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6 1日目

【1日目】


よし、と、漸く水を吸い取らなくなった雑巾を見やって、レイノルドは小さく呟く。

それを聞いて、陶器やガラスの破片が入った袋の口を縛っていたスティーフが申し訳なさそうに眉を下げた。


レイノルドはスティーフと協力しながら、主に彼一人の行動で滅茶苦茶になったキッチンの片付けをたった今終えたところであった。因みにその間に、ランドルフは非常に億劫そうな動作で自室へと濡れた身体を引きずって行ったし、屋外で囀っているはずのニカの声は、もう途中から本物の鳥の声と混ざってどっちがどっちか区別すらも出来ない。どんな特技なんだよ。


袋を持ち上げ、たどたどしい足取りで進もうとするスティーフに手を貸しながら、レイノルドはふと先日から頭にあったことを口に出す。


「スティーフのスカートは、裾が少し長いんじゃないかな? だから、かがんだときに躓きやすくなるんだと思う。 男性用の制服は持ってないの?」

「えと、…これしか、服を頂けてなくて…」


よく見なければ分からないが、細身ながらもしっかりと男性の骨格を有しているスティーフに、恐らく既製品の女性用メイド服ではサイズが微妙に合っていない。上半身に合わせた服であればスカートの裾が必要以上に長くなり、スカートの丈に合わせた服であれば肩幅がきつくなってしまうのだ。スティーフの場合は前者だろうと判断しレイノルドが言及した直後、恥じらいに赤く染まっていくスティーフの頬を見て初めて、レイノルドは彼のメイド服が自発的な衣装でないことを悟った。


……と、いうことはルイス様の趣味?

確かに線も細めだし、女性と見紛うほどの美人だからメイド服を着せて目の保養をしたくなる気持ちもわからんでもないが…。それで業務に支障が出るとなると話は別である。


「ひとまず、裾を仮縫いして少し短くしよう。 その後ルイス様に、男性用の制服かサイズの合ったメイド服を用意してもらうよう頼んでみるよ。 1分だけじっとしてて」


レイノルドはスッとスティーフの前で跪き、当然のように懐から簡易裁縫道具を取り出すと、機械のような寸分の狂いの無い動きで素早く裾を縫い始めた。

そしてその言葉通り、1分程で大人しく立ち尽くすスティーフの四方をぐるりと回りきると、


「はい、完成!」

「うわあ、…あっという間に…! ありがとうございます! レイノルドさんは裁縫がお得意なんですね」

「執事たるもの、自分の服を完璧に繕うことが出来て当然だからね!」


この間まで通っていた、蹴落とし合いが基本の専門学校では絶対にかけられることがないであろう素直な称賛に、レイノルドは得意げな顔を隠さず前面に出す。


その後、膝を付いたままで邪気の無い反応を噛み締めるレイノルドに、戸惑ったスティーフは自身の膝を同じように折り始めていた。久々の称賛を堪能しつくしたレイノルドが素早く我に返ったことで、それは未遂のままで終わったが。





「(昨日も思ったけど、やっぱりキッチンの清掃はそこまで重点的に行われてはいないみたいだ)」


さて、まずとりかかるべきは主人の朝食!と腕を捲り、己が立つそこを今一度良く見渡したレイノルドは、埃が降り積もったいくつかの場所を見てその所感を抱いた。


聞くところによると、どうやらこの屋敷のご主人様はお食事を召されないらしい。

いや、これでは少し語弊がある。正しくはご自分で準備したお食事のみを召される、だ。

そのため、主人のためにこの場所が使用されることは無く、必然的に清掃担当はスティーフに(掃除が甘く)なってしまったというわけである。

しかし、ルイス様が自給自足の生活をしているからといって、それが彼の食事を用意しない理由にはならない。

なぜなら、絶っっっっ対に俺が作った食事の方が、美味しさでも!栄養面でも!!最高に違いないからである!!

自惚れ?思い上がり?

