烏が鳴いて
烏が鳴いているから、
帰ろうと言ったのは誰だったか。
谷川から上がって、山道を下りて、
祖母の家に向かっていると、
烏が鳴いて、下りてきたばかりの
山の方へ飛んでいった。
烏のいなくなった日暮れは、
やがて暗くなり、
祖母の家に着いた頃には、
日はすっかり落ちて、
周りの田んぼや林から、
蛙や虫の音が溢れていた。
「お祖母ちゃん、着いたで」
「遅かったんやな……心配したんやね」
「ごめん、山越えてきた」
「一人であんな所、行ったらあかんわさ。
谷へまくれてくぞ」
「うん……わかっとる」
「夕飯、先、食べるかな」
祖母は丸い背中で言った。
独りで山道を越えたことは、
子供のすることではなかった。
ぼくは、谷川に下りたことを
黙ったまま、
祖母が作ってくれた、
シーチキンの甘口カレーを食べた。
祖母はお風呂の後、
この西瓜切ったるがなと、
台所の大きな玉をポンポンと叩いた。
そして、蛇口からコップに
水を入れてくれた。
山から引いている冷たい水だった。
ぼくは、谷川が
胸につかえたような気になり、
何か話さなきゃと思っていた。
「烏が鳴きながら、山へ帰って
行ったわ……」
唐突に言った。
「そうかな……烏が鳴くから、
帰ってきたんかな」
祖母は、耳が遠いのか、
どういう意味なのか、
痛く感心した様子で、頷いていた。
烏が鳴いているから、
帰ろうと言ったのは誰だったか。
祖母ではないことは確かだった。