7 1日目
「! おかえりなさ…、あ…」
中身が入ったままの朝食を持って買ってきたレイノルドを見て、やっぱり駄目だったんですね、とスティーフはこちらを気遣うような視線を向けた。そして同時に、それほど悲観していなさそうな、逆に楽しそうですらあるレイノルドにわずかに首を傾げた。
「もったいないし、スティーフ食べる?」
「えっ」
「なんて、もう冷めてるだろうしこれは自分で処理するよ。 スティーフ達の分は別に作るから安心して」
冗談のつもりで、スティーフにルイス様が手を付けなかった朝食を進めると、本気で戸惑った表情をされたので密かに反省する。残飯処理を他人にさせるなという話だ。
そして間をおかず、有言実行とばかりに使用人用の簡易な食事を準備していたレイノルドだったが…、
じーーーー
「(…すんごい見られてる)」
邪魔にならないようにと程よく距離を取ったスティーフから無言で手元を凝視され続け、若干の気まずさを感じていた。
「えっと…、もしかしてこの食材、使ったら駄目だった?」
「えっ、いいえ? ご主人様はお食事をされないので、ここにある食材はほとんど使用人専用のものですよ?」
「そ、そう、それなら良かった」
あまりにも見つめられるので何かしでかしてしまったかと思ったが、そんなことは無いらしい。問いに対して不思議そうに回答したスティーフは、再びレイノルドの手元をただ凝視する作業に戻った。
何か珍しい事でもあるんだろうか…。
そういえば、さっきスティーフはそのまま業務に入りそうな感じだったけど、いつも朝食はどうしてるんだろう。
「スティーフ達は、いつも朝食は?」
「僕は料理が出来ないので、ランドルフさんが作って下さるものを頂いたり、後は街に降りて出来合いの食べ物を購入したりしています」
「今日はどうするつもりだったの?」
「レイノルドさんに合わせるつもりでしたが、例え無くとも朝食であれば抜いても支障はない、と。 それがまさか、僕の分も食事を用意してもらえるなんて…」
「いや流石に自分の分だけで終わらせる程心狭くないから!」
スティーフは一瞬嬉しそうにはにかみ、しかしその視線はまたも吸い寄せられるようにレイノルドの手元へと戻っていく。
普通に卵をかき混ぜてるだけなんだけどな…。
ニカさんはそもそも屋敷内へ入ることは出来ないから、実質この屋敷で料理が出来るのはランドルフさんだけってことか。そして彼が居ない場合は近くの街に……って、此処から一番近い街って、近いと言いつつも結構距離があるイメージなんだけど??そこにわざわざ出向くのは時間的にも労力的にも一苦労だな…。
俺がいる間は俺が食事を用意すればいいけど、今後のことも考えるとスティーフも簡単な料理くらいは作れたほうが良いだろう。本人のためは勿論、屋敷の業務効率にも影響することだから。
「俺が居る間にいくつか、切ったり焼いたりするだけの簡単なレシピを教えるよ。 それだったらわざわざ街に買いに行く必要も無いし」
「あ…、でも僕、その…、包丁とか火とか、使えなくて…」
「最初は怖いかもしれないけど、安全な使い方を教えるよ。 大丈夫」
「い、いえ、そうではなくて! …使わないように言われているんです」
戸惑いに瞳を揺らすスティーフの言葉に、レイノルドは現状を察し、1人静かに納得した。
調理場には様々な魔法道具が設置されている。機械音痴の気があるスティーフだ。恐らくランドルフさんにでもキッチンでの複雑な作業を止められているんだろう。包丁まで持たせないのは過保護が過ぎる気もしなくもないが。
でもスティーフの場合、ちゃんとマニュアル通りに操作すれば問題なく使えると思うんだけどな…。何か工夫をこらそうとしなければ、という注意書きが必要ではあるが。他の魔法道具で試してみて大丈夫そうだったら、ランドルフさんにスティーフの料理の件を進言してみるか。
そんな考え事をしながらであっても、レイノルドの手は全く無駄のない動きでもってあっという間に使用人3人分の朝食を完成させる。ひとまずこの場にいるスティーフの分だけを皿に盛りつけてから、備え付けのテーブルにルイス用の朝食を温めなおしたものと向かい合わせに並べた。
二つの朝食はメニューとしては殆ど同じだったが、彩やかけた手間が段違いだ。
それでもレイノルドは、使用人用の食事だからといって手を抜いたつもりは無かった。
「美味しそう…」
「どうぞ召し上がれ」
レイノルドの言葉に、対面に座るスティーフはニコリと微笑んだが、自身で注いだ水を口に含むばかりで一向に食事に手を付ける様子が無い。
さては、不味いかもと疑っているな…?
