復元ポイント
壁の時計は14時32分を指していた。
実験を始める直前に確認した時刻だ。
ズボンが濡れていることも、女子大生の視線も気にならなくなった。
空のカップを目の前のトレーに置く。
カタン、と小さな音がした。
静かに深呼吸する。
アイスコーヒーが溢れる前に戻ろうとして失敗し、なぜかこぼした直後に戻った。
これはどういうことか。
そもそも、マンションでの200回を超えるタイムスリップはなんなんのか。なぜ、毎度毎度あのペットボトルを手にした瞬間に戻ったのか。
いちばん初めに義父から水を受け取ったとき、何があった?
壁の時計を見る。
現在、14時36分。
ぼくは水を受け取りながら、義父の見せた思いがけない親切心に、大いに驚いた。
心を動かされたといってもいい。
ぼくは、一呼吸置くと、アイスコーヒーをこぼした直後を〝思い出した〟。太ももに広がる冷たい感覚、コーヒーの香り、隣の女子大生の目線、湧き上がった羞恥心ーー。
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気づけば、トレーに置いたはずのグラスは手の中に戻り、アイスコーヒーの雫をズボンに垂らしていた。
首を増して時計をチェックする。
14時32分。
ぼくは立ち上がると、こぼしたコーヒーを綺麗に掃除し、グラスとトレーを返却棚に戻して店を出た。
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灼熱の太陽が首筋を焦がす。
十メートルも歩かないうちに汗が吹き出した。
ぼくはドトールのそばに立つスタバに入った。
抹茶フラペチーノをオーダーする。
値段は、ぼくの金銭感覚からすれば目の玉が飛び出るほどだが、義父の財布から取り出した万札で支払う。
手にずっしりとしたフラペチーノの重みを感じながら、皮張りのソファに身を沈める。
フラペチーノは強烈に甘く、美味しい。これを飲むのは、ぼくの夢だったのだ。
天井ではシーリングファンがゆっくりと回り、涼やかな風を送りだしている。
フラペチーノを時間をかけて楽しんだ後、ぼくはフラペチーノを初めて口に運んだ、感動の瞬間を思い描いたーー。
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果たして、ぼくは一口目を口にした瞬間に戻っていた。
手の中のカップは重さを取り戻している。
ぼくは微笑んだ。
能力を理解した確信があった。
この力は、ようするにコンピューターでいう〝復元ポイント〟のなのだ。