漂う君へ
――時折夢に見る、遠い日の記憶。ふわりと消えてしまいそうなそれは、夢の中では現実と区別がつかないくらい、妙にはっきりとしている。まるで忘れるなとでも言うように。
鮮明なのは、今より輝いて見えた星の海。通信機越し、ノイズ混じりに聞こえた幼馴染み達の笑い声。
あの当時は彼らの事が好きではなかった。毎日のように誰かが怒って、泣いて、酷い喧嘩もした。子供達は貧しかったから幸せは少なくて、傷つけ傷つけられることに慣れていた。慣れていたから暴力は無邪気な子供達の間で日常だった。
それでも一緒にいたのは、大人達から身を守る為と、子供の数が少なく友達を選べなかったから。あとはまあ、やっぱり楽しかったんだと思う。
仕事の合間に時間を見つけては集まって遊んだ。仲間の誰かが困っていたら助けようとした。無力な子供達にできることは少なかったけど。
幼馴染み達のうち、同じ歳のジェジェとケイとは班も同じだったから家族よりもずっと長い時間、一緒にいた。
私とケイはとっても仲が悪かったのに、何をするにも三人一緒だったのは少し不思議だ。たぶん、ジェジェのおかげだろう。優しくて、賢いジェジェは子供達のリーダーで、ヒーローだった。
私が何か言うとケイが反対して、ジェジェが笑って取りなす。
ずっとこうして三人一緒にいるんだろうなって、思っていた。
宇宙は私達にとって自由の象徴だった。いくら騒いでも怒られない。腹いせに殴ってくる大人も遠い。
だから私は宇宙が好きだったし、みんなも宇宙にいる間は笑顔だった。
まとまった休み時間が取れると子供達は宇宙へと泳ぎに行った。戦争の混乱が酷かったあの頃に私達が暮らしていたのは難民船で、無法地帯に安全の為のルールなんてものはなかった。
装備を壊したらとんでもなく怒られるけど、沢山あったガスをちょびっと盗んで子供達だけで泳ぎに行っても何も問題なかった。危ない目にあっても、口減らしに丁度いいから何人か死ねば良かったのにと言われるのが普通だった。
ある星にタイムカプセルを埋めたその日の午後。いつものように泳いでいたあの日は、嵐が来ると予報されていた。
『帰ろう』
ちょっと早い時間に私はそう言った。でもケイはもう少しだけ泳ぐと言った。
ケイが帰りたがらないのはいつもの事だった。私の親は私に無関心だったけど、ケイの親はケイに酷いことをする人だったから。
まだ嵐が来るまで時間はあったけれど、チビ達もいるからどうしようかと迷っていると、ジェジェは俺が残るからチビ達を連れて先に戻ってと言った。ジェジェが付いているのなら大丈夫だと思って私は頷いた。
間違いだった。
どんなに賢くてもジェジェはまだ子供だったし、宇宙は大人でも危険な場所だ。私は、もう一度予報を確認すれば良かったのに。
急に速度を増し、想定より早くやってきた嵐は二人を連れ去った。
ケイは戻ってきた。奇跡だって、みんなが言った。
だけど、三人一緒じゃなきゃ意味がないのに。 私とケイの喧嘩を止めてくれる人は、広すぎる宇宙のどこかを漂ったまま。
私はケイに八つ当たりをした。誰のせいでもなかったのに。酷い言葉を投げつけた。
ケイの帰還を喜べなかった罰なのか。喧嘩したまま彼はいつの間にか船を降りていた。
ずっと三人一緒だと思っていたのにバラバラだ。
『大人になったらみんなで開けよう』
約束を入れたタイムカプセルは、どの星に埋めたのかわからなくなってしまった。
バラバラになった今、誓った約束が守られる事は二度と、ない。
*K
「……3000、3500、3700。ったく、これだけかよ。餓鬼の小遣いだな、ほんとに」
俺は空になった財布をぺしりと投げ捨てた。
「いくら電子マネーの時代だからってもう少し現金持ち歩いとけよ。ああ? いっつも偉そーに説教たれてたくせに。聞いてんのかよ大尉サマ。っとに使えねえ死体だな」
苛立ちながら足元に浮く上司だったモノを蹴り上げる。くるりと一回転した体から内臓がぼろりと出た。舌打ちしつつポケットから端末を取り出すと識別番号が見えるようにカシャリと死体の写真を撮り、それからまたカシャリと鉄クズが広がる周辺の写真を撮る。
「こいつ名前なんだったっけ? まあいいか。惑星u3-77にて、死亡確認。人型大機体の大破確認。修復不可能。ブラックボックスは回収済みっと。あーあ、勿体ねえ。人型は高ぇのに。整備士が泣くぞこれ。ああそうだ、タグも回収しねえと」
