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8 1日目



ある程度指導をした後にスティーフに洗濯物を干すのを任せて、レイノルドは1人、ランドルフを探すためにニカの元へと足を進めていた。ニカに会いに行くのは、単純にランドルフが「ニカに朝食持って行きますー」と言い残してそこから行方が分からなくなったからである。因みにスティーフには、ニカの居る所にわざわざ自分から行くなんて自殺行為は確実にストップがかかるだろうと踏んで、別の業務を進めて来る、と嘘の理由を告げてきた。

レイノルドもニカが危険人物だということは身に染みてわかっているし、正直近寄りたくはなかったが、ランドルフの行方を尋ねるのともう一つ、彼に直接確認したいことがあったのだ。



そんなわけで以前彼と遭遇した場所へ行き、キョロキョロと視線を動かしていたレイノルドだったが、



足音も、気配さえもなく、突如背後から何者かに抱きすくめられる。


「っ!?」


「また会いに来てくれたんだぁ?」


耳元で吐息と共に囁かれた声は、紛れもないニカの少し間延びした声で。

同時にはむっ、と耳の端を唇で咥えられて、レイノルドの背筋にはぞぞぞ!と不快感を示す冷たい刺激が一気に駆け抜ける。

反射的に肘を後ろに突き出して殴り、その攻撃で緩んだニカの拘束をなんとか抜け出したが、腕に出来た鳥肌はすぐには治る様子を見せなかった。


「あは…、痛ぁい」


少し距離をとり頬を引き攣らせたレイノルドとは逆に、向かい合ったニカは恍惚と顔を上気させている。


「おっとそこから一歩も動かないでくださ、…いや動くな!」


咄嗟に命令口調で声を張ったレイノルドに、今にも近寄ってこようとしていたニカはピタリと動きを止めた。それだけでなく、一定の距離を保ったままレイノルドが話し出すのを待ってくれている風な素振りを見せる。


な、何素直に言うこと聞いてるんだこの人…?


レイノルドにとってニカは前科者かつドMの変態、ついでに話の通じない狂人のイメージしか無かったため、その態度に少し調子を狂わされる。しかし、まあそれならそれでありがたいか、とすぐに頭を切り替えた。


「ランドルフさんがどこに行ったか知っていますか? ニカさんに朝食を届けに行かれたはずなんですが」

「ランちゃん? 来てないよぉ?」

「は、」


じゃああの料理は一体どこに持っていったんだ?まさか自分用に?それならスティーフみたいに言ってくれればよかったのに…。

1人だけ飯抜きなんて、やる事が邪悪だな…。


レイノルドは呆れたようにはあ、とため息を吐いてから、「お腹、減ってませんか?必要なら再度作りますけど」と、ニカに問いかける。

朝食にしては遅い時間帯だし何ならもう昼食のような感覚だが、流石に飲まず食わずで働かせるのは可哀想だ。それくらいの良心はレイノルドにだってあった。


そんな中ニカは先程の時に返答する事もなく、無言でレイノルドを見ていて、


「? ニカさん?」


「…もう食べたからいらないやぁ」

「何か買ってきたんですか?」

「いんやぁ? 俺こっから出れないから」


二カはそう言って自身の黒い首輪に触れる。


なるほど。彼の行動範囲は本当に屋敷の敷地内、しかも屋外限定ってことらしい。

その領域を超えるとすかさず首輪が爆発。アンド即死。


……だから物騒なんだってーー!!

でも待てよ?屋敷の敷地内から出られないなら、当然外の街で食料を購入することも出来ないはずで…、


「──じゃあニカさんは、一体何を食べたんですか?」


レイノルドの問いに、ニカはその唇でにんまりとやや歪に弧を描く。

そして、おもむろに足元の小石を拾ったかと思うと、大きく振りかぶって、



──空へ投げた。


ブン!!という、風を切る音がしたと同時、その人間離れした動きで巻き起こった風圧がレイノルドの髪の毛をブワリと後方に撫でつける。反射的に目を細めたが、次の瞬間ボトッ!!だかドゴッ!!だかそんな音を立てて目の前に落ちて来た大きな影に、レイノルドは自身のそれを限界まで見開かざるを得なかった。


遥か上空の彼方に消えて行った石と入れ替わるように地上に落ちたのは、レイノルドの片腕くらいはあるそれなりに大きな鳥。

二カは今、小石1つで鳥を撃ち落として見せたのだ。


「!!?」

「鳥以外にもいっぱいいるけどぉ…、後はぁ、こことか」


その後ニカは、地面の土を掘り返してミミズを探し出したり、適当な虫を捕まえたり、雑草をいくつか引き抜いたり…。

それを見たレイノルドはというと、


「なるほど、サバイバル飯…アリだな…」


普通に納得し、それどころか「なるほど。 いざという時に生き残れる術として、食べられる野草や食虫、狩りの知識を入れておいて損は無いよな」などと、どこか肯定的に受け入れていた。