否、これは純然たる事実だ。


手伝いを申し出たスティーフに調理器具や調味料の場所を教わりながら、レイノルドは一切無駄のない動作で、4種の野菜を使ったサラダとスープ、今日に限ってパンは発酵時間が足りないため代わりにふわふわのパンケーキ、そしてスクランブルエッグとベーコン、飾り切りしたフルーツを瞬く間に完成させていった。


「美味しそう……、レイノルドさんは、何でも出来て凄いです…」


ほぅ、と皿に盛られた料理たちに、スティーフは思わずといったような感嘆の吐息を洩らした。

レイノルドはまたもまっすぐなスティーフの感情表現に対して少しくすぐったくなりながら、素直に礼を言う。


「簡単だよ。 スティーフも慣れればすぐに出来る。 俺は今からルイス様にお食事を持って行くけど、スティーフは──、」

「では僕は屋敷の清掃を進めますね!」

「あーーーっと、清掃の指導をさせてもらってもいいかな!! 戻るまで待ってて欲しいんだ!!」

「は、はい、よろしくお願いします…? では、ここでお待ちしています」


意気揚々と水の入ったバケツを持って移動しようとするスティーフに、昨日の床の惨状を瞬時に思い出したレイノルドはノータイムで彼の行動を制限する。


あ、危なかった。今日も室内で水たまりを作られるのは流石に勘弁である。


ルイス様のお食事を乗せたカートを押すレイノルドに、調理場の出入り口から行ってらっしゃいませと控えめに手を振るスティーフを見て、特に趣味ってわけじゃなかったけど、…メイド服も、アリかもな。と、薄ぼんやり主人への理解を深めたレイノルドだった。





コンコン


「おはようございます、ルイス様。 レイノルドです。 朝食をお持ちいたしました」


優しいノックと同時に声をかけるが、返ってくるのは静寂のみ。

少しだけ間を置いた後、レイノルドはもう一度指の背でその扉を打った。


「ルイス様、レイノルドです。 朝食をお持ちいたしました」


やはり中からの返事は無い。通常なら、まだ寝ていらっしゃるのだろうと引き返すところだが…。


自然と、レイノルドの視線がドアノブのあたりにスススと移動する。


──鍵穴の数が、明らかに昨日より増えていた。

加えて、新たに設置されているそれらは、以前のものと比べて明らかにピッキング対策を意識したもので。


レイノルドの手は、何のためらいもなく自身の胸元へと向かっていた。





先日と同様、レイノルドが細い鉄の棒で鍵穴を淡々と攻めていると、そのカチャカチャという金属音が耳に障ったのか、たまらず中から怒号が飛んでくる。


「止めろ!!」

「あ、起きていらっしゃったんですね。 おはようございます」


朗らかなその挨拶と反し、レイノルドのピッキングの手が休まることは無い。

扉内部のサムターンが3つ連続でガチャンと回った。


「鍵を開ける!! 手を!! 止めろと言っている!!!」


ルイスの悲鳴のようにも聞こえるその声に、レイノルドは一旦鍵を開けるための手を止めると、扉の前で居住まいを正してから姿の見えない主人に向かって爽やかに笑う。


「おはようございます。 朝食をお持ちいたしました」


直後、はあーーー、と肺から息が全て出尽くしてしまうんじゃないかと思う程の大きなため息を吐いたルイスは、怒りを孕んだ声で冷たく言い放つ。


「必要ない。 もうここには近づくな」

「そういうわけには参りません。 ルイス様がご自身で食事を用意されていらっしゃることは聞いておりますが、それは本来使用人に任せていただくべきこと。 あなた様が労力を消費するような事ではありません」

「うるさい」

「料理が冷めてしまいます。 扉を開けていただけませんか」

「いらん。 早く戻れ」

「どうしても開けていただけませんか?」

「…絶対に開けるなよ」

「そちら側から開錠してくだされば」


「嫌だ!!」


ルイスの否定の言葉とほぼ同時に、「それならば」と再び鍵穴をこじ開け始めるレイノルド。


「あけるなーーー!!」


行動を咎めるルイスの怒鳴り声を無礼にもBGM扱いしながら、レイノルドはものの数分で全ての鍵を開錠し終えてしまった。

今日は、先日とは異なり扉が必要以上に開かないように内側からドアチェーンが何重にもつけられていたが、何を隠そう俺は執事、とばかりにレイノルドが懐から取り出した大きなボルトクリッパーによって、その鎖はいとも簡単に切断、そして床へと落ちていく。

見る人が見れば、いや誰が見ても、勿論ルイスから見ても、家主の了承なしに鍵を開け、鎖を切断するレイノルドの姿は強盗のそれだったが、当人には『ご主人様のため』という世界の理にも等しい大義名分があったため、正当な指摘は全て耳を通り過ぎるばかりであった。


またしても部屋の奥で、青ざめた顔ながらも気丈にこちらを睨みつけるルイスを認めたレイノルドは、武骨なボルトクリッパーを素早く服の中に仕舞い込んでから、何も無かったかのような晴れ晴れとした笑みを浮かべ、