そう思われるのも仕方がないが、まだ彼は俺の実力を分かっていないらしい。
レイノルドは悟ったような顔でフッと息を吐くと、スティーフの皿から少量を自身の皿に取り分け、目を丸くするスティーフをよそにそれらを口に含み──、
「~~っ、天ッッ才的な美味しさ…!!」
流石定食屋の息子なだけある!!使用した食材と調味料のレベルが少々異なることもあり、実家の素朴な味わいとは全く異なる高級感あふれる料理になってはいるが!!
自身の技術力に打ち震えながら自画自賛するレイノルドを、しばしポカンと見つめていたスティーフだったが、その後、ゆっくりと目の前の小ぶりなパンケーキにナイフを差し込んで、その欠片に恐る恐る口を付ける。
「…っ!! …んっ、わあっ! 凄く凄く美味しいですっ!!」
「もっと言って!!」
一瞬で、パッと幸福に華やぐように笑ったスティーフに、レイノルドは己の鼻が高くなるのを止められない。だって、外見だけならどこぞのお姫様と言われても「ですよね」と1秒で納得するような可憐な女性なのだ。レイノルドはどこかで聞いたことのある言葉を思い浮かべた。そう、可愛いは正義。
一口食べたのを皮切りにしてあれもこれもと美味しそうに食べてくれるスティーフに、己の頬をデレデレと溶かしつつ元気をもらっていたレイノルドだったが、
その二人の空間に割り込む声が一つ。
「何だか、いい香りがしますね…」
「「ランドルフさん」」
一方、スティーフは申し訳なさそうな声、もう一方、レイノルドは今日は戻ってきたのかという驚きの声で、その人物の名を呼ぶ。
ついさっき乾かされたのであろう、セットも何も成されないままのそのくせ毛は、ふわふわと綿毛のようにその気怠そうな長身の一番上を覆っていた。なんとも気が抜ける様相である。
「あの…、さっきは、」
「ちょうど良い眠気覚ましでした。 気にしていませんよ」
「…、はい。 ありがとうございます」
立ち上がって頭を下げようとするスティーフを手で制止したランドルフは、かすかに口元を緩ませながら、金色の頭を優しくポンポンと撫でた。頭に乗る大きな手の平に、スティーフは安心したように頬を染めると、次は気を付けます!とやはり頭を下げて見せた。
ランドルフの朝食を盛りつけながら一連のやり取りを見ていたレイノルドは、使用人同士の信頼関係はありそうだな、と少しだけほっとする。主人と使用人の信頼関係が皆無な今、使用人同士の関係もギスギスしているようだったらどうしようかと思っていたところだ。
「これは、レイノルドさんが作ったんですか?」
「レイノルドで構いません。 はい、俺が。 ルイス様にもお持ちしましたが断られてしまいました」
「そうでしょうね」
そうでしょうねって…。
無責任な返事にジトリと半眼でランドルフを見るが、それを全く意に介さない彼は大きな欠伸をしてスティーフの隣に腰かける。そして失礼にも「毒とか入ってませんでした?」と隣の彼に確認を取ってから食事に手を付け始めた。黙々とフォークを進めながらも乏しい表情は変わらないし、スティーフが言ってくれたような感想も特にない。
…何なんだこの人。不愛想にもほどがあるぞ…。というか真っ先に食事に毒が入ってないか疑うって普通に最悪だからな!
最初は確かに格好良いと思ってたのにな…。
執事で、かつ上司であるランドルフに若干の失望と苛立ちを覚えながらも、レイノルドはその気持ちを押し殺し──、
「本日はお屋敷の清掃中心に業務を行おうと思っているのですが、どうでしょうか?」
「いいんじゃないですか? 頑張ってください」
「あなたもですが!?」
押し殺しきれなかった。
いやいや!何を他人事みたいに言ってんですか!?と仮にも上司に向かって責めれば、面倒そうな顔を隠そうともせずに大きなため息を吐かれる。
え?何で俺が「やれやれまったく」みたいな顔されなきゃいけないわけ?貴方このお屋敷の執事なんですよね??
