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──レイノルドは努力した。

それはもう凄まじく努力した。


『その人』を認識した途端、突如夢の先を明確に見据えてしまった当時10歳の少年は、まず『専門学校』というものが何なのかすら知らなかった。

よくお菓子を分け与えてくれる古本屋のお爺さんに懇切丁寧に説明してもらって、ようやく教育機関の意味と、いかに自分の目指す道が無謀であるのか周囲の誰もから指摘される理由を理解できたのだ。


生存していくのに直結しない教養を身につけるのは、富裕層の特権だ。

専門学校――学校、つまりそれは今の今まで自分とは無縁だと思っていた、金に余裕のある者のために存在する教育機関なのである。

更に、ある程度高度な教育を受けるそこには、それを理解できる学力を持っていなければ入学する資格すら与えられない。

同年代の裕福な子供達がしゃなりしゃなりと机の前で真新しい紙に小さな指にぴったり寄り添うペンを滑らせていた頃、レイノルドはといえば簡易に整備された石の地面を駆け回り、コケて擦りむいてもなお駆け回り、実家の定食屋を手伝い、そしてまた駆け回るなどしていた。

そんな幼少期であった彼なので、文字の読み書きや簡単な金銭の計算等はかろうじて出来たが、それまでだ。


金も知識もない彼が『学校』に所属することは絶望的かに思えたが、まるで天がレイノルドに挫折を許さないかのごとく、たった一つ、たった一つだけ、方法が残されていた。


このアイサンドラ王国において、執事の養成を専門とした学校は多数ある。

その中でも、特に優秀な執事を育成する場として名高い名門、『アイサンドラ国立執事養成学校』に、身分を問わず才能ある生徒の入学・授業料の全額免除を認める、所謂『特待生』枠が設けられていたのだ。

学力さえあれば金銭的な援助を受けられる、という理想的な条件だが、それは言わずと知れた極めて狭き門。

募集枠はたったの3つ。

毎年大勢の人間がその枠を奪い合うが、合格者が全く出ない年も珍しく無く、

――そして学校創立以来、平民がその枠に入れたことなど一度もなかった。


しかし、レイノルドの執事に対する熱量は本物だった。

いや、決して『特待生』枠を狙う他の学生の熱量が低いとか、そういうことでは無い。

無いのだが、何というか、レイノルドのそれはもはや執着と言っていい程に異常であった。


そこからのレイノルドは、ひたすら知識を吸い込み、蓄積するスポンジと成り果てる。

彼が幸運だったのは、近くに、レイノルドに協力的な品揃えの良い古本屋があったことと、そこに度々訪れる身分の高い学者連中に、珍しさから多少、本当に多少、興味を持たれていたことだろう。


店主の厚意から、無償で貸し出してもらったありとあらゆる教本を、全て空で言えるくらいに読みこんだ。

古本屋の隅で、来る日もくる日も鬼気迫る顔で本を読んでいるレイノルドに、ある人はもう使わないとペンを、ある人は燃やす予定の裏紙を、ある人はレイノルドにとって難解な問題の解説を、と。

古本屋に訪れる客の内数割の人間が、まるで野生の鳥に気まぐれに餌をやるかのような軽い気持ちで、ポイポイとレイノルドに慈悲を与えた。


そんな周囲の協力ありき、そして今までレイノルドが経験したことがなかった程の、血の滲むような努力ありき、最後にきっと少しだけ天も味方して、遂に彼は、町中の誰からも、両親からですら欠片も期待されてなどいなかった名門校の『特待生』枠を見事勝ち取ることとなる。


アイサンドラ国立執事養成学校で、初の平民学生として入学したレイノルドは、何度も壁にぶつかり、膝を付きながらも、優秀な同級生達と切磋琢磨し合って執事としての技術を着々と身につけていった。

そしてその結果、レイノルドは最終的にアイサンドラ国立執事養成学校を、なんと首席で卒業。

すぐさまその足で受けた、執事職に就くための公的な資格取得試験(執事職認定試験)、イコール、国内の未だどの家にも従事していない執事見習いの優劣を競う意味を同時に持つこの試験においても、もう20年以上破られていなかった歴代最高点を1点更新するという、素晴らしい快挙を成し遂げて見せた。


正に執事としての実力、そしてそれを示す証拠、共に最高レベルまで達したと言っても良いレイノルドだったが、これがゴールではないと、今やっと執事としてのスタートラインに立つ資格を得ただけの状態なのだということを、しっかり理解していた。