レイノルドの言葉にニカは「アリ?アリは酸っぱいよぉ?」などと返す。

この場においてツッコミは不在である。


と、ここでレイノルドはニカへ2つ目の質問があったことを思い出した。


「そもそもニカさんって使用人なんですか? ルイス様から正式に雇われて、何か業務を任されてます?」


そう。聞きたかったのはこれだ。スティーフからの紹介でニカは『使用人ではない』と言われていた。当然は当然だ。屋敷内にも入れない、そしてこの敷地内からも出られないとなれば使用人として出来ることはかなり制限されるのだから。

しかし、身に纏っているのは、少々汚れが目立つが一応使用人服。…だけどそもそも主人を襲った犯罪者だし…、とレイノルドは彼を戦力として考えていいのか図りかねていた。


「んールイス様はわかんないけどぉ、オレはここに入ってくる奴捕まえてる~」

「(野生動物のことか?)…まあ、それも業務か…」


先程、小石1つで鳥を撃ち落とした見事な手腕を見ているので、その実力は疑うべくもない。庭の植物を荒らされる前に捕獲してくれているのならそれは正直すごく助かることだし。

だけど、この庭に頻繁に野生動物が侵入して来るとは考えにくい。なぜなら、この屋敷の敷地は全方位を柵で囲んでいるからだ。少なくとも飛行能力の無い中・大型の動物が足を踏み入れられる構造をしていないのだ。

そう考えると、多分ニカさんは1日中ほとんど何もしていない時間が多いんじゃなかろうか。その間に色々と手を借りたいことが……って、だからそうやって働かせていいのかを聞きたかったのに、当の本人ですらもあやふやときた。…これはルイス様に直接聞くしかないな。



ふと、目の前からの視線に気付き、レイノルドはそちらへと意識を向ける。

律儀にも一定の距離を保ったままでいるニカは、その黄眼を艶やかに細め、先程とは雰囲気の異なる欲と甘さを孕んだ声で問いかけた。


「ねぇ、名前教えてよぉ?」

「…申し遅れました。 本日から執事として臨時で雇われたレイノルドです」

「レイノルド、レイノルド…、じゃあレイちゃん」

「レイちゃ…、まあ、いいですけど…」


友人にもレイと呼ばれていたことはあるし、その短縮された二文字は慣れた単語だ。「ちゃん」は初めて付けられたが。

気の抜けるような渾名に、レイノルドが思わず緊張感を途切れさせていると、


「レイちゃん、俺とセックスしよぉ?」

「死んでも嫌です」


おっとまともに話せてると思ったら唐突にぶっこんで来たーー。

ニカはその片方だけ長い前髪を顔ごと斜めに傾けながら続ける。


「レイちゃんのこと、痛くしないよぉ? でも俺のことは痛くしても良いんだよぉ?」

「特殊性癖に付き合わせるのやめてください」

「まぁ許可なんていらないけどね」

「さよなら!!!」


危険な空気を察知したレイノルドは、素早く方向転換して屋敷の方へと猛ダッシュ。背後から聞こえるニカの「待ってよぉ」という言葉に背中を押されながら、一切振り返る事なく必死に走り抜けた。


やっぱり危険人物だわニカさん。

でも、話は出来た。言うことも聞いてくれた(?)し、無闇矢鱈に襲って来るような人ではないのかもしれない…。まぁ俺、スティーフみたいに綺麗な顔面でもないしな。


一度足を踏み入れた屋敷内から外の様子を観察して、ニカが追ってきていないのを確認したレイノルドは、その後まだ洗濯物を干している途中のスティーフと合流し、それが終わったら屋敷内の清掃を少しと、時間を置かずに昼食の支度へと移った。その際、流し台に洗浄済みの綺麗な食器とグラスが置かれているのを、ランドルフさんの仕業だな…、と半眼で見つめるなどした。

因みに、スティーフは朝食の余りに手をつけていなかったようだった。「仕事に夢中で忘れてました」とは本人の言だが、もしかしたら張り切って指導するレイノルドに「業務を抜けていいですか」と言い出せなかっただけかもしれない。

