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5 0日目


使用人(?)の紹介が終わり、憂鬱な気分を切り替えられないままに、レイノルドは屋敷を案内してもらっていた。


しかし、ランドルフさんの先導で客室から移動する際も思っていたが、

――案内される部屋のことごとくが、随分と汚れている。

普段使われてなさそうな部屋はまだいい。清掃が疎かになってもすぐに困ることは無いだろうし。

だけど、主人と使用人の食事を作るキッチンまでもが埃だらけとなると……。

この屋敷の人達、食事はどうしてるんだ…?


「すいません、屋敷の清掃はスティーフさんが…?」


「僕とランドルフさんでやっています。 ですが、とても広くて…、頻繁に使用しない場所まで掃除が行き届いてないんです。


……先ほどから言おうと思っていたんですが、スティーフでいいです。 呼び捨てで。 敬語も結構ですよ。 同い年…くらいですよね? 僕、歳の近い使用人と働いたことが無くて…。 だから、レイノルドさんと仲良くなりたいんです」


「…、じゃあ、スティーフ! 俺のことも、呼び捨ててくれて構わないから!」


「あ、すみません、僕の言葉遣い(これ)はもう癖みたいなもので……、仲良くなりたいのは本当なんですけど…」


「そ、そっか、それなら、無理せずに…」


仲良くなりたいのだと、可愛らしくはにかんだスティーフに少し浮かれたレイノルドだったが、調子に乗って返した言葉を拒否され、1人で勝手にショックを受けていた。


突き放されたと感じてしまったことにより、自分だけが舞い上がっているという事実を正確に認識したのである。

恥ずかしい事この上ない。


それにしても――。


ピチャ、ピチャ


スティーフがあまりにも普通通りに会話を進めたため、今の今まで一生懸命意識の外に追い出していたが、この()()()()()()をずっと無視し続けることは、レイノルドには難しかった。


「あの、聞いても良いかな」


「はい?」



「――ここら辺、何で、水浸し…?」


ピチャ


歩く度、通路に点在する大きな水たまりが、レイノルドの革靴に弾かれて音を立てる。

これが、雨が降った後の屋外と言うのなら自然な話だ。しかしここはどう甘く見積もっても屋内であるし、雨漏りをするような杜撰な作りにも見えない。

誰かが意図的に床を濡らそうと画策しない限り、此処まで水浸しになるとは考えられなかった。


そしてすぐさま、スティーフによって答え合わせが成される。


「あ、はい! 10日後にお客様がいらっしゃるとのことだったので、見える場所を一気に綺麗にしてしまおうと思いまして! 今は水で汚れを流した直後なのでこんな感じですけど、窓を開けておけばそのうち乾燥します」


「…窓……窓ね……。 …あのテカテカしてる窓は、いったい?」


「汚かったので、油を塗って輝きをプラスしました」


「……」


「レイノルドさん?」


動きを止めるレイノルドをスティーフが不思議そうに見やるが、次々に視界に入り込んでくる信じられない光景に脳の処理機能を全振りしていたレイノルドには、そんな彼女に笑いかけることすらも難しかった。


そして極めつけに、彼女の背後に見えるあるものに向かって、レイノルドが恐る恐る指を指す。


「あの部屋から、大量の()が出てきているのは…」


「ああ! 自動洗濯装置を動かしているんでした!

…いつも泡塗れのまま終わるんです。 全自動って謳っているのに、結局は手洗いで濯がなければいけなくて。

――やっぱり魔法道具は駄目ですね。 ふふ」


「…ちなみに洗剤の粉はどのくらい入れた?」


「? 毎回測ってはいませんが、多く入れた方が綺麗に洗えると思って沢山使っています。 両手で山盛り2杯掬ったくらいでしょうか?」


ああこの人、下手とか上手いとか、そういうことじゃなくて、

――圧倒的に家事のセンスが無いんだ。


そして恐らくだが、魔法道具の説明書を読み込まないタイプの機械音痴…。


「もしかして、玄関周辺や客室の清掃をしたのは、」


「ルイス様の生活圏の清掃は、ランドルフさんが担当しています」


「ですよね…」


「?」


最初に感じていた違和感の正体に、そういうことか、とレイノルドが漸く納得したと同時、不思議そうに首を傾げていたスティーフが泡濡れの洗濯物を救出するため、その発生源へと躊躇なく進んで行った。


