一富士二鷹三仕討ち(一)
江戸の無法地帯、剣呑長屋。
華のお江戸の陰といってもよく、住んでいる者どもの性質から町奉行所同心や火付盗賊改方ですら見廻りや御用のときは避けて通る有様である。逆を言えば、誰がそこで殺されようと無縁塚。これが旗本のときですら親族が、
「知らぬ」
との一点張りになるほど。そもそもどこから来たか分からない無宿人や、怪しい品を売りさばくクズ商人か、貧乏な老人くらいしか住んでいないといわれていると思えば納得がいくというものだ。
さすがに夜は誰も歩く者はいない⋯⋯と思いきや、いた。
「おのれ、誰だあの吹き矢は⋯⋯!」
どこぞの旗本の三男坊みたいな気狂い侍が、また人をぶった斬らんと夜な夜なさまよっていた。辻斬りの浪人者なので奉行所同心がかなり追い回しているものの、そもそも昼間このような場所で殺しているのでなかなか人目につかない。
腕のあたりに少々の傷が残っているが、誰かに邪魔されてのものだ。形状からして円錐型の針だろう。
そろそろ憤懣やるかたなく、どこぞの家に押し入ろうとしたとき。
「おうおう、血の気が多いねあんた」
後ろから軽い声に呼び止められ、思わず足を止めてしまった。
よく見てみると、この浪人男よりきれいな白っぽい着物を着ており、月代が伸びておらず髷のみならばとてもではないが浪人者に見えない。さらになぜか脇差もあるとみた。
そして第一印象として、江戸っ子という言葉に似あう粋な顔つきでかなり軽い。
苛つきそのままに、その男に声をかける。
「そなた、何者だ?」
「あんたを三途の川へ渡す船頭さ」
「なにぃ⋯⋯?」
そのまま冷たい空気だけが流れてゆき、その間に柄に手をかける。
そして、
「冥途の土産に教えてやる。拙者は一刀流本間右門だ!」
一本差の方が名乗りを上げ太刀を抜き、すぐさま斬りかかった。しかし相手も早い。
太刀を抜いて敵の初太刀を防ぎ、本間右門が次の行動に移るより先に太刀を回し相手の両手から払った。
その太刀が地に突き刺さり、本間が急いで抜こうとしたが、相手の殺気を感じるや振り向いてしまう。それがそのまま両手を広げてしまう形になり、
「ぐあぁァァッ!」
まず真っ向から袈裟斬りを喰らう。そして次の瞬間には
「ああッ!」
すれ違うように腹を右に斬り払われ、仰向けに後ろから倒れてしまった。
倒れてしばらく呻き続けたものの、数秒後そのままうなだれて気を失う。その様を見た浪人は右手で柄を一回叩いた後太刀を納め、まるで何事もなかったかのように立ち去るのであった。
・・・
「兵十郎さん、ご苦労様でございました。これでまた町人たちが助かりましてございますよ」
江戸小石川にある「鶴屋」のある一室。若い商人と先の浪人者が向かい合っている。
例の浪人は中山兵十郎といい、剣呑長屋ほどではないが貧乏な長屋街に妹と住んでいるという。
商人は、恐らく後金であろう十両を差し出した。
「いいんだよ元締、別に好きでやったことだしさ」
「ハハハ、いえいえ。それで世のため人のためにならぬ奴が消えてくれるなら安いものです」
この商人、鶴屋の主で名は三十郎。江戸の表では口入屋稼業を営んでおり、下は普請や護岸工事などの人足、上は大名や旗本御家人屋敷の中間・小者の斡旋を人別の有無関わらず行っている。
しかしこの口入屋、いったん裏に回ると殺し屋の身元保証人になっており、ゆえに兵十郎ら彼の配下の殺し屋たちは安心して頼み料を受けて仕事に向かえるのだ。
ここで兵十郎が疑問を浮かべた。本間右門のことだ。
「しかしあの野郎、吹き矢とかなんとか言ってたな。ありゃあどういうことだ?」
「まあまあお気になさらず、奴も焼きが回ったんでしょう。八丁堀の溝浚いどもに追われて夢でも見てたんじゃないでしょうか?」
「⋯⋯、ま、それもそうか。ハハハハハ」
その後二言三言世間話をしたうえで兵十郎が出ていった。
三十郎は内心冷や汗をかいた。別段何度でもしらばっくれていればよいことなのだが、別の手の者に辻斬りを妨害させるために使った手にすぎないのだ。ただあの男、助太刀というのを妙に嫌う節がないでもなく、それが悟られただけでも肝が冷えるというものだ。
いざとなれば長崎奉行松崎刑部から買ったオランダ製短銃でも使って黙らせればよいことなのだが⋯⋯。
「元締、御用で?」
今度は品川台町のやいとや又吉。現代でいうはり師やきゅう師の類で、針でツボを突いて気分を良くしたり、血行の改善を促すなどが主な業務といってよい。
ということは裏で何をしているか、言わなくてもお分かりであろう。
「ええ、ようおこしなすった。お暇で?」
「まあね。暇でもなけりゃこんな辺鄙な口入屋なんぞに来やしませんよ」
「でしょうな。あまり押しかける真似はしたくありませんのでね」
あくまで味方には物腰柔らかく、というのが鶴屋三十郎の基本姿勢である。しかし二人とも本音とも冗談とも取れる言葉以外話していない。
「失礼いたしましたな。そういえば紀州から蜜柑が四個、なぜか鶴屋にお礼ですって。おかしいなぁ」
といって笑いながら二十五両を差し出した。元締に必ず頼み料の半金が入るのが鶴屋の常識であるのだから、蜜柑四個は後金と合わせて百両という計算になる。
「ほう、それはおめでとうござりまする!して、紀州のどのお方かな?」
又吉も実入りからたまらず嬉しそうに尋ねると、
「はて、商人だったか二本差しの立派な裃だったかとんと見当がつきませんが、とにかく蜜柑四個ですよ。あなたには二個。一日生かせば一日迷惑するろくでもない奴を一人殺すだけで蜜柑二個ですってね。贅沢はするものですよ」
しらばっくれつつもまた微笑みながら便乗するは三十郎。最後のろくでもない言葉を聞き逃せば嬉しい土産話に違いない。最後を聞き逃せば。
「して、その迷惑するろくでもない奴ってのは、どこのどいつで?」
「ええ、それがまた奇妙なことに紀州のお侍様なのですよ」
つまり土産をくれた紀州の人に頼まれて紀州の武士を殺すという奇天烈なお話。しかし日本六十四州の裏街道ならいつでもあり得る話なのだ。
「紀州の?それはおかしい」
「まあとにかく、今回は紀州大納言様の御用取次の三村佐兵衛というお方なんですよ。まあいけ好かない御仁でね」
誰か知れぬ頼み人によれば、これが家老一人一人の弱みを握りつつ藩中にコネを巡らし、自分の声は殿の声だと言わんばかりの横暴三昧。
「そこのところの是非を含めて受けてもらいたい。仮にこれが嘘だとすれば三つ葉葵の御紋が頼み人でもこの世から消さねばならないのでね」
この念押しの言葉を放った三十郎を、今の又吉には怖く思えた。