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19. 魔法師にできること

 体に降り積もる雪を手で払いのけるたび、後ろを振り返って目を凝らす。ヘントを脱した後、私たちは追手を気にしながら逃げることに注力した。へニアに預けていた荷物を全て失ったため、体力回復の術はない。それでも体に鞭を打ち、リディアを背負ったステファンに置いていかれないようにする。シンタマニを握る手はかじかみ、震えている。ここがどこだか分からないまま時間だけが過ぎていた。

 夕刻、馬車を降りた森が見えてきた。太陽は今にも沈もうとしていて、街の方角からカラスの群れが飛んでくる。こだまする鳴き声は頭痛を誘発し、私はとうとう足を止めてしまった。それに気付いたステファンも膝に手をついて大きく息を吐く。その時、眠っていたリディアの頭が持ち上がった。

 「嫌だ!離せ!」

 再び暴れ始めたリディアは、ステファンの背中を蹴って地面にドサッと落ちる。その後、四つん這いで逃げようとしたが、雪に埋もれてもがくだけだった。ステファンが抱き上げると両手足を振り回す。

 「この人殺し!」

 「リディアちゃん、落ち着いて。僕らは敵じゃない」

 「お父さんを返して!返せ!」

 髪を引っ張られてもステファンはリディアを離さない。そのまま木にもたれ掛かると小さな声で慰め続けた。リディアは腹の底から声を出して泣いている。私はその声が遠くまで伝わることを心配する。

 「人殺し!嘘つき!」

 「ごめんね」

 ステファンが片方の手を離すと、リディアはその腕に噛みつく。そんなことをされても、もう片方の手はリディアの背中を優しくさすっていた。血と涙が混じり合って雪の上に落ちる。数分後、リディアは大人しくなって口を利かなくなった。

 「エレナ、ちょっといい」

 「なに」

 ステファンに呼ばれて二人の前に腰を落とす。リディアは私を睨み、すぐに視線を地面に戻した。

 「リディアちゃんのこと、少し見てて。暗くなるまでに食べ物と寝床を探さないといけない。エレナも疲れてるだろうから僕が探してくる」

 「嫌がってるんだから好きにさせればいいのに」

 「駄目。いいね?」

 「分かった」

 「じゃあお願い。リディアちゃん、ここで大人しくしてて」

 ステファンは雪をかき分けた土の上にリディアを座らせ、小走りで森の奥へと消えていく。私は言われた通り、リディアの隣に座る。二人きりになると性懲りもなくリディアの足に力が入る。私は手首を握って忠告した。

 「私はステファンほど優しくない。大人しくしてなさい」

 そう聞かされてもリディアは爪を立てて私の指を引き剥がそうとし、最終的にシンタマニで脅されて抵抗を諦める。二人して足を伸ばすと落ちてくる雪を眺めた。

 「憎みたければ憎めばいい。でも、ステファンの気が変わらない限りは一緒に居てもらうから」

 「人殺し」

 「そうよ」

 「魔法師はみんな人殺しなんだ」

 「否定はしない。でも、きっかけが自分の母親だって本当は分かってるんじゃない?自分で言ってたでしょう。あの兵士を連れてきたのは誰か。アントンはそいつらに殺された」

 静かに事実を突きつけるとリディアは両膝を抱いて涙を流す。子供相手にきつい言い方だったかもしれない。しかし、黙って痛みを受け入れられるほど私の心は広くない。それからお互いに一言も話さなかった。

 ステファンは日没後になって戻ってきた。冬の山に食料が都合よく落ちているはずもなく、収穫は小さな木の実と奇妙な形をしたキノコ、それに細い枝だけだった。寝床は倒木の根元を選び、三人で身を寄せ合う。夜になると途端に寒さが厳しくなる。ステファンは悪戦苦闘しながら火を起こし、その熱を三人で共有した。

 食料は全てリディアに回したが一つも食べてくれなかった。そんな反抗的な態度とは裏腹に、寒さで体を震わせている。それらを代わりに食べた私は魔法で雪を集めて火にかける。ステファンが不思議そうに見つめる中、宙に浮いた氷の塊は水に変わり、徐々に温まっていく。指先で適温を確認すると、まるで蛇を捕まえるようにリディアの顎を素早く掴んで口を開けさせる。そして、ステファンの制止より早く、温水を流し込んだ。

 冬の野宿は子供にとって厳しい。リディアに死なれては努力が報われず、これには体を温める意図があった。魔法に怯えたリディアは四肢を脱力させ、素直に飲み干した。

 食事が終わると、私とステファンの間にリディアを移動させて暖を取らせた。若干ステファンの方に寄っているのは先程の乱暴な振る舞いのせいだろう。夜が更けてくるとリディアはそのまま眠る。ステファンはそっと自らの膝に乗せて上着でくるんでやる。その横顔にも疲れが見えた。