端末に情報を書き込むとタグを遺体から掘り出し、袋に入れる。辺りにめぼしいものが残っていないのを確認すると、欠伸をしつつ量産機である自分の小型戦闘機体へと戻り、エンジンを掛けた。
「ほんっと勿体ねえ」
数発の連射音の後、死体と共に人型大機体の破片は溶けていく。手に入れたのは僅かな金額。頑張って探したにしちゃあシけている。あくまで任務は死亡確認と処理で、小遣い稼ぎではないのだが。少ない給料を貰う身としてはなんとなく損した気分になる。
「まあ酒が二本は買えるからココ最近ではマシな方か? っとに不景気だな」
安酒のパックしか買えない金額だが仕方がない。軍事予算は下っ端兵士の給料よりもお偉いさんの懐と兵器へとまわされていく。
「っとに腐ってやがる」
死体漁りをする己が言えることではないが。なお溶け続ける人型大機体を後に、機体は基地へと飛び立った。
人類が宇宙で戦争をしている理由は、宇宙人が攻めてきたからでも貴重な資源を持つ惑星の権利を争ったからでもない。核戦争が起き、人の住める星ではなくなった地球を捨てた後も、懲りずに戦い続けているというだけだ。
宇宙へ逃れた人類は無数の星を作り出した。星といっても綺麗な球体をしている訳ではなく、歪な鉄の塊で出来た宇宙ステーションである。
いくつもの星が滅び、いくつもの星が新たに生まれた。宇宙大戦争時代と呼ばれる今の時代の終わりは見えず、決着はつきそうにない。とうに和平交渉が可能なラインは超え、世界が完全決裂、修復不能な仲になってしまった今となっては、戦い続けるしか道はない。中立派だとか穏健派だとか、過激派だとか、それぞれに差はあるが戦いは続いている。その原因は様々だ。宗教や価値観の違い、領土問題、大昔に負けた戦争の復讐、単に欲をけただけ。どれもくだらない。くだらないが人は争いを続けるのだ。
*L
何度昇級試験を受けてもダメだったのに、隊が壊滅した途端あっさりと昇級した。日比野エル大尉。その響きは大変気に入った。でも浮かれてばかりはいられない。だって今まで五人で守ってきた宙域を一人で守る羽目になったから。
はっきり言って無理。早く増員するように何度も本部に掛け合ってはいるが、引っ張って来る余裕がどこにもないと返答は芳しくない。このままだと敵に殺される前に過労で潰れてしてしまう。
そんな危機感を抱きながら今日も私は機体を操り、戦う。
私が所属するコッペリアは機械工学に優れた星で、生物兵器を得意とする神聖帝国相手に長年戦っている。聖域拡大を目的とした神聖帝国が送り込んでくる怪物と戦うのがコッペリア防衛部所属である私の仕事だ。
ズタタタタタタタタ
弾を打ち込むと、肉片を飛び散らせながら怪物は爆散する。コイツらはべつにそんな強くない。けど厄介なのは数が多いことで、次々に湧いてくる。だんだん飽きてきた。
もちろん油断はしていない。先日も隊が壊滅したばかり。何度も死んでいく仲間を見てきたし、一人でこの宙域を守っている今、私の死は即ちここが敵の手に落ちるという事だ。重要な惑星はこの宙域には存在しないが、無理やり繋げた航路の一部が通っている為、それなりに重要なポイントなのだ。でも。
「いっそ永眠した方が楽かなあ」
そう一人呟いてしまう程に戦いっぱなしなのだ。
ズタタタ、ズタタタタタ
ズタタタタタタタタタタタタタ
発射音が心地よく聞こえる。
「まじで過労死しそう、っぶない」
うっかりとやられそうになった。ぎりぎりでかわして撃ち倒す。もう勘弁してほしい。
それにしても今日はやけに敵が多い。なぜこんなに。嫌な感じがする。こういう時、私の予感は大抵当たる。宝くじとかは外すのに嫌な事ほど当たるのだ。
ピコン
気の抜ける音と共に緊急テロップが画面に現れた。第24宙域陥落。お隣だ。
「嘘でしょ?!」
緊急指令が入る。
『第23宙域を死守してください』
「いや無理ーっ」
第23宙域へと敵がわんさか移動しているとの続報。神聖帝国は完全に落としにかかってきている。それを一人で迎え撃てって、無人機使っても手が回らない。無理、絶対。
この前の昇級って死亡に伴う二階級特進の前払い的な奴だったのだろうか、ひょっとして。
倒しても倒しても減らない怪物。何この悪夢!