未だ鮮明に脳裏に焼き付いている幼き日の記憶。

誰よりも、何よりも格好良く見えた『その人』に少しでも近づけたことを嬉しく思うと同時、

彼のように、自分にとっての最上の主人に出会い、そして尊敬できる上司、互いに高め合える同僚と協力して、主人に尽くす、そんな自分を夢見る。


この先に、当然輝かしい未来があるものだと、レイノルドが期待しないはずもなかった

――期待しないはずも、なかったのだ。




きゅるるるるるる


天高く上った太陽が何にも遮られぬままカラリと地上を照らす、そんな心地の良い昼下がり。

街の通りの中心で、薄茶色の頭を俯かせ、力なく佇む一人の青年が、盛大に声を上げた己の内臓を慰めるようにしてそっと上から手の平を添えた。


「…お腹減った……。」


どうも、アイサンドラ国立執事養成学校首席卒業者、執事職認定試験現最高点保持者である、エリート中のエリート、レイノルド、19歳です。

絶賛、無職です。


――卒業後、さぞ引く手数多だろうと思われたレイノルドには、たった一つの雇用希望も来ず、それならばと各屋敷の採用面接を受けてもことごとく「不採用!今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます!」という具合に断られる日々だった。

祈ってくれなくていいです。雇ってくれるならそれだけでいいんです。


しかしこれは執事職での採用に限った話で、使用人に、という声が無かったわけではない。

通常使用人を統率する立場にある執事職は、経験も無しに容易に勤められるものではないため、まずは使用人業をこなしてから執事への昇格を目指すという者が一般的だ。

しかし、アイサンドラ国立執事養成学校においてはカリキュラムに実践的な使用人経験の授業も組み込まれているため、卒業生は即戦力として執事職に就き、そこでさらに技能を磨くことの方が多く求められていた。

レイノルドもそうなりたいと思っていたし、使用人に、と声がかかる雇用先では、ほぼ昇格が絶望的なところばかりであったこともあり、全て断っていたのだ。


――なぜならレイノルドは、『格好いい執事』に()()()()()()に今まで努力してきたのだから。


しかし、そんな理想的な雇用を困難にしていたのには、レイノルドの出自が関係していた。


執事と言うのは、どんな使用人よりも主人の近い場所に存在する立場の人間である。

そのため、間違っても主人を害する可能性が無い相手を選ばなければならない。

通常は雇い主より下位の身分、かつ、家同士で繋がりがあり、裏切ることが出来ない、反抗が出来ないような、信頼が保証された人間しか執事職に就くことが出来ない場合が多い。

つまりレイノルドのような、どこの馬の骨かもわからない平民などは、いくら実力が伴っていたとしても、自身の生命を預けられないと判断されるわけだ。


『平民は執事になれない』


これは学校に入学する前にも、学内でも散々言われ続けてきた台詞だったが、レイノルドはどこかで、実力があれば出自のリスクは払拭できるのではないかと期待して、信じていた部分もあった。


しかし、現実は無職(これ)だ。

期待の分だけ、変わらない事実を突きつけられた時の落胆は、大きく身体にのしかかった。




はぁ、と3ヶ月前の当時の記憶を思い起こして、反射的に溜息をこぼす。


卒業してから今までも、ひたすら雇用先を見つけようと足掻いてきたが、全て不発に終わるばかり。

定期的な日雇いのアルバイトで賄っていた生活資金もそろそろ底をついてきたし…、俺、このままで大丈夫なんだろうか、とそう考え始めたところで、


ドンッ!


左肩への衝撃を通して、一気に思考の縁から引き戻される。


「わっ!」


「っ!!」


衝撃の原因は、レイノルドの横を通り過ぎようとする、外套姿の人間だった。

レイノルドと同じくらいの背丈と把握できるおおよその体格から、恐らく男性だろうと一瞬であたりをつけたその相手は、ぶつかった衝撃でかすかによろける。


それによって、少しだけ揺らいだフードの隙間から見えたのは、

今まで目にした、どんなものよりも鮮やかな 赤。


同色の果実よりも、血液よりも、薔薇の花びらよりも、夕焼けの鮮烈なそれよりも、レイノルドの心臓を揺らすことを予感させるその赤髪に釘付けになっていると、

その奥から、研ぎ澄まされたナイフのように鋭く煌めく金の瞳が、赤いベールの隙間を縫ってレイノルドを捉える。


カチリ


確かに、視線が交わる音がした。

それは、時間にすればほんの1秒足らずの出来事だったが、レイノルドにとってはまるでこの空間だけ時間の進みが遅れているように、彼の瞳の瞳孔が急な外光に照らされてキュウッと細くなるところまで良く見えた。

――気がしただけかもしれないが。

当然、時間の付与は誰しも平等で、彼はいつの間にかレイノルドの後方へと走り去っていく。


「……っはぁ~…」


突然視界を埋めた情報の多さに、レイノルドは目を瞬かせながらしばし茫然としつつ、無意識に詰めていた息を感嘆と共に吐き出す。

この国で赤髪はそれほど珍しくもないが、それにしても、一瞬見えた彼の髪は誰もが視線を止める程の酷く綺麗な赤色だった。

レイノルドは自身の色素の薄い前髪を引っ張り、上目で見やる。


「(くっ、やっぱり赤髪は目立って格好いいんだよな!)」


自分の平々凡々な薄茶色の髪も、印象に残りにくく、動きやすいため気に入ってはいるのだが、自身とは正反対の濃い髪色を見るとやはり鮮やかで憧れてしまう。

レイノルドの目標でもある、幼き日にあった『その人』も、ダークタキシードと相まって印象的な漆黒の髪であったため、もしかするとレイノルドの中の格好良さの要素として髪色というポイントが刻み込まれているのかもしれない。


