表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/18

実験開始


213回目、ぼくは手の中のペットボルトを蓋を開けると、中身を足元の床にぶちまけた。


義父がドスの効いた声でいった。

「てめぇ、人がくれてやったものを。俺に喧嘩売ってんのか?あぁ?」


「そうだよ。喧嘩を売ってるんだ」


ぼくは両手でボクサーのようなファイティングスタイルをとった。


「アホかお前。素手で俺に勝てると思ってんのかよ?」


違う。素手というのがたいせつなのだ。


ぼくの失敗のうち45回は武器になるものを持ったことだった。義父はぼくが見上げるほどの大男だが、毎回、ぼくが得物を手にした瞬間に〝本気〟になった。逆をいえば、こちらが素手ならば、義父はぼくをなめてかかってくる。


「あんたはぼくに勝てない」


義父は過去17回と同じように、左手でぼくの襟首を掴もうとした。狙いは柔道技の払い腰だ。ぼくは14回吹っ飛ばされてうち10回は肋骨と腕の骨を折った。


だが、ぼくは襟を掴みに来ると知っている。


右の肘で義父の手を逸らし、左手で軽くジャブを放つ。ごつんと骨に衝撃が走った。


「おっ」義父がうなり、ぼくと同じようにファイティングポーズをとる。


が、繰り出してきたのはパンチではなく前蹴りだ。


命中すれば、睾丸が一撃で潰れるほどの威力だが、ぼくは前蹴りが来ることを知っている。


冷静に一歩下がってかわし、即座に踏み込んでジャブ。


今度は義父の鼻に命中した。


「てめ」と義父。


彼は両腕を広げ、ぼくを掴もうと踏み込んできた。


ぼくは手を広げると、腰を入れて力の入った右ストレートを放った。


義父の鼻から血が吹き出す。


「ごのやろ」義父が右手でフックを繰り出した。


ぼくは頭を下げてかわすと、またジャブを打った。


ローキックを避けてジャブ。


アッパーを避けてジャブ。


ストレートに避けてジャブ。


二十三発目で義父は崩れ落ち、ぼくは死から逃れた。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


義父の鞄から財布を抜き取ると、ぼくはマンションを出た。


8月の太陽がじりじりと首筋を焦がす。

アブラゼミの大合唱に混ざって、近所の高校のグラウンドから金属バットの快音が聞こえて来る。


腫れ上がった左拳をさすりながら、駅前まで歩き、ドトールに入る。

カウンターでアイスティーを注文し、二階席の窓際に腰を落ち着けた。


人気は少ない。

ぼく以外の客は、一つ開けた席でパソコンを叩いている女子大生に、隅のソファ席でテーブルにつっぷして居眠りしているOL風の女性だけだ。


エアコンの風が吹き出した汗を冷やし、ぼくはぶるりと震えた。


頭の中で思考がぐるぐる回っていた。


いまの一連の体験は、いったい何なのか。


ぼくは死んだ。


いや、死の淵まで追い込まれ、何度も〝やり直した〟。


アニメや映画でよくある〝ループ〟とか〝リピート〟というやつか?

はたまた、単純なタイムスリップ? 

それとも、予知能力?

あるいは、すべては死を間際にした夢に過ぎない? 


現実の僕は自室で焼け焦げ、死の淵に追い込まれた脳が超速度で回転し、ドトールにいるという妄想を見せているのか。


自己を保つには、確認しなければならない。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


ぼくは首を回して、壁のアナログ時計を確認した。


十四時二十三分。


ぼくは手の中のグラスをひっくり返した。

アイスコーヒーがどはどばとズボンを濡らす。


近くに座っていた女子大生が、目を丸くして僕を見つめた。

頭がおかしいのか? といわんばかりだ。


彼女の視線から逃れるには〝戻る〟しかない。


ついさきほどまでの、まっすぐにグラスを持っていた自分にーー。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


時間は戻らなかった。


グラスからはポタポタとアイスコーヒーの残り汁が垂れ、足元の床を汚し続ける。


急激に恥ずかしさが込み上げた。

「あー、手がすべって」

わざとらしくいいながら立ち上がる。


早足でフロアの真ん中にあるトレー台に向かい、紙ナプキンをとって、濡れたズボンに押し当てた。


どうやら、任意の時間に戻れるわけじゃないらしい。


我ながらバカみたいな真似をしたものだ。

なにも、アイスコーヒーをこぼす必要はなかったのに。


隣の女子大生の、あの目つき。

じわじわと足に広がる冷たい感覚と、沸き起こる羞恥ーー。


気づけば、ぼくは先ほど立ったはずの椅子に座り、逆さにしたカップを握って、呆然としていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