「おはようございます。 良い朝ですね。 朝食をお持ちいたしました」


「最っっ悪の朝だ…!!」





警戒と不機嫌を全身で表していたルイスは、その次に、扉を開け放ちながらも同じ場所で立ち尽くしたままであるレイノルドを胡乱気に見やる。

その視線の意味を正確に察したレイノルドは、


「流石に許可なく室内に足を踏み入れるのは無礼かな、と」

「勝手に開錠するのも明らかに無礼だろ! お前の常識どうなってるんだ!?」

「ここまで食事を取りに来てください。 それか部屋に入れてください」

「どちらも断る!!」


頑ななルイスにどうしたものかと思考を巡らせながら、レイノルドは改めてルイスの私室を見渡した。

昨日と変わらず、朝日が限界まで遮られた室内は薄暗く、しかし頭上に輝く照明器具によって室内は人工的な一定の明るさが保たれていた。

広い一室の中、物は整理整頓されているが、魔法道具の発明に使用するのだろうか、部屋の四隅にはそれぞれレイノルドの見慣れない鉄の塊や、何かの部品、どう見ても観賞用でないと分かる容器にぎゅうぎゅうに詰め込まれた紫色の小さな花などが、統一感なく置かれたままでいる。

そしてやはりこの部屋には、レイノルドが探していた食事を用意出来るようなスペースや設備が全くと言っていいほど見当たらなかった。


「ルイス様、本日の朝食はどうされるご予定だったので?」

「…予定も何も、もう摂取済みだ」


レイノルドの問いかけに、ルイスは顰めた顔のまま渋々近くの机に手を伸ばすと、白い錠剤の詰まった瓶を手前に翳す。


「これは人体に必須な全ての栄養素を含んだ錠剤だ。 一日分の栄養素は全20粒で事足りる。 そういうわけだ。 早急に扉を閉めて立ち去れ」

「審議に入ります」

「勝手に審議に入るな」


ルイスの食事風景は、レイノルドが想像していた食事風景の遥か斜め上を突き抜けた。


食事=錠剤…?いつからか、または本当に錠剤のみかはわからないけど、それをずっと続けてきたのか?

健康に生きるために必要な栄養成分なんて日々研究が進んで増え続けている最中だっていうのに。まだ発見できていない成分なんかも当然……、いやそもそも!!食事は栄養補給と同時に楽しむものであって!!ルイス様みたいにあんな小さな錠剤をボリボリかじって無感情に済ませるようなものでは断じてない!!!


「却下です」

「勝手に却下するな」

「様々な味の、美味しい食事を召し上がりたいとは思わないのですか?」

「思わない。 この錠剤で問題なく生存できている。 時間の無駄だ」


取り付く島もないルイスに返す言葉を失ったレイノルドは、ふと彼の身体に視線を向けた。

先日止血した右腕の動きに目立った支障は見られないため、恐らく早々に魔法での治療を受けたのだろう。そのことに小さく安堵しながらも、同時に、服の上からでもわかるルイスの肉付きの悪さにかすかに眉を寄せる。

上背はあるために一見するとそこまで華奢だとは思わないが、先日実際に腕を握ったりもしたレイノルドには彼の肉体がより一層薄弱に見えた。

確かにあの時掴んだ腕は、成人男性にしては酷く頼りなく、有り体に言えばヒョロかった。


「何だ」

「いえ、何も」


ルイスは、レイノルドが心の中で思い浮かべたともすれば侮辱にも等しい言葉を敏感に察したのか、不快に染まる表情を更に歪める。直後のレイノルド渾身のキョトン顔は意味を成さず、早々に部屋から閉め出されてしまった。


しん、と静まった廊下で、自身の背後に寂しく置かれている銀色のクロッシュがかぶせられた朝食たちを振り返る。今回、これらを召し上がっていただくのは失敗に終わったが、無論これで諦める程レイノルドの心臓は弱くできていない。いつも錠剤のみを摂取しているのなら、最初はあまり胃を酷使させないようにスープのような液体、固形物であっても良く煮込んだ消化の良いものからが良いだろう。

レイノルドは、頭で着々と次のメニューを組み立てながら、一切手の付けられなかった食事を持って元来た道を戻る。


その表情に一切の悲哀は無い。

あるのは、ただ一つ。

次どう工夫を凝らせば、あの主人に手を付けたいと思わせられるだろうか、という攻略対象へ向けるような気分の高揚だった。



物事をただ順調にこなす執事は当然格好良いが、困難を乗り越えた先の成功を掴む執事は何故だかより輝いて見えるよね、と。

つまり、そういうことであった。



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