少しの攻防の後、そのやり取りすら面倒だったのか最終的にレイノルドの要望に対して渋々了承を返したランドルフは、「これ、ニカにも持って行きますね。 ごちそうさまでした、レイノルド」と、ニカ用に取り分けていた朝食をトレーに乗せて早々に部屋を後にする。いつの間にか朝食は綺麗に完食してくれていたらしく、彼が座っていた席に残されている皿には何も残されていなかった。
…そ、それくらいで先日のサボりはチャラになりませんからね!!と斜に構えつつも、ここで初めて作った食事を上司の執事に完食してもらえてレイノルドは少しだけ安堵する。執事職に就けるのは殆どが貴族で、ランドルフさんもその例に漏れないはずだ。つまり、幼少期から数多の料理人の手により最大限舌を肥やしながら生きて来た人間である。そんな人の口にも、自分の料理が問題なく通用するという事実を改めて再確認できたレイノルドは、「執事の俺! 最高!!」と、ぐんぐん自尊心を高めていた。
そんなレイノルドを現実に引き戻したのは、目の前で遠慮がちに瞳を揺らすスティーフの声だ。
「あの、レイノルドさん。 残りのお食事って…、頂いても構いませんか?」
「勿論いいけど、足りなかった?」
「えっ? …っあ、そう、です。 …少し、えへ。 物凄く美味しかったので…」
自分の作った食事を美味しいと言ってもらえて悪い気はしない。少しだけ浮かれて、レイノルドは「わかった。 今用意するね」と言いながらすぐに席を立って、
しかし、
「いえ! 自分で! やります!! ……もっ、もう少し、後で!」
「そ、そう?」
大分前のめりにスティーフに止められて、レイノルドは少々面食らった顔のまま再び元の場所へと座り直す。
何か自分の中に特別なルールがある人なのかな?この時間に食べる!みたいな…。
よくわからないまま、しかし深く詮索することでもないか、と思考を打ち切ったレイノルドは、目の前の彼に向けて「いつでも好きに取って。言ってくれたら温め直すとかも出来るから」と告げてから、もう生温く殆ど冷めてしまっている自身のパンケーキを口に含んだ。
うん。冷めてもうまい!流石俺!
*
朝食の片付けと、ついでにキッチンの軽い清掃を素早く終えた後も、結局ランドルフがこの場所に戻って来ることはなかった。
…まあ予想はしてたけど。
肩身が狭そうにランドルフを庇おうとするスティーフを止め、レイノルドは早速業務を進めよう、と促す。取り敢えず今は戻ってこないランドルフを探して連れ戻すことより、スティーフを人並みに仕事が出来るレベルにまで上げることが優先だと判断したからだ。
安心して分担作業が出来る様にならないことには人探しも満足に出来ない。
となると、まず最初は──、
「言われた通り、屋敷中の洗い物を集めてきました!」
「ありがとうスティーフ」
キャスターのついたカートに、シーツやタオル、個人の服などを山盛りに乗せたスティーフが、やや小走りでレイノルドの元へ近づく。そして直後、レイノルドの持つ大量のシーツを目にして、コテン、と可愛らしく首を傾げた。
おそらくスティーフは、レイノルドが自身の衣服しか持ってこないものだと思っていたのだろう。想像以上に嵩張っているレイノルドの腕の中を見て少し戸惑ったようにしていた。
「ええと、そのシーツはどこから?」
「ああ、ルイス様のお部屋から」
「…えっ、…へ、部屋の中に入れたんですか!?」
「うん。 ピッキングして。 あ、室内には入ってないけどね、鍵を開けただけ。
でも素直に渡して下さらなかったから、この携帯用の釣竿を使ってもろとも一本釣りしたんだ」
「…そ、そう、でしたか……」
懐からニュッ、と釣竿を出し、その時を再現するように軽く振って見せると、スティーフが絶句する。
正しくドン引かれていたのだが、レイノルドは「おっ、この前衛的な方法に感銘を受けているみたいだな?」と中々にポジティブな思考をして、1人鼻の下を擦った。
そう。まずは、昨日スティーフが泡塗れにしていた、魔法道具を使用した衣類の正しい洗濯方法を学んでもらおうと思ったのだ。
2人がかりで、集めた衣類をそれぞれシーツ、タオル類、服類、のように分別した後、