何も考えずにその姿を見たなら、空で散歩をする天使のようにも見えるんだけどな…。


ある一室から雲のように湧き出てくるスティーフの膝が埋まるほどの泡に、レイノルドは一瞬躊躇いながらも、現実逃避しかけた表情で加勢の意を示す。


「…テツダウヨ」


「いえ、レイノルドさんの業務は明日からですのでお気になさらず! ちょっと洗濯物を水に浸しておくだけで――わあ!?」


「っ!?」


この泡塗れの床で、逆に滑るなと言われる方が難しい。

なのでこれはもう仕方のない結末だ。


つるり


もう少しで自動洗濯装置にたどり着くというところで、スティーフは盛大に足を滑らせた。

そして、咄嗟に倒れるスティーフを助けようと、レイノルドが手を伸ばして――、


ドスン!!


「スティーフ!! 大丈、ぶ…、」


完全に身体を支え切ることは出来ず、レイノルドもスティーフと一緒に床に倒れ込んでしまったが、ひとまず彼女の頭部を守ることには成功した。

ほっと息を吐いたレイノルドは、安否を確認するために呼びかけて――、


頭を守った方とは逆の手が、ガッツリ彼女の胸をわし掴んでいる現状をしかと認識することとなる。


え、俺、今、スティーフの胸を…―――、


「ぅわ!!? すみませんっっ!!!」


顔を一瞬で赤く染め上げ、何かに弾かれたような勢いで両手を頭上に掲げて立ち上がったレイノルドに、

上体を起こしたスティーフが、何を言われているのかわからないと言った風な、きょとんとした視線を向ける。

しかしすぐさま、腑に落ちたようにその表情を変えた。


「…っあ、そうでした…。 こんな格好じゃ分かり辛いですよね」


メイド服のスカートに付いた泡を手で払いながら立ち上がり、汚れていないエプロン部分でその手を清めると、彼女はおもむろにレイノルドの手を取る。


そしてそれを、自身の胸元に導き、もう一度レイノルドにそこを触らせてから言った。


「僕、一応男です」


可憐な顔で照れ笑いを浮かべるスティーフに、失礼だとは思いながらも、その胸の感触をはっきりと確認する。

特に詰め物もしていないのだろうそこには、改めて反芻したところで何の膨らみも感じられなかった。



え、なに、これ…。



――その時、レイノルドの中で一日中積み重なってきた混沌さの許容量が、限界に達した。



我慢……、できるかーーーーー!!!!!


何っっだこの屋敷のめちゃくちゃさは!!!!


サボり魔・強姦魔・家事音痴の女装男子!!

いや別に女装男子の部分はただ俺がショックでしたってだけで特に何も無いんだけど…。

とにかく!!使用人に向いてない奴のオンパレード!!フルコース!!

逆に今まで何故これで大丈夫と判断されてた!!??


誰が許しても、執事としての自分のプライドがこの状況を許せない!!!

これは早急の対応が必要だ…っ!!




レイノルドは、鬼気迫る顔でスティーフにルイスの自室の場所を聞くと、そのまま主人に直談判をするために走った。


そして――、


コンコン!!

レイノルドの息遣いしか聞こえない静まり返った廊下に、やや強めのノックの音が響き渡る。


「レイノルドです! 早急にお話したいことがあります!!」


室内からの返事はない。


聞こえ辛かっただろうかと、レイノルドはもう一度扉を叩き、主人の名を大きく呼んだ。


「ルイス様!!」


「……、何だ、騒がしい…」


「!」


扉越しに、少し籠ったようなルイスの声が返ってきて、レイノルドはその表情に少しだけ期待を灯らせる。


「申し訳ありません! ですがこの屋敷の現状があまりにもっ……っ、扉を開けて、まずはその目でご確認をして頂けませんか!?」


そうしたらきっと、来客応対以外にも、いやそれ以前にやるべきこと、改善しなければいけないことが沢山見つかるはずだ!

