深淵の殿
鉄柵の門をくぐった先は、美しい夜の空に浮かぶ明るい満月が照らす世界だった。道の先には満月によって浮かび上がる、黒い城の影があった。
後ろでガチャンと門が閉まる音がした。リームが門を閉じたのだろう。そしてそのまま僕の隣に歩いてきて、城の影を指してこう話した。
「あれが僕の館。深淵のあらかって呼んでる。あらかは宮殿の殿だよ」
あれは館と言うより明らかに城だろう。僕は圧倒されながらそう思った。その大きい影が満月の夜空によく映える。
「じゃあ、こっちの馬車で入り口まで行くから、乗って」
と、リームが僕に促した。リームの声がする右の方を見ると、そこには馬が繋がれていない、屋根のない金属製の馬車があった。
「…馬が繋がれてませんけど」
「見えないだけだよ。この馬車はそういうやつだから」
多分最初にみた骸骨の狼や僕と同じ、他の領域から飛び出して来た物なんだろう。僕が呼び出された世界だし、こんな僕の常識で測れない物が、他の世界から入って来てもおかしくはない。
僕はリームに促されるまま、馬車に乗った。リームの斜め前に、進行方向を向くように座った。どうやら道が舗装されているようで、揺れは少なく乗り心地が良かった。
道中はこの景色を見ていた。空は濃い藍色で夜だが星が無く、銀に光る大きな満月だけが辺りを照らしている。夜のせいか少し涼しい。地面は相変わらず細い土の道で、その先には黒い城が崖の上に建っている。
この道の崖の下、あの城が建っている断崖絶壁の下には、暗い森が広がっている。ここからはなんとか木々が生い茂っていることがわかるくらいで、非常に陰鬱としていて恐ろしい雰囲気が出ている。暗い為わかりにくいが、葉の色や木の幹の色が、赤や青、黃、緑、紫、桃色や空色等様々な色になっているとリームが言っていた。暗いから、僕には全て暗い緑にしか見えないが。
舗装された細い土の道を、見えない馬が繋がれた馬車に乗って数分後、馬車が城の鉄柵の門をくぐった。その後庭を通って、城門の前までついたところで、リームが馬車から降りるように促してきた。僕は促されるまま馬車から降りた。
僕とリームが降りた馬車は、ひとりでに庭の方に走って行った。多分車庫みたいなところがあるのだろう。
近くで城を見てわかったが、この城の建材にはが黒塗りの石のような物が使われている。ガラスのようにも見えるこの建材には、不思議な魅力があった。
「じゃあ、入るよ」
リームがそう言うと、黒い石で出来た大きな城門が、ひとりでに重い音をたてて開いた。中に自動で開閉する機械でもあるのだろうか。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
城に入った部屋は大きな玄関兼ホールになっていた。壁は外壁と同じ黒で、足元には赤いカーペットが敷かれていた。天井には少し質素なシャンデリアがこの部屋を照らしていた。また、奥には階段があり、階段から伸びる左右の通路の先には木製の扉があった。一階の両側の壁にもそれぞれ二つずつ同じような扉があった。
そのホールには一人の小さなメイドの姿があった。背格好からして、大体小学生か中学生くらいだろうか。黒い服と白いエプロンの王道とも言えるメイド服を着た、ボブカットにした黒髪と黒目の小さな女の子だった。黒の建材に赤いカーペットが敷かれたこの城で、その白黒のメイド服は非常に目立っていた。
しかし、出迎えてくれたのは彼女一人で、他にメイドや住んでいる人がいる気配はなかった。
「ただいま。お茶会の準備は出来てる?」
「はい。お客様達もお待ちになっております」
「わかった。僕は自分の部屋によってから行くから、こちらのお客様を案内してあげて」
「かしこまりました。では高野様、応接室にご案内するのでついてきてください」
メイドの少女がそう言うと、リームはホールの階段を登り、階段の先にある通路を右に行って、その先の扉に入っていった。
「行きますよ」
声がした方を見ると、メイドの少女が左奥の扉を開けている所だった。僕は慌ててそれについていった。
その扉の先は長い廊下だった。床には玄関と同じ様な赤いカーペットが敷かれ、両側の壁に木製の扉が等間隔に並んでいる。扉は濃い色の木目調で、色のついた凸凹ガラスの窓がついている。窓のデザインは長方形を四つの二等辺直角三角形に別けて、それぞれに色の違うガラスがはめ込まれている。