 「これからどうしようか」

 「ラテノンとの繋がりは途絶えた。逃げるにしてもリディアがいる」

 「アントンの部屋に飾ってあった地図には砂漠の北側を回る街道が描かれてた。どれくらい正確か分からないけど、きっと村や街があるはず」

 「帝国軍がいるかも」

 「その心配は辿り着いた後にしよう」

 火力の弱まった焚火に枝をくべると火花が散る。リディアの顔を覗き込んだステファンは歯型のついた手で涙の跡を拭った。

 「酷いことをしてしまった」

 「魔法師を呼んだのは母親。ヴィルゴ家出身だったなら動機はある」

 「そうだね」

 ステファンは興味なさそうに答える。二人で逃避行を始めて、もうどれだけ経っただろう。今回のことでステファンはまた魔法師に対する見方を変えてしまったかもしれない。自分の中でも魔法師のあるべき姿が曇っていく。

 「ライネじゃ魔法師は尊敬の対象だった」

 「だろうね」

 「街で子供とすれ違えば笑顔で敬礼される。感謝を伝えてくる人も多い。国のためにありがとうだなんて漠然とした感謝を」

 私はライネで過ごした日々を思い出す。なぜこんな話を始めたのか。間違いなく、リディアから吐き捨てられた言葉が原因だった。

 「けれど、誰も本当の私たちを知らない。どんな仕事をしてるか。所詮はただの人殺し」

 「相手はラテノンの魔法師や反体制派なんだろ?帝国からすれば平和を脅かす存在で、そんな奴らと戦うエレナは国を守る勇敢な兵士なんだろう」

 「その結果、この子は家族を失った。私の正しさは軍人としての正しさだった。帝国のために戦い、命令に従う。でも、誰かの家族を奪えと命令されたことは一度もなかった」

 私が人殺しなのは事実である。奪った命の数などもう覚えておらず、平気でいられたのは軍人としての思想が心を守っていたからだった。ただ今は、そんな鎧を脱がされて丸裸で立っている。魔法師として能力を発揮し、正しい軍人として振る舞う。それは決して子供に人殺しと呼ばれるためではなかった。

 「アントンを殺したのは私じゃない。けれど、この子は私を人殺しと呼ぶ。魔法師だから同じなんだと」

 「エレナはそんなこと言われても平気なんだと思ってた。だから人を殺せるんだと」

 「そのはずだった。だけど分からなくなった。言われたことがなくて気付けなかっただけなんじゃないかって」

 違和感はラッサにいた頃から燻っていた。それがリディアの言葉で抱えきれないほど膨らんだ。口に出したからといって萎んではいかず、弱みを漏らしても心は救われない。

 「エレナにとって魔法師はどんな存在なの?正義の執行者なのか、それとも単なる暴力装置なのか」

 「どちらでも構わない。命令に従うことが大切。全ては主の心次第」

 「じゃあ、ウノカイアって次期皇帝がリディアを殺せと命令すれば殺すんだな」

 「それは」

 意地悪な質問だった。そんな無意味な命令が下されることはあり得ないからだ。ただ、リディアの寝顔を見つめるステファンに冗談を言っている様子はなかった。もし本当にそんな命令が下れば、私はどうするだろうか。考え始めると気分が悪くなっていく。

 「祖母が言ってた。魔法は弱者が編み出した技術の結晶なんだって」

 「その力でリディアを殺せるのかって聞いてる」

 「昔の自分なら殺したかもしれない」

 「今はできない。そういうことでしょ?どうして遠回しにしか言えないの」

 ようやくステファンが私と目を合わせてくれる。癪に障る態度だと思わず目を細めたが、そこに拒絶や恐怖がないと分かった途端、顔が熱くなった。

 「私を分かったような言い方しないで」

 「この旅のおかげだよ。エレナがそんな人間じゃないって知れたのは。いや、違うな。そういう風に変わってきたんだって」

 ステファンは私の価値観が変化したのだと主張する。当然、軍人としては認められない。ただ、間違っていると反発するには偽りの自分を演じなければならなかった。

 「理想の魔法師像はもう消えてしまった」

 「僕にはその理想がどんなものか分からない。でも、過去の行動と辻褄を合わせる必要なんてないと思う。悩んでるエレナは今のエレナなんだから」

 「どういうこと?」

 「僕だって後悔してることは幾つもある。だけど、それに振り回されないようにしてる。そうじゃないとエレナと一緒に旅なんてできないって」

 ステファンは体を揺すらないように笑う。それが不和を起こさないためだということはすぐに分かった。ステファンの言葉には説得力を感じてしまう。帝国軍に両親を奪われた過去を持ちながら、帝国の魔法師である私を救ってくれたのだ。

 「リディアは二度と心を開いてくれないかもしれない。それはもうどうしようもない。でも、守ってあげることはできるはず。それが今できる最善だと思うんだ」

 ステファンはそう言ってリディアの頭を撫でる。リディアからはきっと自己満足に見えるだろう。ただ、そんな不安も蘇ってきたアントンの最後の言葉が拭ってくれる。

 「そうかもね」

 私も手を伸ばしてリディアの頬に触れる。リディアのために何ができるのか。自己犠牲の経験がほとんどない私は、新しい価値観を前にして不安が先行する。それでも、ステファンと一緒ならば挑戦してみるのも悪くなさそうだった。

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