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20. リディアの心

 「見つけたのは食料と防寒具、それと小物が少々」

 「帝国軍は?」

 「いなかった。住民さえも」

 「ヘントのことがあって避難したんだろう」

 ステファンは私の両手に溢れる物資の山から帽子とマフラーを選び、リディアに着させていく。コートは大人用しか見つけられなかった。ステファンはそれを受け取ると、長い裾をナイフで切り落としてリディアの丈に合わせていく。

 ヘントから北に移動した私たちは、すぐに砂漠を回り込む街道を発見した。追手は常に気にしなければならないが、着の身着のままでこの旅は続けられない。そこで、私の提案で街道沿いの集落から物資を集めてくることになった。

 訪れたのは平屋が数軒だけの小さな集落で、生活の営みは全く感じられなかった。踏み込んだどの家ももぬけの殻で、めぼしい物資は大半が持ち去られていた。その結果、わずかな干し肉と固いパン、調味料しか手に入っていない。

 「これでどう?」

 ステファンが手直ししたコートをリディアに渡す。上手く出来ていたが、しゃがみ込んだままのリディアは反応を示さない。世話焼きのステファンはわざわざ着させてあげて、私もコートに巻き込まれた髪を耳より高い位置で結ぶ。裾は少し長い程度で歩く分には問題なさそうだった。

 リディアはあの夜から一言も口を利かなくなった。手を引くと素直について来るようにはなったが、気力がまるでなく、ステファンは心に負った傷を心配する。自暴自棄にならないように支えてあげたいが、私たちに対する敵対心は一向に収まりそうにない。希望を失った虚ろな目はこれまでの旅で何度も見ていたものだった。

 「早速ご飯にしよう。ずっと食べてないからお腹空いてるもんね?」

 「今は移動を優先した方が」

 「ううん、せっかくだし何か食べよう。火起こしも上手くなったからすぐに準備できる」

 ステファンは私の言葉を遮り、手に入れた鍋に雪を集めて枝と枝をこすり合わせ始める。私には干し肉を一口大にちぎる作業が与えられた。その間もリディアは微動だにしない。

 スープが出来上がると、疲弊した私たちは嫌でも食欲を刺激された。リディアは器を差し出されても無視する。それが抵抗の意思表示なのか、父親を失った精神的な苦痛によるものかは分からない。ただ、空腹は感じているはずで、私はリディアの頰に手を添えると顔を上げさせた。

 「睨む元気があるなら食べられるでしょう」

 されるがままのリディアは眉間にしわを寄せる。器を近づけると払いのけようとし、その動きを先読みした私は手を押さえて顔を近づけた。

 「父親を裏切るのね」

 「エレナ」

 「アントンはあなたが生きることを願った。その最期の想いを踏みにじるつもり?」

 再び睨まれる。しかし、今度は力を感じない。瞳に涙が溢れるとそれは一直線に頬を伝った。私は掴んでいたリディアの手に器を握らせる。

 「私たちはアントンとの約束を守る。あなたを死なせたりしない。食べないならまた魔法で口に押し込む。嫌なら自分で食べなさい」

 「エレナ、言い方をもう少し」

 ステファンに諭された矢先、リディアは嗚咽を漏らした。手の甲で拭っても悲しみは止まらない。万が一勝手な行動に出た時に備えて私の手はシンタマニに向かう。しかし、最後は悔しそうにスープに口をつけていた。

 食事が終わると移動を再開する。街道を歩いていてはいつ帝国軍と鉢合わせるか分からないため、街道に沿った森の中を進んだ。ステファンが全ての荷物を背負うかわりに、私はリディアのお守を任される。手を握る私たちを見たステファンは微笑んでいた。歩調はリディアに合わせられる。

 案の定、街道では帝国軍の移動がたびたび認められたが、ウルス街道であったような大規模なものではなかった。せいぜい数十人程度と人数が少なく、全てがヘントに向かっている。他方で、背後からの追跡者は全く現れなかった。リビオやクラウスはヘントで傷を負った。へニアがさらに打撃を与えていた場合、私たちの追跡が困難になっている可能性も考えられた。

