10 2日目
「…どう、ですか?」
「うん、ばっちり!」
レイノルドの返答を受けて、スティーフの表情がぱあっ!と明るく変わる。
その背後には、レイノルドの指導の元、スティーフによって綺麗に整えられた一室が広がっていた。
「嬉しいですっ、僕、1人でこんなこと出来た試しがなかったのに! レイノルドさんは凄いです!」
「凄いのは実際にやったスティーフだよ。 覚えるのも早いし、作業も丁寧だ。 事前に方法を学んで焦らず忠実に段取りを組めば、スティーフだったら何でも出来るようになるよ」
本心からの言葉に、スティーフはガラス玉のように丸く透き通った水色の瞳を数回瞬かせて、レイノルドを見つめる。
それから少し間を空けた後、彼は静かに呟いた。
「…僕、学もないし、考え無しで、不器用、なんです。 大事な時にも、失敗して、怒らせて、呆れられてばかりで…。 でも、それをどうにかする方法もわからなくて…。
だからやっぱり、改善策を示して下さったレイノルドさんは凄い人です。
ありがとうございます」
ふわり、と春風を運んでくるような温かい微笑みを向けられる。もう何度目かわからないスティーフのその些細なことに対する真っ直ぐな賞賛は、回数を重ねるごとにレイノルドをむず痒い気持ちにさせる。自信はめちゃくちゃにあるレイノルドだが、身分が平民なこともあり専門学校では周囲から見下されてばかりだったので、このように直球で褒められることには正直慣れていないのだ。「執事ですから!!」と胸を張るのも、今は少しだけ照れが混じりそうで嫌だった。格好悪い…。
「ど、どう、いたしまして」
「はい!」
やや固い動きで視線を泳がせるレイノルドを気に留めることなく、スティーフは「次の清掃場所に行きましょう!」と、気合十分に歩き出す。
その背中に、レイノルドは慌てて声をかけた。
「ス、スティーフ!」
「はい?」
お返し、…のつもりはないけど、一方的に感謝されるのは少しおかしい気がして。レイノルドだって、スティーフに感謝しているのだ。
「スティーフは、自分に自信が持てていないみたいだけど、俺はこの屋敷にスティーフが居てくれて良かったと思ってるよ。
こっちこそ、ありがとう」
好意的な態度で俺に接してくれるスティーフは、この屋敷の使用人…まあほぼランドルフさんなんだけど、彼と俺の橋渡しを担っている重要な存在だと思う。
初日にルイス様から「好きにしろ」とは言われているけど、ポッと出の俺が今まで屋敷を管理していた使用人を全部無視して好き勝手やれば、反感をかわれるのは当然……なはず…。むしろランドルフさんからは「お世話になります」と言われてはいるけども…、まあ…、普通は…。普通は反感をかう。
そう考えると現状、スティーフが一緒に行動してくれることで俺も大分自由に動けている部分がある…と思うのだ。多分ランドルフさんにとって、俺がスティーフに業務を教えることはメリットにしかなり得ないだろうし。……その他にも、ランドルフさんがやるはずだった仕事を全部肩代わりしていることが、メリットに……、あれ、もうわからなくなってきた。
まあつまりは、愛想が良くて素直なスティーフがその立場でいてくれて、本っっっ当に良かったという話だ。これがニカさんだったら、俺は協力し続ける自信がない。
……それでも昨夜、変な夢(?)は見てしまっているわけだけど。
レイノルドの方を振り返ったスティーフは、一瞬虚を突かれたように目を見開いてから、
嬉しいのか悲しいのか、感情の読み取れない顔で酷く綺麗に笑った。
レイノルドは、自身の予想と違ったその反応を少しだけ不思議に思い、しかし、すぐに前を向いてしまったスティーフに問いかけるタイミングを失ってしまったまま、
再び、夜が来る。
*
「よし。ここだな…」
レイノルドは就寝準備を済ませた後、昨夜自分の意識が途切れた場所に来ていた。
