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宵闇仕討人  作者: 神谷主水
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一富士二鷹三仕討ち(三)

 夜、江戸赤坂にも高級料亭はある。というのも紀尾井町に近く、さらに大名屋敷が付近にも充実しているため、お偉方が集まって宴会を開くのも頷けるというもの。

 今回は材木商の中村屋嘉三。紀州家のみならず松江藩主松平出羽守家、尾張大納言家、幕末において大老直弼公で知られる井伊掃部頭(かもんのかみ)、御三卿、しまいには御公方直々に愛用されるほどの将棋盤の材木を売っているのが中村屋なのだ。また三村の推しもあるのかないのか、江戸城西の丸御殿の修復談合にも参加できている。

 料亭の名前は「酔水郭」。この日は中村屋の方から招待されたもので、七ツ時(午後四時相当)には上屋敷に迎えの駕籠がやってきて、それがたどり着いたのは七分後のことだ。

 なにやら修復工事について用談をしているようで。


 「つきましてはな三村様、もう一押しが欲しいのですよ」

 「もう一押し、とは?」


 互いのことをよく知っているくせに、中村屋は紫の包みを強調するし、三村も三村で手招きをして催促している。全てにおいてわざとらしい。


 「作事下奉行様から、手前の見積もりが一番安く、そのうえ頑丈にできるとのことで⋯⋯」


 その包みを開ければ、()()()()()()()が四個積まれている。もっと高く積めるはずだが、はたして⋯⋯。


 「そうか、それは良かったではござらぬか。しかしあの作事奉行殿はいささか堅物ゆえ、老中松平和泉守殿に奏するので安堵めされい」

 「それはありがたき幸せにござりまする」


 出世の仕方からか、いろいろな相手にも丁寧に話すのは三村佐兵衛なりの礼儀なのかもしれない。そうしたなかで、出世の邪魔と目されたものを人を遣わして殺すなどの手も使わないでもなく、したがって裏の世界のことはご存じのはずなのだ。

 用談もそこそこに、酒が振舞われる。

 さらに芸妓たちが出てきたところに、中村屋の件が終わって上機嫌な三村が立ち上がり、小用と言って出ていこうとする。

 よく酔水郭に行くので、なじみになった座敷女中が付いていこうとしたのを、


 「まあよい、一人で行ける」


 と手で制した。ことあるごとにここで様々な商人と付き合ってきたので当然であろう。

 そしてそれが、彼にとっての運の尽きであった。




 ・・・


 奥の雪隠に着く寸前、一人の男に遭遇した。その男は三村よりも背が高い。


 「おや、先客だったかな?」

 「いえいえ、お武家様。どうぞお通りを」

 「そういうわけにはいかぬ。先におったゆえお譲りするのだ」

 「しかし⋯⋯」


 と、譲り合いが発生してしまった。確かに先に着いたのは大男の方だ。それに料亭で刃傷沙汰などみっともない醜態ということで、


 「では、私が先に用を足すので、せめてついていってもらいたい」


 三村がこのように譲ったので、


 「されば、ありがたく」


 男も承知してついていくことにした。

 やがて雪隠に着いて、先に三村が戸を開けたその時、


 「うっ、⋯⋯」


 息が、止まった。

 首の後ろから延髄に、針が深々と刺さっている。

 その凶器を抜き背中を押して、倒れるのも構わず雪隠に押し込めて戸を閉める。この大男こそ、やいとや又吉であった。





 ・・・


 後に、心配になった中村屋嘉三の命で女中が三村佐兵衛()()()()()を見つけて大騒ぎになった時にはもう遅く、やいとや又吉の姿はこの日二度と見られることはなかった。