 とはいえ、動きを抑制されているのは私たちも同じだった。これまでとは違い、リディアの負担を考慮して日没になると必ず休息を取る。この日も野営に適した場所を見つけて、食事の準備が始まった。

 ステファンは作業中、黙って考え事をすることが多くなった。それがニーナやへニアの心配事だろうと何となく想像している。直接話題には上がらないものの、ラッサに残した知り合いや命を張った旧友をステファンが心配しないはずがない。

 そんな観察をしていたところ、リディアがおもむろに立ち上がる。そして何も言わないまま森の奥に歩き始めた。

 「どこ行く気?」

 私が肩を掴んで問いかけると振り返ったリディアが唸る。その体は小刻みに震えていて私はなるほどと納得した。

 「ステファン、少し用」

 「ん?ああ、分かった」

 ステファンが手を挙げて了解を示すと、リディアに進んで良しと合図する。どうやら手洗いを我慢していたらしい。腐っても貴族なため、こんな森の中で用を足すのは初めてかもしれなかった。

 「あまり遠くに行くな」

 私の言葉を無視してリディアはどんどんと進む。決心がついたのは雪を被った倒木のあたりだった。私がその場で立ち止まるとリディアはその裏に回り込む。逃げようとする意志は感じない。

 どうして私がこんな世話までしなければならないのか。子供は嫌いではないが、聞き分けの悪い人間は大人であっても苦手で、人の世話はもっと苦手である。ウタラトスを逃がす時もそうだった。しかし、リディアを守ると決めたのは他の誰でもなく自分自身で、義務が発生すれば当然責任を負わなければならない。心の中でそんな覚悟を復唱していたとき、リディアの悲鳴が森にこだました。

 何事かと倒木を回り込むと、そこには腰を抜かしたリディアの姿があった。視線の先では隊列を組んだ十人ほどの帝国軍兵士がこちらを見ている。リディアは過呼吸に陥りながら声にならない悲鳴をあげ続け、私に縋りついてくる。アントンを殺した人間と同じ格好の兵士を見て恐怖が蘇ったようだった。

 私は決断に迫られる。帝国軍がこんな森の奥にいる理由は不明だが、見られた以上はこのまま立ち去るわけにもいかない。幸い、相手に魔法師はいない。排除自体は簡単だとシンタマニを握った瞬間、リディアの視線を強く意識してしまった。

 私のシンタマニを見て兵士は直ちに銃を構える。リディアを守らなければいけない。そんな気持ちが先行したが、リディアの前で人を殺したくないという気持ちが不意に湧き上がる。人殺しと言われた時の衝撃が全身の筋肉を硬直させる。

 結果、繰り出した魔法は引き金にかかった人差し指をへし折る中途半端なものだった。兵士はあらぬ方向に曲がった自らの指に驚き、苦悶の表情を浮かべる。ただ、これだけで人間は戦意を喪失しない。安全を確保する一番の方法は敵の殲滅だったが、そんな誘惑を振り払って今度は兵士の右膝を捻じ曲げた。

 男たちの野太い叫びが起こる。これで私たちを追ってはこれないだろう。そう判断した私は動けないリディアを抱きかかえて来た道を戻った。いつもは使わない魔法のせいで体力を余分に奪われた。リディアはまだ叫んでいる。ステファンがしていたように背中をさすると次第に落ち着き、最後は過呼吸だけが残った。

 「どうした?」

 「帝国軍がいた」

 「すぐ出発しよう」

 野営場所まで戻って事情を説明すると、ステファンは直ちに鍋の中身で焚火を消して撤収の準備を始める。私はリディアの荒い呼吸を落ち着かせようと悪戦苦闘していた。私のコートを握りしめる手は酷く震えている。心配いらないと何度も囁き、その手を温めるために指を絡めた。

 「すぐ追ってきそう?」

 「足を折った。でも殺せなかった」

 「それでいい。そのままリディアをお願い」

 荷物を背負ったステファンが先導を始める。私はリディアをぴったりとそばに寄せてそれに続いた。雲の切れ間から顔を覗かせる月の光は弱々しい。しばらくは不安と隣り合わせの状態が続いた。

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