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16. 立ち往生

 アタカマにある国境の街の中で最も大きいヘントは隣国エイノットとなだらかな高原を介して繋がっている。帝国はここを通じてエイノットがアタパカに干渉していると疑い、かつてより中規模の帝国軍を駐屯させていた。しかし、最近のラテノンの活動によってどうやら軍は街から追い出されてしまったらしい。その結果、私たちの先を進んでいた帝国軍もヘントの手前で足踏みを余儀なくされていた。周囲の村や街がラテノンと一体となって帝国への非協力を貫き、進軍を妨害していたのだ。

 影響を受けたのは軍だけではない。街道が封鎖されたことにより、土地鑑のない私たちも同様に足踏みせざるを得なかった。同じ状況に陥った旅人や行商人は他にも多くいて、その内の一人から近くの教会が宿として開放されたと聞いて向かうことにした。

 「すごい人だ」

 教会は街道から少し外れたところにぽつんと建っていた。裏手には山脈に繋がる森があり、そこで焚火をしている者が見える。混雑は建物の周りがひどく、ヘント入りを諦めた商人がここで商品を売り捌く光景も見られた。ステファンが話を聞き回った結果、まだ誰もヘントに入る手立てを持っていないことが分かる。ヘントは砂漠のオアシス都市で、迂回する道がないというのだ。

 「追手が迫ってる。のんびりしてはいられない」

 「でもどうする?強引に街道を突き進むのか、それとも別の道を探すのか」

 私たちは教会内の長椅子に座り、太陽光を反射して輝くステンドグラスを見上げる。祭壇には女神の木像が鎮座しており、その前では数人の男が床に頭を擦り付けて祈りを捧げていた。私はそんな奇行に思わず吹き出す。世の中にはまだ神の存在を信じ、平気で情けない姿を晒す者がいるらしい。

 「お困り?」

 背後から声を掛けられたのは、議論が行き詰ってお互いにぼんやりと時間を過ごしていた時だった。振り返ってみるとフードで顔を隠した女が二つ後ろの列に立っている。高い声と小柄な体格から女だと判断したわけではない。この禍々しい雰囲気には身に覚えがあった。悩んだ末にシンタマニにかけていた手を離す。どうやら私のあては外れてしまった。フードが取り払われるとステファンは素っ頓狂な声を出した。

 「へニア!?」

 「ステファン、元気だった?」

 へニアは乱れた黒髪を耳にかけてにっこりと笑う。そして、長椅子の背もたれに両手をついたかと思えば、それを軽々と飛び越えて私とステファンの間に割り込んできた。押しのけられた私はしかめっ面をしてみせたが、当のへニアは一瞬のうちに二人の世界を作り上げてしまう。

 「どうしてここに」

 「ずっと待ってたんだ。会いたかった」

 「ラッサに戻ったんじゃ」

 「色々あったんだ。でも話は外で。ここじゃ誰が聞いてるか分からないだろ」

 今のステファンには開いた口が塞がらないという言葉が一番よく似合う。へニアに腕を引っ張られて立ち上がっても呆けた顔をしていた。

 「お前も来るのか」

 「当然」

 このままでは宣言通りステファンを連れていかれる。そうなっては私が約束を果たせなくなるため、渋々二人の後についていく。

 裏口から外に出るとそこには何もない雪原が広がっていた。目を凝らすと直線に伸びる畝の跡を見つけられ、ここが畑なのだと分かる。へニアはステファンの手を握ったままその縁を回って森へと向かう。その道中、ようやく我に返ったステファンがへニアを立ち止まらせた。

 「ちょっと待って。どういうこと?ラッサに戻るよう言ったはずだけど」

 「できるわけない」

 「どうして?」

 「分からない?ステファンが好きだからだよ!」

 追及を受けたへニアが感情的に言い返す。対するステファンは真正面から気持ちを伝えられて威勢をなくしていた。緩む口元が腹立たしい。ステファンを現実に引き戻そうとしたところ、何かを察知したへニアがステファンの肩を抱き締める。愛おしそうに頬ずりするその姿に偽りはないが、相手が狂人だということを忘れてはいけない。

 「クレムスには帝国の魔法師が迫ってた。だからこの腰抜けの代わりに私が追い払うことにしたんだ。本当はずっと一緒に居たかった」

 へニアは私を指差してため息をつく。今更こんな敵対的な態度に驚きはしない。問題はステファンの方で、話の半分も理解できていない。ただ、本人もこれではいけないと思ったのか恐る恐る口を開く。

 「どうして、へニアにそんなことができる?」

 「だって私も魔法師だから」

 へニアが青銅製のシンタマニを躊躇いなく取り出す。私も咄嗟に自らのシンタマニを握ったが、ルサルカの揺れはない。正体を明かしたへニアはすぐにシンタマニを隠した。

 「な、何言ってるの?ヘニアが魔法師なわけ。どうしてシンタマニなんて」

 「こいつやっぱり話してなかったか。クレムスで死んでくれればいい厄介払いとでも思ってたんだろ」

 「ちょっと待って。へニアが魔法師?」

 「ええ。でもこいつらとは違う。これはステファンを守るためだけの力だから」

 へニアは調子の良いことを言ってステファンをさらに困らせる。私が一歩前に出ると鋭い視線で威嚇される。場を支配されないためにも、私は冷静な声で反論した。

 「魔法師になるためには幼少期からの鍛錬が必要。クラウスと戦って生き延びたのだから、記憶がない頃から知識を叩きこまれたはず。へニアが魔法師なこととステファンは関係ない」