「下手に扉を開けたり、私から離れたりしないでくださいね。迷って出られなくなりますから」
彼女が歩きながらそう言った。確かに、こんな広い城で一人になったら、確実に迷うだろう。しかし出られなくなるのは大げさだと思う。
「大げさだと思っていますが……この城は違います。部屋同士の繋がりが気まぐれに変わるのです」
表情に思ったことが出てただろうか。しかし目の前の少女は、そんなことがどうでもよくなることを喋った。
「部屋同士の繋がりが変わるって、どういうこと」
「そのままの意味です。…そうですね、この扉で説明しましょうか」
すると、彼女は丁度適当な扉の前に行き、説明を始めた。
「簡単に申し上げますと、同じ扉を開けたとしても、同じ部屋に繋がるとは限らないんです。一応同じデザインの扉としか繋がらないルールがあるのですが…重要な部屋以外の扉は、みんなこのデザインでガラスの色が変わっただけですから」
そう言われて、僕が他の扉を見ると、確かにどの扉も凸凹ガラスの色の組み合わせと順番が違った。そのガラスの色も赤、青、黄、緑、紫、桃、橙……と多種多様で、覚えきれる物ではなかった。
「行き先がランダムなら、応接室に行けないんじゃないの?」
「それは大丈夫です。鍵を使えば行き先を指定出来ますから」
そう言うと彼女はメイド服のポケットから、鍵が沢山ついたリングを取り出し、その鍵の1つをドアノブの鍵穴に挿した。
「扉と鍵の組み合わせで行きたい所を指定するんです」
カチャンと小気味よい音が鳴って、彼女が鍵を引き抜いた。彼女が開けてくれた扉の先は、また廊下だった。今度は横にある扉が、木目調では無く黒塗りに変わっている。相変わらず色とりどりのガラスが嵌っているのは同じだ。
「応接室までは少々複雑な道程になっていますので、少しばかりかかってしまうのはどうしようもないです。申し訳ありません」
その後応接室につくまでに、何度か同じ様な廊下を通った。その間つくまでの間に、僕は彼女にいくらか質問をした。
「君はリームと二人で暮らしてるの?」
「いえ、他にここに住んでいるお客様もいますし。二人きりではありませんよ」
「……じゃあ、この城は君一人で切り盛りしてるの?」
「前は私一人でしたが…そんなに大変ではありませんでしたよ。私は複数の体を持つアンドロイドですから」
彼女の言っている意味がわからなかった。どう見ても人間の少女に見える彼女が、アンドロイド…自律型の機械人形には見えない。
「確かに機械人形には見えないと思います。私の体はほぼ生体部品で出来ていますし、極力人間に見えるように作られていますから」
つまり…彼女は僕の知らない技術で作られた、人とほぼ変わりないアンドロイドということみたいだ。
「じゃあ、身体能力は人間と変わりないの?それとも何か変形機構があったり、目からビームが出たりするの?」
「残念ながら、ご期待するような機構はありませんよ。私は身体能力と自己再生機能、そして精密動作性に特化させた機体ですから。その分身体能力は高いと思います。人間と戦闘することはほぼ無いので、あまり自信はありませんが」
スーパーマンみたいな物か…と僕は思った。多分その認識であっているだろう。
「それ以外に特筆すべき事は…複数の体を同時に使用可能なこと。その体一つ一つと独自のネットワークで繋がっていて、常に情報共有が出来ること。人が使える道具ならなんでも使えることでしょうか。この能力を駆使して業務を行っているので、一人でここでメイドを務めるのも苦ではありませんよ」
なるほど。メイドが彼女一人でも、実質的には沢山メイドが居るのと変わらないわけか。むしろ統制が取れているからその方が効率的かもしれない。
「まあ今は他の普通の人間のメイドが、片手で数える程度にはいますよ…と、高野様、応接室に着きました。こちらの両開きの扉の向こうが応接室になります」
そう言われて注視すると、僕の右手前に濃い茶色にぬられた、木製で両開きの扉があった。
そういえば、リームがお茶会と言っていた。今は子供が行方不明になって、そんな場合ではないだろうに。
「焦ってはいけませんよ。一歩ずつ着実に進むことが、最も早いですから」
そう言われてたが、焦らずにはいられない。僕はその子供を助けて欲しい為に呼ばれたのだから。
メイドの少女がその両扉をノックした。