しかもたぶん私が引き付けてる分以外にも敵はいるんだろうし、ひょっとしてもう第23宙域も落ちてるんじゃないか。なら撤退してもいいかな。いいよね。撤退させて。
ズタタタタタタタタ
増援一機派遣。マモナク到着。
必死の撤退要請は無情にも却下された。増援一機って、それはなんの意味あるのだろう。 それともすごく優秀なやつが来るとでも言うのか。
パパパっと増援機の詳細を見る。機体は量産の小型戦闘機隊だけど私より機動力に優れたモデル。パイロットは、機動部所属K・ヴォルフ二等宙曹。
二曹って事は幹部候補生じゃない。養成所出身か、一般兵から昇進した者か。いや、元一般兵はないだろう。あの人達は機体のパイロットにはなれない。なら養成所出身者。私は幹部候補生扱いで曹長からだったから腕は私より下ってところだ。
そんなもの送り込まれても困るが、なにか引っかかる。
K・ヴォルフ。聞いたことある名前なのだが、思い出せない。同期ではない。先輩や後輩でもないだろうし、そもそも機動部に知り合いなんていないはず。心当たりがない。ならどこで。どこかで共闘したのか?
「あ、」
思い出した、シュミレーターだ。
養成所等の訓練生達が模擬戦をする機械。私は研究施設出身だから直接顔を合わせたことはないけど何度も私とトップを争った。優秀な孤高のエースの名は、問題だらけの素行態度と共に研究施設でも有名だった。人呼んで不良兵士K・ヴォルフ。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ
突如響いた私のでない機銃の音が、怪物達を貫いた。
私達はどうやら相性がいいらしい。息がぴったり。シュミレーターで何度も共闘したからか、彼の動きが分かり動きやすい。
夢中で怪物を追い、倒し続ける。徐々に怪物の数は減っていき、やがて肉片だけが宙に浮かぶ。
私達は第23宙域を守れたのだ。
「ふんふ、ふ~ふふ~ん」
思わず鼻歌を歌ってしまうほどに今の私はご機嫌だ。
さすがにお疲れさまという事で久々に休みがもらえたのだ。ドーピングで保っていた身体をメンテナンスし、具合の悪いところをすべて治療してもらった。その間、機体はピカピカにしてもらい、更にアップデートもされたらしい。
で、さっそく出撃かなーと思ったら、もう少し休んでいていいよとのお達しが。次はまたいつ休めるかわからないからと言われた。休んでいる間のお給料もちゃんと出るらしい。有給休暇なんてシステムもうとっくに滅びたと思っていたもんだから、びっくりだ。
ご機嫌のまま機体の様子を見に行く。システムで大きく変わったところはないらしいが、機銃のあたりが少し変わっていた。非常事態には自分で修理するため、端末と見比べながら変わったところを確かめる。
「あれ、これなんだろう」
データにない部品が新たについている。端末で調べるがよくわからない。
「んんん?」
「それ、テスト段階の観測装置だってよ。データ収集に協力しろだと」
「あ、そうなんだ。……えっと」
誰だろう。だらしない雰囲気なジャージ姿の知らない若い男がいつの間にか側にいた。
男が首にかけていた名札を見て納得する。
「K・ヴォルフ二曹、はじめまして。先日は助かりました」
彼の機体も同じドッグ内にあるのが見えた。
「なんだ。やっぱり覚えてねーのか」
「え?」
「久しぶりだな、リィ」
「えっと」
「幼馴染忘れるとかてめえ随分と薄情になったな。俺だよ。屋島ケイ」
意地悪そうに笑う顔。星の海。大好きだった宇宙と大切な幼馴染達。
「え、うそ……」
喧嘩別れした幼馴染が、あの頃より大人になった姿で立っていた。