証拠など何もなかったが、一日経ってもやはりレイノルドは昨夜の事が夢だとは思えなかったのだ。喉に引っかかって取れない小骨のようなそれが、ずっと頭の中に居座っていて。だから今日だけ。今夜だけ、昨夜と同じ場所で少し外を見張ろうと考えた。何もなければそこまで。気持ちよく眠って、昨日のことは夢としてさっぱり忘れてしまおう。そうしたらもう、業務に関係のないことで悩む必要もない、と。そういうことである。
レイノルドは自室から持ってきた椅子に腰掛ける。とりあえず1時間程度はこの場所に居座るつもりでいたからだ。というのも、昨日自分が目を覚ましたのは体感的に就寝してから1時間程度だったので。
執事たるもの、時間感覚は常に研ぎ澄まされている。
結構幅のある窓枠に両肘を乗せ、片方で頬杖をついた楽な姿勢をとる。
眼下に見えるのは濃淡様々な黒一色。そよぐ程度の風に素直に身を任せながら揺れている植木達は、月光の影になっているせいか暗く黒く、まるで空間にポッカリ空いた不揃いな穴が蠢いているようだった。それがあちらこちらにあるものだから、少しでも明るいものが有れば自然と視線はそちらへ惹きつけられるものだ。昨夜は気づかなかったが、離れた位置にある門に小さく2つの灯りが見えた。多分あれは魔法道具の光だ。揺らめく炎の色にも似た眩しすぎないその優しい灯りは、見る者の心を穏やかにさせる。
星だけがチラチラと忙しなく瞬き、地上を見守っている夜。あらゆる生き物が夢の中へと旅をする、静かで、穏やかな時間帯。
当然動く人影など見えないし、ましてや、スティーフが…、
『レイノルドさんは凄い人です。 ありがとうございます』
スティーフが、誰かを殺すなんてそんなこと、あるわけが……、
──ゴンッ
「…っは!!」
変化のない視界と程よい暗闇についうとうとしてしまったようだ。一瞬意識が飛んだのを、額に当たった窓ガラスが諫めてくれる。
危なっ!寝るとこだった!
レイノルドは自身の頬を叩いて覚醒を促した後、眉間に力を入れて再度外を観察し直す。
灯り、変化なし。植木、変化なし。花壇、変化なし。人影、…なし。生き物の動く影……なし…。
空、………変化、なし…。
──ああでも、
月が、昨日と同じ位置にある。
鈍くなる意識の中で、そう思った瞬間だった。
キラッ、と昨夜と同じように視界の端で何かが光って見えたのは。
「──ッ!?」
眠気で霞んでいた瞼を強引に擦って目を潤したレイノルドは、勢いよく身を乗り出して限界までガラスに顔を近づけた。
上方から、月に照らされる煌めきを追うのはそう難しいことではない。比較的早く視界に入れる事が出来たその人物に、レイノルドはまたも息を呑む。
昨日よりも、ずいぶん開けた場所に居た。
暗闇の中ではあるが、何かの影になっていないそこは月の光に余す事なく照らされていて、目が暗さに慣れている今のレイノルドにとっては少々眩しく思えてしまうくらい。
だから、遠目でもその姿が良く見えた。
ショートカットにされたストレートの美しい金髪。年齢はレイノルドと近いくらいで体格はやや細め。高身長ということはなく、おそらくその背はレイノルドより少し低いくらいだろう。
──それは、間違いなくスティーフだった。
2日、下手すれば3日もずっと行動を共にしていたのだ。見間違えるはずもない。
違和感があるとすればそれは一つだけ。彼が男性用の使用人服を身に纏っているということぐらい。確かスティーフはそれを「持っていない」と言っていたけど、それが本当か嘘かなんてもうどうでもいい。だって今のように、人と戦う際に動き辛い服を着るのは、自殺行為と同義だから。
「スティーフ…と、侵入者…?」
スティーフを攻撃している相手は顔を隠していたが、その背格好は屋敷の関係者であるランドルフともニカとも異なっていた。となるとレイノルドの頭に思い出されるのは、ルイスとの初対面時に彼の命を狙っていたあの刺客集団だ。
何はともあれ、この屋敷、ひいてはルイス様に害をなす相手であることは間違いない。スティーフは、それを防ぐために戦っている…?
──加勢しよう。
戦力になるかは分からないけど、援護なら出来るはずだ。
レイノルドは急いで外に向かおうと、外から視線を外して、
「──ぇ、」
振り返ったその正面には、見慣れたメイド服の──、
意識は、そこで途切れた。