15. 死者は誰か
数時間かけてクラムシーという街に到着した。出発が遅れたこともあり、門をくぐったのは太陽が地平線に触れ始めた頃で、その時には全てが終わっていた。肉の焼ける臭いが鼻につき、崩れた建物からは黒煙がもうもうと上がっている。街で一番背の高いレンガ造りの鐘楼に目を向けると、尖った屋根に五芒星の旗が靡いていた。
「これは一体」
「帝国軍だよ。旅のお方かい?」
「はい」
「運が良かったな。一日早ければ巻き込まれてた」
生き残った住民は死んだ顔つきで片付けに追われている。声を掛けてきたのは担架を運ぶ男だった。乗せられているのは体を蜂の巣にされた若い女性。帝国軍にも死人は出たようだが、今のところ彼らの死体は無造作に放置されていた。
「それで軍は?」
「さあね。ここに一人の兵士も置かずに街道を西に突き進んでいったよ」
「だったらどうして戦いが?」
すでに帝国軍がいないことを知って私は疑問を抱く。クラムシーを占領するつもりがなかったならば、軍にとってこれほどの戦闘を起こす意味はない。男は担架の女性に視線を落とす。思い出すことも苦痛のようだった。
「ここにラテノンの拠点があったんだ。街の誰も知らない秘密の拠点が。俺たちは通過させるつもりだった。用がないなら出ていってもらうだけだからな。だけど、あいつらはそれを許さなかった。軍の隊列に奇襲を仕掛けてその結果がこれだ」
「多くの住民が巻き込まれた」
「そうだ!みんな慎ましく生活していただけだった。なのに弾丸が降り注いできたんだ。ラテノンと関りのなかった男たちも家族を守るために武器を取った。でも間に合わなかった」
男は悔しそうに歯を食いしばる。その時になって、運ばれている女性とこの男が同じ柄の手拭いを握り締めていることに気付いた。手首には傷だらけのシリヴァスタがもの悲しげにぶら下がっていて、二人の関係性が容易に想像できる。私は被っていたフードを取って右手を額に当てる。祈りをささげた後、ステファンにも小声でその事実を伝えた。
「お悔やみ申し上げます」
「いいんだ。もうひとしきり泣いた後だ」
ステファンに優しく語り掛けた男が私に視線を移す。その瞬間、純粋な憎悪が私の体を貫いた。咄嗟に顔を伏せたものの、険しい表情をする男から忠告される。
「ここに長居しないほうがいい」
「そうします」
祈りを終えたステファンは一礼してから踵を返す。男も再び歩き始め、その影は伸びきった末に闇に消えていった。私は唇を噛んでフードを被り直す。
「エレナさんが罪悪感を覚える必要はないよ」
「分かってる」
「でも言われた通り、僕らは街の外を行こう」
理不尽だ。そう言い出せなかったことで私たちは街を南から迂回することになった。北を選ばなかったのは広がる砂漠が野宿に不向きだったからだ。沈んだ心で歩き続け、森の中に寝床を見つけた時には綺麗な星空がクラムシーを包んでいた。
火を起こしたステファンはいつもと変わりなく食事の準備をする。メルクの件から連続している。帝国軍はアタカマでも動きを活発化させているようだった。
「ちゃんと食べて」
スープの器を握ったまま考え事をしていると、ステファンが鍋の残りを全てくれる。ありがとうと呟いて口をつけたが、唇を濡らすだけで味を感じられない。
「どうかした?」
「軍の目的は何だろう」
「さあね。そういうのはエレナさんの方が詳しいんじゃないの」
ステファンは空になった鍋を洗う。私は揺れる炎をぼんやりと眺めて首を横に振った。
「魔法師は軍属だけど軍に詳しくない。でも、動いてる規模を推測すると恐らく数千ほど。実際に戦闘する兵士はそれより少ないと思う」
「街道沿いを占領して回るには少なすぎるな」
ステファンの言う通りだった。当然、一人の魔法師を捕まえるにしては多すぎるわけで、私たちが標的というわけでもない。
「アタパカの大きな街には帝国軍が進駐してる。増援じゃないか?」
「そうね。クレムスでも戦力が足りてなかったから。でも腑に落ちない」
「何が」