「再婚のために母親が船降りて、俺も連れていかれて苗字が変わったんだよ。新しい父親がコッペリアの人で。まあ今更まともな家族なんてやってらんねーからコッペリア軍に入ったんだよ。お前は?」
「んー、いろいろあって。ほら、私って優秀だから採用された感じ」
「相変わらず自信過剰だな」
「はあ? 実際優秀だし。私今あんたの上官なんだからね?」
「あ~あ。てめえの部下とか最悪だわ。秒で死にそー」
「勝手に死んじゃえ」
幼き頃と同じ乱暴なやりとり。ケイは変わってない。
「つうかせっかく食堂来てんのにお前、補給ゼリーだけとか意味わかんねえ。肉食え肉」
「なんかケイ、お母さんみたいになったね。口うるさい」
「あ? ふざけんな」
「きゃーママが怒った」
「誰がママだ死ね」
「ちょっ、痛い。蹴んなし馬鹿」
「馬鹿はてめえだ」
ギャーギャー騒いでいると出撃を知らせるサイレンが鳴り響きだした。
「くそ、お前のせいで食い損ねた」
「うふふ、ざまあみろ」
「きめえ」
「ほら、はやく行くよ」
ケイの分の補給ゼリーを渡す。
「ちっ」
舌打ちしつつも素直に受け取ったケイと共に、食堂から飛び出した。
敵が現れるのを待つ時間、通信機越しにずっと気になっていたことをケイに聞こうとふと思った。
「ケイは覚えてる? あの日の約束」
「あの日っていつだよ」
「嵐が、二人を連れて行った日。朝にさ、タイムカプセル埋めたよね」
「……そんなこともあったな」
「あれ、どの星だったかわかる?」
「んなもん、知らねえよ。名前もねえ小さな星だったし。まあ、ジェジェならわかっていたと思うけどよ」
「だよね」
「今さらなんだよ」
「うん。今だからかな。大人になったら三人で開けようって言ったじゃん? だから、二人だけど、せっかく会えたんだし開けてみようかなって思っただけ」
「意味ねえだろ」
「そうかな」
「つうか、中身紙切れだけだし。わざわざ探さなくてもいいだろ」
「紙切れって。大事な約束を書いたの忘れたの?」
「言うほど大事か? まあ忘れてねえけどよ。内容だって覚えてる。だから必要ないだろ。お前は忘れたのか?」
「忘れるはずない。三人で、地球を見に行こうって。忘れたことない」
「……は? 何言ってんだよリィ」
「え?」
「三人で、宝の惑星を見つけて金持ちになろうって約束だったろ」
「なにそれ」
「今考えると、俺たちもお伽噺本気で信じて随分とかわいい餓鬼だったなあ」
「そんな約束してない」
「いやいや、紙に書いてタイムカプセルにして埋めただろ」
「紙に書いたのは地球を見に行こうって約束だよ」
「それこそ約束してねえだろ」
「でも」
そんなはずはないのに。
「でもなんだよ」
「あー、もう! ジェジェだったら星の場所も分かるし、約束だって完璧に覚えてるのに」
「悪かったな。助かったのが俺で」
「ほんとだよ」
売り言葉に買い言葉。でも行ってしまってからはっとなった。言っていいことと悪いことがある。それなのに。
「ごめん。やっぱ今のなし」
「……いいよ別に。俺がジェジェを殺したのは事実だ」
「そんなこと、」
「俺についてこなければあいつは危険な目に遭わずに済んだのに」
「何言って」
「昔お前が言っただろ。ジェジェじゃなくて俺が死ねばよかったって。その通りだ」
「ケイ!」
「この話はこれで終わりだ。敵が来た」
「ケイ、私は!」
ズタタタタタタタタ
通信が途切れる。ああ。やっぱり。あの時放った言葉をケイは気にしていたのか。私はジェジェが好きだった。死んだことが赦せなかった。だから、あんな酷いことを言った。でもそれはケイを傷つけていい理由にはならない。すぐに私はそのことに気が付いたけれど、意地っ張りで引っ込みがつかなくなっていた私は謝ることができず、そのままケイに会えなくなった。