多分ルイス様はまだそれを知らない状態で――、


「――…嫌だが?」


「は、」


はあ、と大きなため息を吐いた後、ルイスは非常に煩わしそうな声で言った。

まさか断られるとは思っていなかったレイノルドが、呆気に取られたままで1音漏らす。


姿の見えないルイスはそのまま続けた。


「お前は最初に要求した役目をこなしさえすればいい。 それ以外は勝手にしろとも言ったはずだ。 不満があるならランドルフに言え。 いちいち俺に干渉してくるな。 俺は、使用人(お前達)のことなど興味もない」


「……」


――理想は、互いに高め合えるような上司と同僚。

良識のある最上の主と信頼関係を築き、そんな、ただ一人の御方のためだけに仕える自分。



自然と落ちていくレイノルドの視界に、ルイスの自室の扉に付いたドアノブが映り込む。


――その付近には、片手では足りない程の数の鍵穴が、ビッシリと連なっていた。


思い返すと、先程庭園から見えた鉄格子のかかる窓も、位置からしてこの部屋だと推測できる。



ルイス様は、意図的に外界との壁を作っている。

屋敷内に親しい家族は居らず、使用人との信頼関係は皆無で興味もないときた。


暗殺と強姦を目的に屋敷に侵入したという、ニカさんのせいだろうか?

いや、大分年季の入っている鍵穴だ。1年そこらで急に設置されたものじゃない。


使用人を人としてでは無く道具のように扱う、そういう主人は勿論居ることだろう。

俺が通っていた学校の姉妹校、人を統べる立場の高貴な方達ばかりが通うそこでも、一定数使用人を奴隷のようにしか考えていない人間がいた。

――しかし彼は、それとは少々毛色が異なる。

自分の屋敷のはずなのに、異物を過剰に思える程拒絶して、この場所が全然安心できる空間になっていない。


俺が平民であることを何でも無いように言ったのも、俺を執事として雇ってくれたのも、それが『どうでも良かった』から?

平民であろうがなかろうが、ルイス様が拒絶することには、何のかわりもないから?


何だよ。

何だよそれ。



―――そんなの、息苦しいのはルイス様じゃないか。



10日間だ。

たった10日間、やり過ごせばいいだけ。そつなく業務をこなせばいいだけ。

だけど、俺の執事としてのプライドが、どうしたってそれを許さない。



だって、主人の快適な生活を最大限サポートするのが、執事の仕事だ。





レイノルドはその場で静かに膝を付くと、自身の懐から細長い針金のような物体を2本取り出し――、

迷わずそれを鍵穴に差し込んだ。


カチャカチャ


急に無言になったレイノルドと、小さく響く金属がこすれ合う音を不審に思ったのか、扉越しのルイスから声がかかる。


「……おい。 …おい! 何をしている」


「執事たるもの、ピッキングも完璧にこなせるものです」


「は…、はあ!? ピッキング!? 主人の部屋の鍵を無断で開ける使用人がどこに居る!?」


「ここに」


「非常識だと言っているんだ!! やめろ!!」


ルイスが激高している間にも、ガチャン、ガチャン、と物凄いスピードで、扉の錠前がレイノルドによって開錠されていく。


「勝手にしろと仰いました。 なので、勝手にします」


「このような無礼を許可した覚えはない!! 今すぐにやめろっ!!」


ガッチャン!!