「やり方が少し、生ぬるい。軍隊の動かし方は知らないけど、これまで帝国が戦争に勝ってきたのはその圧倒的な戦力で敵を蹂躙してきたからだった。今回は数が少ない気がする」
帝国の歴史も必須教養の一つだった。表舞台から消えたやましい歴史も祖母や師匠から学んでいる。それらの知識と照らし合わせると、今回の騒乱は不気味に思えた。
「なるほどね。それに、占領には街の人たちの協力が必要。なのに信頼関係を築くどころか死人を出して憎悪を募らせてる」
「それはラテノンも同じ。戦いを仕掛けなければ死人は出なかった」
「確かに。無抵抗こそ見かけの被害を一番小さくできる」
「そうじゃない。どうして街で戦いを始めたのかってこと。仮に軍の接近を知っていたのなら、住民を避難させればよかった。私にはラテノンがクラムシーの人々を切り捨てたように見える」
そこまで言って私ははっと口を閉じる。アタパカで暮らす人々の一部は、帝国の圧政に対抗する上でラテノンに期待を寄せている。ステファンは私のこんな言い草を気に入らないかもしれず、自ら溝を深めてしまったのではないかと後悔が湧いた。
「ごめん」
「どうして謝るの?僕だって街の人を巻き込んだラテノンはどうかしてると思う。心配しなくていい。僕はエレナさんを上辺だけで判断したりしない」
「え?」
「内地にルーツがあるから帝国の肩を持つとか、そんなふうに考えないってこと。心を寄せてくれるだけで嬉しいよ」
ステファンは優しい顔で食事を続けるよう目配せをしてくる。ただ、そんな言い方をされては余計に納得がいかなかった。私にとってアタパカの行く末などどうでもいい。私は自らの思想に従っているだけなのだ。
「私はもう、子供の死や、生き延びた子供が兵士の死体に石を投げる光景を見たくないだけ」
「あれはね。僕もごめんだ。だけど、ヘントを目指すなら軍を追いかけないと」
「誤魔化さないで。何も思わないの?」
「うん?」
ステファンの反応は軽い。そう感じた私は器を地面に置いて両腕で膝を抱える。ステファンは急かすことなく焚火をつついて待ってくれる。煙が増えると星が点滅して悩みが広がった。
「私はこれまでにたくさんの人を殺した。あなたの前でももう8人殺してる。そんな人間が綺麗事を言ってて気持ち悪くならないの」
「全然。前に言ってたじゃないか。エレナさんにはエレナさんの正しさがある。僕はそれを信じてるだけだよ」
「どうして?私のことなんて何も知らないくせに」
「知らない。でも、マティアスさんの時に少しだけ分かった気がしたから。あの時のエレナさんは怒りに突き動かされてた」
気付かれていないとは思っていなかった。事実を突きつけられた私は情けなさを感じた。怒りに身を任せるなど魔法師として恥ずべき行為である。拠り所にしていた正しさが根底から崩れようとしている。
「正直、ラッサでの出来事は衝撃的だった。もちろん、エレナさんに助けられた。そのことは感謝してる。でも、命を奪い合って勝者が生き延びる単純な世界を理解できなかったんだ。それを自分の正しさだと言ったエレナさんのことも」
「ラッサに魔法師が来たのだって私のせい。私たちは生きてきた世界が違う」
「でもマティアスさんの時は違った。僕も同じ衝動に駆られたんだ。それは知ってる感情だった」
「何を馬鹿な」
私は膝の上に額を置いて目を瞑る。そんな姿をステファンは笑わない。
「これは僕の想像だから間違ってるかもしれない。だけどエレナさん、ずっと綺麗な世界にいたからあんな形で人が死ぬなんて知らなかったんでしょ」
「綺麗な世界?ライネが?」
「ここと比べてだよ。人の死が当たり前だったのかもしれない。だけど、そこには曖昧だけど原理原則があった。丸腰の人間を殺したことなんてないんじゃないか?殺意を持たない人間だって」
「何が言いたいの」
「エレナさんは子供を殺せない。妻を亡くした男に不条理な怒りをぶつけられたってそれが殺意に変わったりしない。恥ずかしいことだけど、エレナさんを無慈悲な殺人鬼だと思ったこともあった。でも、あの時に同じなんだと知れて安心したんだ。だからもう信頼してる」
