一富士二鷹三仕討ち(二)
江戸の裏社会の様相はすっかり変わってしまったようだ。
今までは「辰の会」という組織が頂点に立っていたり、かと思えば今度は新興の「龍牙会」が香具師の元締たちを巻き込んで君臨したりと、その時々の江戸の殺し屋たちは右往左往しながらなんとか立ち回り生き残ってきた。
しかし辰の会は内部分裂で崩壊。そして龍牙会も内部抗争の末、夜魔一族という外患に付け込まれ、次第に影響力を失いつつある。
そこで台頭してきたのが鶴屋三十郎と、小さいながら幕閣への影響力も多大な「仕切屋」である。仕切屋についてはおいおい説明するとしよう。
・・・
やいとや又吉、面倒なことに自らの殺しの裏取りを自らがやる羽目になってしまう。
的は紀州藩御用取次の三村佐兵衛。鶴屋によれば、立場を悪用した賄賂の巻き上げや紀州藩御成先御用宿という金看板を盾に様々な横暴三昧を振る舞っているとのこと。
「そういえばね先生、こんな話があったらしいですぜ」
とは又吉の診察をよく受ける、江戸赤坂の紀州藩上屋敷にいる中間亥之助の言である。下屋敷では博打の沙汰になりやすいがここは上屋敷。ちょっとやそっとでは武家の目を盗めないのだ。
なんでも、現在の紀州大納言—現在の御公方(将軍のこと)家慶公の異母弟—がご当主になる前、先代のご当主の娘婿になったときから取り入り、ご当主が現伊予西条藩当主を推したり、附家老水野土佐守が御公方の十二男を推したりうるさい中を、家中に金でのコネを張り巡らし順当に現在のご当主が世継ぎになりおおせるよう働きかけたという。
そのうえでまず水野土佐守のその弱みから突いて、今度は自らに与した家老上士連中の賄賂や知行地での失政などをネタに自らへの賄賂を相場より高く要求するなど意外と強欲で抜け目のない一面があることを知った。
「あとこんな話を聞いたのでござんすよ」
「ほう⋯⋯」
・・・
江戸巣鴨の料理茶屋「枡屋」は紀州藩の御成先御用宿である。というのも単純に赤坂に近いことが理由なのだが。
そのようなはたから見ればつまらぬ事情であるし、巣鴨でずいぶんな格式を誇る料理茶屋といえど、御成先御用宿、それも紀州大納言のお許しの元なので、客を選べるはずの座敷女中は抱かれるのを拒めず、主の枡屋儀兵衛は表で媚び裏で蔑みの面従腹背の態度で三村に接するしかない。
しかもこの変態、女中に金など出さぬがため、当の儀兵衛にすらふつふつと恨まれている節が見られる。
そんなある日のこと。例のごとく三村が枡屋のある座敷に来た。しかし女を抱きに来たのでも儀兵衛と密談しに来たのでもない。
「さて枡屋殿、もう申しますまいが⋯⋯」
儀兵衛の酌を受けながら、少し目を怒らせて言うには、
「これからのこと、決して他言はなりませぬぞ」
「心得ましてござりまする」
「うむ。あと少しいたせば浪人連れの客が、わしを訪ねてここに参る予定だ。山形屋仙右衛門と申すものでな」
「お見えになりましたら、ここにお通しすれば?」
「ありがたい。では頼みますぞ」
「はい、かしこまりました」
それから何やらひそひそと、潜んでいる者がいても聞こえないような声で話した後、枡屋儀兵衛の方が母屋に帰っていく。
一人で、町駕籠を使って来たので、あまりにも手持無沙汰であったが、ここで座敷女中を抱くのも違う。
半時たった時、まず浪人者が刀を右手に持ち替えて入ってきた。なんと本間右門である。後から中年太りの庄内屋仙右衛門が入る。この山形屋は日本橋の蝋燭問屋で、なぜかは知らぬが紀州藩のお偉方と仲良しこよしなのだ。
「ほほう山形屋殿、今夜は飯尾監物殿がの」
「はい、ご家老に例の蝋燭責めをご披露いたしますよ」
蝋燭責めがどういうものかは知らぬが、こそこそ話をまとめると江戸家老飯尾監物が、どこからか誰が捕らえたか知れぬ女を、犯すでもなく様々な趣向でもてあそび、最後には口封じで殺しているのだという。なんというバカな遊びだろう。
「それはそれは。されどな、それがしは残念ながら⋯⋯誰だ!?」
なにやら背後の襖から殺気が感じられたので三村、太刀を持ち直し構えを取る。さらに本間右門も左手に持ち直して後すぐに抜き、自らの後ろの襖を向き返りもせずに刺した。男の呻き声がしたかと思うと、三村が枡屋で見かけぬ浪人然の男の顔が突き出た。
さらに三村も太刀を抜いて背後を振り向いて斬り込むと、そちらは今にも三村を刺し殺さんとした地廻り風の男が短刀を持ったまま仰向けに倒れた。
山形屋の顔が恐怖で引き攣り、みるみるうちに三村の眼が怒りに燃える。
「おのれ枡屋⋯⋯、とうとうそれがしに我慢がならぬと見える!」
・・・
話は通りかかった江戸詰めの紀州藩士に亥之助が呼び戻されて終了したが、本間右門が死ぬ数日前に枡屋が潰れた旨の瓦版があったことから、御成先御用宿の看板を取り外されたばかりか、枡屋儀兵衛も本間右門か三村または山形屋の刺客に殺されたに違いない。
亥之助の口ぶりから、恐らくこれを盗み聞きしていた女中がいたはずなのだが⋯⋯。
・・・
後日、亥之助を買収した又吉は上屋敷に潜入した。当然見つかれば拷問の末殺されても文句は言えない。
その一室に三村佐兵衛と、明らかに偉そうな侍が向かい合って正座して話し込んでいた。天井の板を一枚ずらしながら聞いてみた。
「監物殿、先夜は申し訳ござらぬ。おかげで命の危うさを感じご披露できなんだ」
「よいよい。貴公に死なれたらばわしの立場はのうなってしまうわ。まずは無事でなによりじゃ」
その侍が江戸家老の飯尾監物。とにかく無事であることを労っているが、彼もコネで今の立場にいるようで、その前は江戸詰めの上士といっても大した役職ではなかったらしい。
「それにしても佐兵衛、殿はなんと?」
そういう立場なので、言葉遣いでは飯尾が上だが、どちらが家老でどちらが下の立場なのか分かりやしない。さりげなく佐兵衛に五十両を渡しているのも心づかいのつもりなのだろう。
受け取った三村のにやけ顔は露骨だったようで、
「は、山形屋殿の蝋燭はなかなか上質にて、ご嫡男の勉学やご趣向にもよいとたいそうお喜びあそばされておいでで」
「ホ、それは良かった。貴公のおかげで庄内屋と繋がることができ、そのうえあんな座興も見られるうえに殿にも喜ばれる。ここまで嬉しいことはないぞ」
「いえいえ、こちらこそ」
三村の声は殿の声。実際はどうだか知らぬが、賄賂の次第によっては三村に貶められた者も少なくないだろう。そういう意味で飯尾監物はかなり幸運に違いない。
「そういえば今夜は付近の料亭に行くようだな。わしも連れて行ってはどうかね?」
「しかしご家老、先夜のそれがしらのこともありますし⋯⋯。今夜は材木商とのことですから」
「ほう、それは残念じゃのう⋯⋯」
残念そうに扇を額に打った飯尾の真上で、又吉の殺害計画は順調に練られていた。