反省だ。今度は俺からこまめに尋ねることにしよう。


昼食、夕食共に勿論ルイス様の分をご用意したが、それは朝と同じく拒絶され、結果的にそれらは全て俺の栄養分として変えられた。

そうしてあっという間に夜も更けていき…。




「(疲れた……)」


寝巻きを纏い、就寝準備を済ませたレイノルドは、備え付けのベッドにバタリ、とうつ伏せで横たわる。


今日は清掃と言っても、ほとんど先日のスティーフのやらかし(廊下水浸しと油窓)をリセットしたくらいでまだほぼ何も進んでいない状態だ。

期限は10日、いやもう夜だから厳密には9日か。9日以内に一通り屋敷内を綺麗にして、その後のスティーフのためにも効率のいい順番や部屋ごとの清掃頻度の目安を示してあげたい。屋敷は広いけど、今2人がかりでやれば主要な部屋はなんとかなるし、一度綺麗にした後はそれをこまめに保持するようルーティーンを組めば断然簡単なはずだ。


清掃以外でどうにかしたいのは、勿論第一にルイス様の事と、残り2名(?)の使用人。

結局ランドルフさんとは今朝対面してからそれきりだし…。スティーフがランドルフさんとニカさん2人への食事を運ぶと申し出てくれて任せたけど、あれは…多分方向的に部屋に持って行ってたな…。部屋でサボってるのかあの上司?逆に堂々としてる。昨日こそ何もやってないんだから今日疲れを持ち越すはずもないのに…、もしかして凄い夜更かししてるとか?


後は、庭園かな。

屋敷に招かれた初日から感じていたことではあるけど、実際に外に出て近くで見てもやはりそこは「小綺麗な荒地」でしかなかった。せっかく立派な土台があるのだから、しっかりと整備すればこの屋敷の庭は見違えるくらい美しくなるはずだ。

秩序立ち、隅まで手入れが行き届いた庭園は、屋敷自体の印象を大きく変えると同時に、見る者の心を時に大きく揺らし、時に穏やかに安定をもたらすもの。


いつか、ルイス様の部屋にある鉄格子が取り払われ、彼が外を眺めた時、眼下にその美しい景色が広がっていたなら。

そしたらルイス様も、「ああ、見てよかった」と思えるのではないだろうか。

扉を開けたことを、後悔しないでいてくれるのではないだろうか、と。


あの金の瞳が緩く弧を描く様子を脳裏に浮かべながら、レイノルドの意識は徐々にまどろみの中へと消えていった。






「…ん、」


ふっ、と目が覚めたレイノルドは、闇の中にある天井を確認して今が夜中であることを認識した。それも、まだ就寝から1時間程しか経っていないらしい。何故そんな中途半端な時間に目を覚ましたのか、理由は明白。レイノルドは尿意を自覚しつつ、眠気の残る緩慢な動作でのそり、とベッドから立ち上がった。

用を足しに行くためである。




コツ、コツ


痛い程静寂な廊下に、レイノルドの革靴の足音だけが波紋のように広がる。窓から差し込む月明かり以外光のないそこは、寝起き直後の視界に優しかった。

ふと、近くの窓に近寄り眼下を眺める。

今日は月が明るくて、庭がよく見える。昼だけじゃなく、夜見ても楽しめる庭園っていいよなあ、例えばどんなのだろう。そんなことをレイノルドがぼんやりと思考している途中、視界の端で何かがキラリと光ったような気がして──、



「……スティー、フ…?」



窓枠を掴んで、必死に目を凝らす。

少し距離のあるその視線の先には、暗い中でも月光を反射して煌めく金髪。それ以外は正直闇に紛れて見えにくいが、大体の身体のシルエットからしても、レイノルドが今日1日行動を共にしていたスティーフと近いのがわかる。

──彼は1人ではなかった。


植木の下にしゃがみ込んだ、あれは誰だろう。

それに、その人の目の前で追い詰めるように立ち塞がったスティーフは何を、


直後、

眼前の相手に向けて腕を突き出している風に見えたスティーフが、何か一瞬の衝撃に小さくブレる。


それから一拍遅れて、相対していた人間はまるで事切れたように地面に身体を横たえた。


「──え、」


動揺に自然と声が漏れて、レイノルドは現実から逃げるように一歩後退る。


今のって、死んだ?殺した?誰かを、あのスティーフが?


咄嗟にレイノルドの頭には、優しく微笑むスティーフの姿が浮かぶ。その記憶の中の彼と眼下で起こった一連の出来事がうまく繋がらず、全身を支配するのは困惑だ。


音はしなかった。距離が遠いのも関係したかもしれないが、少なくともレイノルドには何の異音も聞こえはしなかった。だけど多分、彼が使ったのは魔法道具の銃だ。スティーフでも片手で扱えるくらい小型で、僅かな衝撃があって、一瞬で人を殺せる道具。


……いや、いやいやいや。

見間違いの可能性もあるかもしれない。俺が寝ぼけていて、何かと間違えたのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、レイノルドは今一度目を擦り、再び外を確認しようと足を前に踏み出して──、



直後、視界が大きく揺れた。



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