「ちゃんと、謝らないと」
再会できたなら謝りたい。それが幼きエルの願いだったはずで。もしジェジェが生きていたら彼もそう、望んだだろう。
確認したいことがあり、機密情報の保管庫に行くとそこには先客がいた。本来なら入れるはずのない彼の姿に、厳しげに問いかけた。
「ケイ、何してるの」
「っ、なんだ。リィか」
よほど集中していたのか、私に気づいていなかったケイはびくりとした後、ばつの悪そうな顔をした。
「ここ、関係者以外は立ち入り禁止のはずだよ」
「うるせえな。ちょっと調べていただけだ」
「ケイ」
「お前もじゃねえの? 何の関係者だよ」
「私はちゃんと権限がある。ねえ、どうやって入ったの」
「いくらでも方法はあんだよ。……まさかチクる気じゃねえだろうな?」
「私は今、あなたの上官だから、義務がある。子供のいたずらに目をつぶるのとは訳が違う」
「ああそうかよ」
「ねえなにを」
「別になんだっていいだろ」
「ちょっとケイ!」
荒々しくケイは部屋から出ていく。疚しいことがあるのか、ケイにしては珍しく逃げるようなその姿に不安を覚えた。
何を調べていたのだろう。彼がいじっていた閲覧機に触る。履歴は消されていたが解析していく。
何度かハッキングに失敗していたようだ。彼が開けたのは、とある事故の記録。
「……まさか」
不安げに呟いた声は静かに響いた。
戦闘記録に必要な書類をケイが提出していない。そう事務課に文句を言われた。いつものことだが困った男だ。説教するために探すが見つからない。
後でもいいかと諦め、機体の調整をしにドッグへ行くとケイがいた。
「もう。どこにいたの? 探したんだけど」
私に気づいたケイは無表情だった。どうしたのだろうか。何かに怒っている? つかつか歩み寄ってきたケイは、私の腕を乱暴に掴んだ。
「……え?」
「お前は何だ」
「どうしたの急に」
意味が分からない。
「日比野エルじゃあねえだろ」
「何言ってんの。私は私だよ」
ガキン
鈍い音を立て、私の腕が切り裂かれた。
ケイの手にはいつのまにか握られていたナイフ。
私の傷口からは機械が覗いていた。
「……やっばりな。お前はなんだ」
ケイは私を見つめていた。
*K
「酷い。生身だったらどうするの」
リィは笑う。
「今どきサイボーグなんて珍しくもないでしょ。特に軍に入ってたら怪我もする」
確かにリィの言うことはもっともだが、それだけではない。
「今から八年前、大型難民船g-003がコッペリア貧民街に墜落した。乗員は全員死亡。俺達が昔住んでいた難民船だ。……死亡リストに日比野エルの名前もあった」
「そんなリスト当てにはならないみたいね。現に私は生きている」
「お前は俺の知っているリィじゃねえ」
リィはもっと、なんというか面倒見がよくて暖かい女の子だった。再会して感じた違和感。最初はそれが久々に会ったからだと思ったがそうではなかった。
「時が経てば人は変わる。ケイだって変わったよ」
「……ならうなじを見せてみろ」
「へ?」
「お前がアンドロイドならうなじにナンバーがあるはずだ」
「私がアンドロイド? 冗談も大概に」
「見せろ」
無理やり髪を掴む。抵抗されるが力づくでうなじを露わにする。
「ちょっ、ばか! やめてって」
刺青のようにはっきりと刻印された数桁の番号がそこにはあった。
「やっぱりな」
「離してよ」
「本物の日比野エルはどうした! お前は何だ。何が目的だ」
「離して!」
「答えろ!」
「痛いっ」
「アンドロイドのてめぇに痛覚なんざねえだろ!」
「離してって言ってるじゃん!」