 「部外者が口を挟むな!」

 「エレナさんは知ってたの?」

 「ええ。私はへニアの魔法を二度見てる」

 「そう、なんだ」

 「私の言葉は信じないのに、この殺人鬼の言うことは信じるんだ」

 わざと悲しそうな顔をするヘニアはステファンから少し離れる。その隙を逃すまいと私はステファンの横に並んだ。へニアは両手をコートのポケットに突っ込んで拗ねてみせる。

 「私はステファンをラテノンまで連れていく。その後は好きにすればいい」

 「誰が一緒に行くと言った?お前となんて」

 「あなた、ラテノンの魔法師なんでしょ?だったらどこに拠点があるか知ってるはず」

 「私はどこにも属してない。居場所はステファンの隣だけ。そもそもお前は私たちの仇だ。ステファン、騙されちゃ駄目だ」

 風が吹いて雪原から巻き上げられた氷の粒が頬に当たる。アタパカの人々でさえ初対面の私に憎悪を募らせる。そのため、へニアの言い分も分からないわけではない。ステファンは私たちの言い合いが途切れたタイミングで問いかけた。

 「ラッサに戻るつもりはないの」

 「ない。私にとって生きる希望はステファンだけ。もう離れない」

 「そっか」

 「やっぱり邪魔だったか?」

 「実は僕ら、ヘントに向かってるところなんだ。ウルサ家のアントンという男と会うために」

 「ステファン」

 ステファンが唐突に今後の予定を話し始める。慌ててやめさせるも後の祭りだった。へニアはあまりにも危険すぎる。ステファンを優先するあまり正常な判断ができておらず、そんな人間に行先を明かすなど軽率だった。

 「ヘントか。この調子だと難しそうだな」

 「だから立ち往生してた。へニアもそうなんだろ?」

 「ん、どうかな」

 へニアが悪そうな表情をする。ステファンを取り込むために悪巧みをしている顔だった。ただ、危機感を募らせる私の前でステファンはまんまとその罠に飛び込んでいく。

 「何か知ってるの?」

 「まあね。私は少し前からここにいた。ステファンを安全にヘントまで連れていく道はもう見つけてある」

 「ウルサ家との接触には反対しないのね」

 「お前のせいだ。ステファンは今や帝国のお尋ね者。守るためなら誰だって利用する」

 「アントンが味方になってくれる保証はあるわけ?」

 「お前には関係ない」

 「へニア」

 ステファンだけがへニアを言い聞かせられる。態度を咎められたへニアはばつが悪そうに舌打ちした。

 「アントンはラテノンと反体制派の橋渡し役だ」

 「どうして知ってる」

 「調べた。今まさにヘントで反体制派を動かしているのもアントン。ラテノンの指示を伝えてる。屋敷の場所も見つけた」

 「まるで私たちがアントンに会いに行くことを知っていたみたいね」

 「ヘントに行く理由なんてそれしかない。協力してやってもいい。お前が約束を守るなら」

 喧嘩腰のへニアがゆっくりと近づいてくる。どうして魔法で敵わない相手にこんな態度を取れるのか。私はそんな疑問を飲み込んで向かい合う。

 「約束?」

 「ラテノンと合流した暁にはステファンから離れろ」

 「もとからそのつもり」

 私は即答する。もともと、ステファンとは案内人と用心棒のような関係だった。目的を果たせばそれ以上一緒にいる必要はない。私の返事を聞いたへニアは何度か頷いて笑みを浮かべた。

 「じゃあ決まりだな。そうなれば一日も早くヘントに行かないと。荷物はそれだけか?」

 「へニア、本当に大丈夫なの」

 「心配いらない。森を抜けて迂回するルートがあるんだ」

 私への威圧を止めたへニアはその場で反転して再び森へ歩き始める。ステファンは終始困った顔をしていた。それならば最初から毅然とした態度を取るべきだったと私はイライラする。魔法師と聞かされた時の受け止め方が私の時と違っていたことも気になった。考え始めると不満がどんどんと湧いてくる。

 「なぜあなただけがその道を知ってるの?」

 「調べたって言っただろ。ヘントみたいな大都市が往来を遮断なんてできない。そんなことすれば住民は飢え死にだ。だからラテノンは秘密裏に物資の輸送ルートを構築した。それに紛れ込む」

 「危険そうに聞こえるけど」

 「私がステファンを危ない目に遭わせるわけがない」

 へニアの返事は直接的な安心感には結びつかない。それにもかかわらず不思議と説得力があった。一方、身の安全が確約されたステファンが今になって一番怯えている。味方になってくれなかった罰も込めて、今は放っておくことにした。

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