 その三日ほど後、鶴屋にて。


 「なぜ枡屋に本間右門がいたのか、ですね先生?」

 「ええ、ぜひともお教え願いたい」


 三村と庄内屋が殺されかけたのは、本間右門が死ぬ一週間は前の話である。


 「これは恐らく、中山さんの仕事と深い関わりがあると思うのですよ、元締」


 中間亥之助の言葉がまだ頭から離れず、なぜ中間がこれを知ることができたのか、その手掛かりを知ることが今回の殺しの謎の解明に繋がるはずだと、又吉は確信した。


 「そこまでおっしゃるなら、お教えいたしましょう。構いませんね?」


 すると又吉の背後から、「はい」と女の声が聞こえたので思わず横に退いてしまう。鶴屋の女など三十郎と同い年の女房お美代しかいないからだ。

 しかし、その声はそのお美代とは違う。微妙に高さが違う。


 「お入りなさい。先生、謎解きにご入用の女中さんとはあのお方ではございませんかな?」


 又吉は今度こそ絶句した。本当にいるとは思わなかった。やがて女は、


 「お初お目にかかります、おしまと申します」


 この名乗りを聞くに、相当枡屋で()()()()()と見える。自分がただの男なら、恐らくのぼせ上って素寒貧になるに違いない、又吉の素直な感想である。


 「どうです?少しは謎も解けたと思いますが」

 「なるほど。しかし、肝心の話が全く聞けてませんぜ?」

 「ハハハ、そうでしたな。ではおしまさん、お聞かせくださいまし」

 「はい。では又吉先生、そもそも亥之助さんがあの話を知っているのは私が教えたからであり、本間右門というお侍様を討つように頼んだのは亡き儀兵衛の旦那様でございます」

 「は?」


 前者はこれで得心がいった。恐らく、その後亥之助がどのツテか鶴屋に来て彼女をかくまうように言ったのかもしれない。しかし本間右門の件の頼み人がなぜ亡くなった枡屋儀兵衛なのか。

 しかしすぐに知れた。枡屋儀兵衛の方もただで三村の要求を聞き入れているわけでは決してない。たまに女中に襖の奥から盗み聞きさせ、その内容をネタに要求をのませ、女中を無理に抱かせないよう努めていたというのだ。

 その過程であの庄内屋との密談のとき、三日前にどこかから刺客を用意していたのだ。ただ用心棒として庄内屋の隣にいた本間右門ならともかく、まさか三村まで達人であったとは思っておらず、あのような返り討ちにあってしまった。

 そしてそのすぐ後、


 「お、お前たち⋯⋯」


 枡屋儀兵衛が玄関口で息も絶え絶えになって帰ってきた。滅多斬りにされたことから、三村あたりに呼び出されて刺客にしてやられたのは想像に難くない。


 「それで、最期になって私に四十両全て渡してくださったんです。せめてもの私に対する形見だって。でも袋を開けてみたら手紙があって⋯⋯」

 「手紙?」

 「中身は⋯⋯」


 そう言って涙を流しながら懐から紙きれを一枚よこした。「ほんまうもんをゆるすな」と弱々しい字で書かれている。


 「それが中山さんの⋯⋯」

 「そういうことでございますよ又吉さん。まあしかし、殺しの本人がいないから話せるわけであって、三村殺しの頼み人だとか庄内屋がその後どうなっただとか。このことを話す義理は私にはございません。よござんすね?」


 それに限らずそもそも辻斬りしか生き甲斐の無い本間右門。結局誰かが誰かに頼み、その人に差し向けられた誰かに殺されるに違いない。だから、その後のことなど殺し屋が気にする意味はあまりないのだ。


 「ではおしまさん、このことを知ったからには⋯⋯と言いたいところでございますが、身寄りの方は?」

 「いいえ、両親もおりませんし、ここのあたりに親戚など⋯⋯」

 「ならここにおいでなさい」


 その三十郎の誘いに驚いたおしま。二十四の自分にどういうことなのか。

 三十郎の答えは実に単純なことだった。


 「なあに裏の仕事も心づけしかない稼業をやらせるわけじゃないんで。しばらくここにいてお美代の手伝いをしてやってください。そのなかで自然、裏のことは知れていきます。それでよござんすね?」


 おしまは黙って頷いた。しゃべってはいたのだろうが、声が涙に濡れて聞こえなかった。

 この場の二人はなにも言わずこれを認めた。後のことは、後のことだ。鶴屋三十郎はそう自身に言い聞かせた。

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