ガンッ
壁に叩きつける。痛いと歪める顔に腹が立つ。
「答えるまで離さねえ。本物のリィはどうした」
「……そんなの、とっくに死んだよ」
「嘘つくんじゃねえ」
「本当よ」
「なら何故死んだ」
「自分で言っていたでしょ。難民船は墜落してみんな死んだ」
「じゃあお前はなんだ」
「ただのアンドロイド兵かな」
「なら何故リィのフリをした! どうしててめえがリィの記憶を持っている?!」
「だって私はリィだから」
「ふざけんじゃねえ!」
出撃を知らせるサイレンが鳴り響く。
「ほら、行かないと」
「説明しろ。全部だ」
「必要ない」
「アンドロイドが決めることじゃねえ」
「アンドロイドでも、私はあなたの上官よ。け・ヴォルフ二等宙曹、今すぐ出撃しなさい」
「は?」
「命令よ」
「クソ野郎!」
リィのフリしたアンドロイドは冷たい目で俺を見る。どうして騙されたのか。そいつは間違いなくリィじゃなかった。
リィが死んでいた。それがとてもショックで。同時にあのアンドロイドは一体なんなんだという困惑と、怒りが湧いた。死人を弄ぶような所業に腹が立った。俺にとってリィは良き喧嘩相手で、大切な幼馴染だったのに。
出撃要請が入ったが、敵の数は少なく数時間後には基地に戻れた。都合がいい。
リィのフリをしていたアンドロイドはてっきり逃げるかと思ったが、大人しく応じた。
人気のない静かな部屋で、俺たちは向き合う。
「知らない方がいい」
アンドロイドは渋る。
「話せよ」
「日比野エルはあなたに知られたくないと思っていた」
「それでもだ」
「難民がどんな扱いを受けるかあなたは知らない」
「あ?」
「子供のうちに船を出られたのは幸せよ。何にも知らないで済んだ」
「話せ」
「……私たちがいた難民船の故郷は知っているよね? 今はなき星、ソラ島の事。神聖帝国との戦争に敗れて爆散したって教わっていた。でも真実は違う。プログラミングに優れていたソラ島は人工知能天ツ神で星を管理していた。でもある日、天ツ神は暴走してソラ島を破壊した。
逃げ出した研究者達は、天ツ神暴走の原因は人間性が欠けていたからじゃないかって考えた。“戦争を終わらす為には人間全員が滅べば良い”なんて答えに完璧な天ツ神が辿り着いたのは、人間性の欠如が原因だったってね。
築地ジェイと屋島ケイがいなくなった後の船は、日比野エルにとってつまらないものだった。やがて成長した日比野エルは人間性の研究をする道を選んだ。優秀な遺伝子のお陰で頭が良かったのと適性があったからそれは可能だったし、協力者もそれなりにいた。
でもある日、難民船はコッペリアに墜落した。
死にかけの状態で日比野エルは保護され、治療を受けた。でもその治療っていうのが試験段階の新型サイボーグ化。いわゆる実験体だね。不安定なものだったから身体のあちこちが拒否反応を起こしてね、生きたまま日比野エルは朽ちていった。……その様子は詳細に記録に残っているけど日比野エルはあなたには見られたくなかったみたい。私が話せないように制限がかけられている。
それでも日比野エルは研究をつづけた。コッペリアは日比野エルの研究に協力的だった。そして彼女はコッペリアの人工知能、エナメルアイを完成させた。
墜落から十四ヵ月後、日比野エルは死んだ。そして代わりに私が起動した。私は日比野エルが自身の記憶をデータ化してできたアンドロイド。彼女のコピーよ。人間性の研究の過程で彼女は記憶の完全数値化に成功していた。
起動した私は、兵器として利用できないか、コピー版の製造が可能かとかを調べられた後、軍に入れられた。倉庫に仕舞い込まれるよりはよっぽど有効的な判断だよね」
*L