ステファンの声は終始落ち着いていた。私は頭を上げられなくなる。どうにか否定しようとしても難しい。その言葉を受け入れたいと心の弱い部分が言っていた。
「エレナさんに家族はいないの?」
「家族」
「自分を見失いそうになった時は大切な人を心に思い浮かべると良いよ。そうすれば悩みがすっと消えることもある」
「私は帝国の魔法師。命令がある限り悩んでる暇なんてない。ましてや家族の心配なんて」
「そっか。生き甲斐だもんね」
軍人としてのあるべき姿を求めて態度を硬化させると、ステファンにあっさり身を引かれる。家族には悪いと思っている。裏切り者の家族も蛮族扱いされるのが普通だからだ。しかし、優れた軍人として振る舞うためにはそんな犠牲も受け入れなければならない。
「ステファンは?あなたが追われる身になって困る人はいないの?」
「僕か。実は姉がいるんだけど、小さい頃に家を出て行ってから音沙汰なしだから生きてるのか死んでるのか。今ではラッサの皆の方が家族に近い」
「へニア?」
「もちろん。それにニーナにカールも。みんな僕を支えてくれた大切な人だ」
ステファンは悲しい顔で空を見上げる。帝国に両親を奪われた挙句、魔法師に生きる場所まで取り上げられた。そんな境遇に直面していながら、私に対する態度が柔らかすぎる。
「私を恨まないの?」
「恨むようなことされてないからね」
「ラッサに居られなくなった。トニーが死んだ」
「エレナさんのせいじゃない。言っただろ。八つ当たりしたってしょうがない」
「じゃあしわ寄せはどこに?」
ステファンは弱い人間だ。ずっとそう思ってきた私はアタパカの悲劇を前に自分自身を形作る思想を失いつつある。軍人として振る舞うことが正しさだった。そのはずが怒りに体を乗っ取られ、内地の人間というだけで向けられる憎悪に心を痛めている。私が不完全だと考えなければどれも説明がつかない。
「苦しい?」
「分からない」
「ずっと僕との溝を気にしていたのはそのせい?」
「分からない!」
私は素早くシンタマニを握る。いつも魔法師だという実感が精神を安定に導いてくれた。しかし、ステファンの視線には耐えられない。帝国生まれの魔法師だからと避けられるのは嫌だった。
「じゃあさ、誰かのためにできることを探してみるのはどう?過去は変えられないけど、これからのエレナさんがどうなるのかは明日からのエレナさん次第だ。アタパカのためだとかそんな大きなことじゃなくていい。マティアスさんの理不尽な死に怒ったように、目の前の誰かのために出来ることはないかって考えてみるのはどうだろう」
「だからステファンは私を助けてくれる?」
「そうだね。僕だってエレナさんに助けられてる。そういった意味ではもうできてるのかもしれないけど」
「私にはできない。私の正しさは帝国の中で塗り固められた」
「僕はそう思わない。いま心が揺れてるのが何よりの証拠だ」
ステファンの明朗な言葉が突き刺さる。顔を合わせた私は不思議な感覚に驚いていた。焚火の勢いが落ち着いて再び綺麗な星空が目に飛び込んでくる。
「さあスープ飲んじゃって」
立ち上がったステファンは寝袋の準備を始める。スープを飲み干して、器を軽く水ですすいだ私は焚火に雪をかけて消火する。雪山に比べて格段に暖かいが、寝袋は一つなため隣り合うことは変わらない。
「話しておきたいことがまだある」
眠れなかった私は背中合わせのステファンに語り掛ける。すると、ステファンの手が伸びて私の頭を撫でた。
「今日はもう寝よう。慌てなくていい。ゆっくりでいいんだよ」
「そう」
「そうだよ。おやすみ」
ステファンはその言葉を最後に寝息を立てる。私は一人、流れ星を三つ見つけたら目を瞑ると決めてぼんやりと星空を眺め続けた。過去を否定することは怖い。それでも、ステファンの隣ならばそれもできるかもしれない。全ては自分次第。そんな魅力的な価値観の上を流星が通り過ぎた。