「じゃあ次はこの魔法道具を使おうか」
そう言ってレイノルドが指したのは、先日目にした全自動洗濯器。あの時は泡に囲まれていてほぼその姿は見えていなかったが、改めて何の障害物もない今、全体的に白く、大きめの箱のようなその形状がよく観察できた。当然のようにその端には例の赤い意匠文字、つまり、マクレーンブランドの魔法道具であることを示している。
レイノルドは先程、料理を作る際にも使用したいくつかの魔法道具を思い出しながら、こんな高価な装置が探さなくてもあちらこちらに設置されてるなんて、やっぱり凄く恵まれてる屋敷だなあ、と感心する。あのマクレーン様のお屋敷なんだから、と過剰に意識しないようにはしていたのだが、こんなに魔法道具が生活の一部として組み込まれている場所を見るのは初めてだ。レイノルドが通っていた専門学校もここまでじゃなかった。
「何事も基本を学ぶことから始めよう。 まず、本来この装置から泡は溢れてきません」
「ええっ!?」
声をあげて目を丸くするスティーフに、レイノルドは然り然りと深く頷く。
「洗剤は使用する水量によって使用量が異なるんだ。 この装置の容量なら…、大体このぐらいかな」
「これだけですか?」
「うん。 後でまた水量別の洗剤使用量を教えるけど、とりあえずこの装置で使う時はこの分量って覚えておいて」
備え付けの小さなカップで粉末状の洗剤を掬うと、「少なすぎるんじゃ…??」と心配するスティーフを他所に、レイノルドはそれを実際に装置の中へと落とした。そしてそのままスイッチを入れて始動させると、
「…泡が、出ません!!」
「それでも綺麗に洗えているはずだよ。 俺が言うまでも無いけど、正しく使えば物凄く便利で素晴らしい道具なんだ」
洗う者が多ければ多い程、手洗いでそれを済ませるのには人手も時間も食う。それを全て肩代わりしてくれるこの装置は、正に使用人の味方、人類の味方である。この装置があるだけで、別の作業を同時進行出来たりと業務効率が著しく上がるのだ。
今更だけど全自動洗濯機がこの屋敷にあってよかった~~!問題点と業務が山積みな今は特に!!時間はいくらあっても足りないくらいだからな。
ありがとうございます…!と、ウォンウォン唸る洗濯機に向かって感謝の念を送ったレイノルドは、ふと、隣でやけに神妙な顔つきをして装置を眺めるスティーフに気付き、その眼差しを不思議に思って問いかける。
「スティーフ? どうかした?」
「えっ? ……いえ、何でもありません。 僕の使い方が良くなかったんだなって、思って…」
「誰でも最初はそうだよ。 でもこれで、もう次からは大丈夫だね」
「はい。 取り返しのつくことで良かったです」
え、捉え方重くない??
その後、繊細な作りの衣服は別個手洗いをして、洗濯機によって洗浄された衣類と一緒に庭へ干す。皺にならず、痛みにくい布の伸ばし方をスティーフに教え、その通りにやってくれる彼を見ながらレイノルドは考えを巡らせた。
スティーフは知らないだけだ。
魔法道具の扱い方も、床を、そして窓を綺麗にする基本的な方法も。知識が無い事をやれと言われても、どこかで目にしたそれの上辺を模倣することしか出来ないのは当然だ。後はスティーフ自身でアレンジさせると、その知識不足も相まって変な方向に突き抜けるだけで、しっかりと基礎を教えてその通りにやればきちんと業務をこなせる。少々不器用なところはあるが、本人もそれは自覚しているところなのか作業自体は丁寧だし、やる気も十分、変に擦れておらず言ったことを素直に聞いて吸収してくれる…、よく考えなくともレイノルドにとって理想的な教え子であった。
最初は誰でも同じ。マニュアルを作ってその通りに従えばいい。臨機応変に対応するのはその基本が身についた後の応用だ。レイノルドが出来るのはその初めの基礎を徹底させること。それだけでスティーフは十分他でも通用するまともな使用人になれる。
不安だったが、スティーフについては案外早く何とかなりそうだ、とレイノルドは密かに胸をなでおろす。
問題の人物はまだあと2人残っているが…。