まあ髪がどうであろうとも執事である時点で俺は格好いいのだが。

……今は、今だけは執事職にも就いていない無職だけど…。

別に泣いてない…。


情緒を不安定に上下させながら、ふとレイノルドが視線を地面に向けると、足元に手のひらサイズの四角い棒のようなものが転がっていた。

今落ちましたと言わんばかりの、光沢があり、真新しそうなその黒い物体を不思議に思って拾い上げ、全くもって用途は不明のそれを目の前に翳して観察する。


「金属の原料…にしては質量が釣り合ってない…。それに不思議な位置にヘコみが、って、ここだけ色が―――」


バッ!と、レイノルドは弾かれたようにして、片手で宙に掲げていた物体を両手で大事そうに、間違っても絶対に落としたりなんてしないようにしっかりと持ち直す。

無言で、若干青ざめた顔に冷汗を浮かべながらそんな行動を取ったのには理由があった。


「(あっっっぶなかった!!気付いてよかった!!!

―――これ、()()『マクレーン』ブランドの『魔法道具』だ!!!)」


両手の中に納まる黒い物体。

その隅に明記されたたった一つの『意匠文字(ロゴマーク)』が、昼間の街中では言葉を発することすら憚られる程の、それの価値を明確に示していた。


【マクレーン】


宝石を砕いた赤い塗料を用いて、筆記体でシンプルに書かれたその文字が示すものは、この国の発展に無くてはならない『魔法道具』の、酷く有名なブランドの1つ。

5年前に正式に創業してから、瞬く間に国中の『魔法道具』の概念を一新させた新進気鋭の企業、マクレーン社の製品であるという証そのものであった。



――この世界には、『魔法』という力がある。


それは、誰もが肉体の器官として持っている、魔力路で生成された『魔力』を消費して使用できる能力であるが、個人間で保有する魔力量には差があり、それが足りずに魔法を使えないという人も存在する。

例えば魔法先進国として栄える近隣国、ユークフェルト王国と違って、アイサンドラ王国民全体の魔力保有量はそれほど多くなかった。

かくいうレイノルドも、魔法が使える程の魔力は有していなかったし、それはこの国の平民であれば大して珍しい事でもない。

魔力路の大きさは肉体情報の遺伝に左右される傾向にあるため、

建国時に魔法を使用できる人が中心になって動いていたことから、王家や貴族の血筋に連なるものの魔力量は多い傾向にあったが、彼らにしても、それほど大きな魔法は使用できないことがほとんどであった。


そんな国全体の不足部分を補おうとして生まれ、そして実際に国を発展させるに至ったものが、あらかじめ圧縮された魔力が込められ、様々な用途別に改良された『装置』、魔法道具である。


利用者の魔力消費が極限まで抑えられる便利な魔法道具の中でも、マクレーン社の製品はアイデアが革新的で、性能も良く、そして富裕層向けに売り出される――つまり、非常に高価なことでも有名であった。


「(この手の平サイズの魔法道具ひとつに、俺が一生遊んで暮らせるくらいの価値があると思うと恐怖でしかない…!…でも待て、既に落ちてたよな……、あ!!怖い!!)」


魔法道具を持つレイノルドの手が、思わず震える。

おお、待て待て落ち着くんだレイノルドボディ。

この震えでもう一回地面に落として、完全に使い物にならなくなったりなんかしたら目も当てられないぞ。


これは、平民が易々と手に出せるものではないはずで、ましてや街中の通りに今まで落ちていたとして、絶対に無事に落ち続けているようなものでもない。(主に盗難的な理由で。)

考えられるのは、先ほどぶつかってしまった『赤い彼』の、落とし物という線だが…。

――髪や瞳にばかり気を取られていたが、確かに彼が身に纏っていた外套は、視界の端で見ただけでも質の良さがわかる生地をしていた。

一般市民、と言うには少し、無理がある、か?しかし、いまいち確証に欠ける、とレイノルドが頭をひねっていると、


その真横を、スルリ、風が通り過ぎるような早さで、そして異様なほどの静けさで複数の人間が駆け抜けていく。


それは、犯罪者を追いかける衛兵のような、真っ当な集団の動きではない。

実際に見たことなど無いが、人を殺すことを生業としている、その道の熟練者の身のこなしのようだと、直感的に感じた。


すぐさま走り去る彼らを振り返ると同時、ふいに、先ほどの赤い彼を思い返す。

そういえば彼は、どこか急いでいる様子だった。


――まるで、何かから逃げているかのように。


そのことが思考をよぎった瞬間、レイノルドは一拍置く間もなく駆けだしていた。

先ほどまで、あんなに大事そうに両手で握り込んでいた魔法道具は、今はレイノルドの片手に収まり振動に耐えている。

その動きに合わせて、宝石を砕いた、誰かを連想させる赤い、赤い文字が、キラリと存在感を放っていた。




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