焦るルイスの言葉を遮るかのように、最後の鍵穴がぐるりと回転する音が大きく響いた。

そうして、固定するものが無くなった扉が、今、ゆっくりと開かれていく。



暗い部屋だった。

広く、そして物も整理整頓されており一見すると整っているように見えるのだが、それ以上に、鉄格子によって外の明かりが遮られた故の陰鬱とした雰囲気が漂っている。


そしてその中心には、険しく歪められた顔に、目いっぱいの警戒と怯えを混じらせた赤髪の主人――ルイスが立っていた。


レイノルドは室内へは一歩も足を踏み入れず、扉を開けたその位置から動こうとしない。

しかし、強い意志の込められた真剣な青緑色の瞳だけは、しっかりとルイスを射貫いていた。


「――10日です。

10日で、この屋敷の使用人を一人前にして見せます」


すぐサボろうとする執事も、前科持ちの変態も、家事センス皆無の女装男子も、全員、ルイス様が少しでも信頼してもいいと思えるような、一人前の使用人に。

だから――、


「だから、ルイス様も、

――そんな彼らの変化を見ていてあげてください」


そしていつか、この部屋の頑丈な鍵を、たった一つでもいいから、ルイス様自身の意思で開けられるように。


「明日から、よろしくお願いします!!」


レイノルドは、腹に力を入れて大きな声を出しながら、新人らしく勢いよく頭を下げた。


これは、正しく俺の我儘なんだろう。

ルイス様は、物凄く嫌がるかもしれない。

もしかすると初日で首が飛びかねない。


――でも、何かに怯えながら屋敷で暮らすルイス様も、それを見て見ぬふりでやり過ごす俺も、


最っ高に格好悪いと思ったんだ!!




***


そんな宣言をしたのが、昨日のことだった…。

長い回想から意識を現実に戻したレイノルドが、気合を入れなおすように己の頬を両手でパチンと挟む。


言葉にしたんなら、何が何でも全力でやり遂げるのが執事だ!!


執事に二言は無い!!


レイノルドは今一度大きく深呼吸をして気持ちを引き締めると、眼前で落ち着きなく狼狽えているスティーフと、水をかけられて尚未だ眠り続けるランドルフの方へ足を進めた。


「おはよう、スティーフ」


「レ、レイノルドさん! ぉ、はようございます……っあの、」


「とりあえず、落ちたものと濡れたものを片付けよう。

――ランドルフさん!! そのままでは風邪をひきます! すぐに新しい服に着替えてきてください!!」


レイノルドは、涙の膜をその水色の瞳いっぱいに溜めたスティーフに安心させるように笑いかけた後、ランドルフのすぐ傍にしゃがみ込んでその身体を激しく揺らす。


「ん゛ん~~…、ん? 何で俺濡れてるんですか…?」


「あわわ」


「聞こえないのー!? ルイス様ぁーー!!」


目は半開きだが、覚醒したように見えるランドルフを確認し、

次いで、屋外にて騒音を響かせる犯人へと照準を合わせた。


レイノルドは、今いる位置から最も近い位置にあるガラス窓を勢いよく開けて、


「主人の目覚めは可愛らしい小鳥の囀りと相場が決まっています!!」


「あぁ~! 昨日の人!」


「返事は全てチュンチュンだろうが!!!」


「……、ちゅんちゅん♪」


どこか有無を言わせない雰囲気を感じさせる、ただならぬ形相のレイノルドに何を思ったか、首輪の男――ニカは一瞬ポカンとした表情を見せていたが、次の瞬間素直に従い、囀り始める。


成人男性がちゅんちゅんなどと言っているのはビジュアル的に痛いが、まあさっきよりは静かになっただろ。


……良しやるぞ。

ランドルフさん、スティーフ、ニカさんを、10日間で、一人前の…、使用人に……、


意気込みを心中で唱えている途中、ふいに周りを見渡す。


濡れ鼠のまま二度寝にしゃれ込もうとするランドルフと、それを何とか起こそうと彼の腕を引っ張るが、床に広がる水でまたも足を滑らせ転倒するスティーフ。あ、ランドルフさんの上に倒れた…主にランドルフさんの方が痛そう…。

屋外には、鉄格子の窓に向かってちゅんちゅんと…あれ、さっきまでの可愛こぶった声じゃなくて何か本格的な…あれ、本物の鳥の鳴き声再現してない?めっちゃうまくない?本当に人間の声帯から生み出された音?仲間と思ったのか周囲に小鳥たちが――。


――彼らを、一人前に、出来るよな……?



レイノルドは、これから始まる奮闘を想像して、1人小さく頭を抱えた。



――1日目開始。



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