に繋がったとリディアは考えていた。
「お父さんは強く優しい人だった。そうだろう。いつも街の人たちを助けてた。帝国軍は怖かったんだ。そんな勇気ある人がいると自分たちにとって不都合だから。もしリディアちゃんまで負けてしまったらどうなる?全部あの悪魔の思うつぼだ」
「でもどうしたら」
「まずは深呼吸をして、それで受け入れよう。お父さんの優しい気持ちを引き継げるのはリディアちゃんしかいない。立ち上がってお父さんが生きた証を心に持ち続けるんだ。それがお父さんを安心して休ませてあげられる唯一の方法だから」
リディアは唇を噛む。流れている涙は痛みによるものではない。最後は頷いて綺麗な瞳をより一層輝かせた。
「良い顔だ。私はリディアちゃんのお父さんを知らない。でも、とても強くて優しい人だったって分かるよ。リディアちゃんにもその血が流れてるからね。心の中でちゃんと生き続けてるんだ」
「うん」
「話してくれてありがとう。おかげでおじさんも大切なことを思い出したよ」
オリヴァーはそう言って立ち上がる。ステファンが笑顔でリディアに寄っていくと、初めて見る柔らかい表情を返されていた。羨ましく思っているとオリヴァーが話しかけてくる。
「軍に追われてるのか」
「ええ」
「あの子をどこへ」
「安全なところ」
「君たちは何者なんだ」
オリヴァーが疑問を持つのも無理はない。リディアがありのままを話したため帝国の魔法師に狙われていることが知られた。ウルサ家と繋がりがあることも私たちが一般人ではないことを裏付けている。
「私たちはリディアを託された。それだけ」
「しかし」
「リディアが心を開いたのはあなたのおかげ。それは感謝する。だから私たちがここにいたことは黙ってて。詮索はあの子のためにならない」
「分かっている。例えあなたがどんな人間だったとしても」
「それじゃ」
オリヴァーに口止めをしてステファンとリディアの後を追う。オリヴァーが密告することはないだろう。しかし、あの目は私の中に潜む暗い闇に気付いたようだった。私が人の考えを読むことに長けているように、オリヴァーもこのくすんだ瞳が見てきた過去に触れたのかもしれなかった。
部屋に戻ってからのリディアはまた無口に戻った。これまでの態度が会話の妨げになっているらしい。ステファンはそんなこと気にせず、久しぶりにベッドで寝た感想や料理の味について一方的に話している。リディアと並んで横になった私はそんなステファンに懐かしさを感じる。
「消すよ」
明日の朝も早い。ステファンがランプの火を消すと、真っ暗になった部屋で油が不完全燃焼した匂いが漂う。
「おやすみ」
そんな声を掛けてもステファンからしか返事は戻ってこない。焦り過ぎかもしれない。以前、ステファンに言われたことを思い出して目を瞑る。
「おやすみなさい」
か細い声が聞こえたのは日課としているルサルカの揺れを調べている時だった。ステファンには聞こえなかっただろう。それが嬉しくてリディアの手を握る。寒い森を歩いていた時とは違う。私はリディアに顔を近づけて眠りについた。




