文明加速
筆頭研究者の鳴上がいった。
「計算です。すべては計算なんです。あらゆるシミュレーションにはコンピュータによる計算が欠かせません。しかし、その速度が絶対的に足りないんです」
彼は机の上の巨大なパソコンを叩いた。パソコンの背からは太いケーブルが幾本も伸び出し、壁際にならんだスパコンに接続されている。
スパコンはぼくがIBMから借り出してきた世界最高の計算速度を持つ代物だ。鳴上に負けないくらいに甲高い唸りをあげて駆動している。
「あと、どれくらいの計算力が必要なんですか?」と、ぼく。
「世界すべてのスパコンを集めたとしても、必要な計算結果を得るのに1000年はかかります」
まあ、予想通りだ。ぼくはここ何週間か、幾度も復元を繰り返してパソコンに関する膨大な知識を仕入れていた。
鳴上がため息をついた。
「ただ、本当に恐縮ながら、わたしが抱えているシミュレーションの問題がなくても、とても間に合うとは思えません。レトロウイルス開発グループや、酵素開発グループも立ち止まっています。彼女の病を治すにはあと五十年は必要ですよ」
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ぼくは優里の病室で彼女の痩せ細った手をとった。
もう意識がない。
ぼくの背後には研究チームの主要なメンバーが揃っていた。
鳴上が彼らを代表してぼくの肩を叩いた。
「あなたは精一杯やりましたよ」
みな、ぼくがここで彼女には別れを告げると思っている。
まあ、じっさいその通りなのだが、意味合いは少々異なる。
ぼくは優里の手を握りしめた。
「また未来で」
ぼくは時を復元した。
戻ったのは、ぼくのなかにあるもっとも古い記憶だ。二歳の時、縁日で転んでリンゴ飴を落としてしまったとき。
二歳のぼくは地面に寝転がって泣き喚いていたが、ぴたりと涙を止めて立ち上がった。
泣いている暇なんてない。
優里が死ぬまでに、あと14年しかないのだ。
たったそれだけの期間で、人類の文明レベルを50年底上げしなければならない。
ぼくと彼女が作ってきた関係はすべてが無になった。
もう二度と彼女と会うことは叶わないかもしれない。今後のぼくの行動は、さまざまな人の行動を変化させ、玉突きのようにあらゆる事象を変えていくからだ。
それでも、彼女を救う方法はこれしかない。
今回で無理なら、何度だって過去に戻ってやり直して見せる。
未来の知識を持ち帰り、科学技術の進化速度を早め、その結果生まれた新しい知識をまた持って帰るのだ。