「……っは」
不快な違和感に、私は目を覚ました。吐き気に襲われる。
自分の体が、自分じゃないみたいに冷たくてゾッとする。そっと指を開いた。
そうだ。アンドロイドの体は冷たい。当たり前だ。この体になって長いのに、未だに慣れないなんて。どうかしている。
窓から変わらない真っ暗な宇宙が見えた。
夢の中で私は誰かを探していた。そう、ジェジェを探していたんだ。いつもの夢。日比野エルが見せる彼女の大切な記憶。
アンドロイドでも部品を休ませるため、寝られるときは寝なければならないのに、最近はうなされて起きてしまう。
二度寝する気にはなれず、私は体を起こし、冷たいベッドに腰掛けた。
出撃を知らせるサイレンが今日も鳴り響く。ただいつもと違い、機体に乗り込んだ後に待機がかかった。情報部で緊急会議が行われているらしい。
ただならぬ雰囲気に眉をしかめる。
状況を確認するためにエナメルアイの防衛システムにアクセスする。画面に映し出されたのは敵を現す無数の真っ赤な点。しかもコッペリアへの接近をありえないほど許している。
「……なに、これ?」
「どうした」
ケイにはアクセス権がない。少し迷ってから情報を転送する。
「これ、待機してる場合じゃねえだろ」
「……無闇に出撃しても、勝ち目はないし」
そう言いながらも不安が募る。複数の監視システムを使い、より詳しい事態を探る。が、絶望が深くなるばかり。
怪物の数はこの前の23宙域戦の時以上。対するこちらの戦力は最近大規模な戦いが多かったため負傷機多数。
ピコン
“学徒動員を発令”
流れてきたテロップには不穏な文字。養成所に通う生徒達を戦場に出すという、想定はされていたが初めて下された命令だ。
ようやく作戦が定まったのか、そのテロップを皮切りに様々な命令が下される。
ケイの機体は学徒支援に配置された。
私が配置されたのは、赤い点が集中している所。どう考えても激戦区。そこに一人で向かえと言うのか。
「おい、嘘だろ」
「日比野エル、発進許可を」
『承知しました。日比野エル、70秒後に発進』
「お前、」
戸惑うケイの声。心配してくれているのか。私はリィじゃない、ただのコピーだと言うのに。
「無茶な命令はいつもの事だから」
軍の人形に拒否権はない。
*K
「K・ヴォルフ、テイク・オフ」
焦る気持ちを抑え、リィのアンドロイドに続いて機体を発進する。
視界が開けると直ぐに怪物の姿が視認できた。
学生の合流はまだ時間がかかるらしい。正義感なんてものはとうの昔に無くしたと思っていたが、まだまだ子供といってもおかしくない彼らの命が失われるのは、気分が良くない。
できるだけ減らしてやるか。
らしくないなと思いながらも俺は操縦桿を握りしめた。
*L
23宙域戦よりも遥かに多い怪物の群れの中に突っ込んでいく。地獄のような光景。これはもはやポイントに無事辿り着けるかも怪しい。全く、笑うしかない。
所詮自分は捨て駒だ。人の命とアンドロイドの命、どっちが重いのかと言ったら言うまでもない。
でも私は他のアンドロイド達と違って厄介な事に死への恐怖があるのだ。日比野エルが遺した彼女の感情。だから私は失敗作。
死にたくないなと思いながら私は戦う。
応援は望めない。無駄にぶくぶくと支配域を増やしたコッペリアは人手不足。余裕はない。
人形の星の名の通り、人よりもアンドロイドの方が多く、今もたくさんのアンドロイドがどこかで戦っているがそれでも手が足りないのだ。
もっとアンドロイドを増やせばいいのに製造と資源の限界で壊れた分を補充するので精一杯なこの星。エナメルアイが作られ少しはマシになったかと言えばそうではなく、その分支配域を拡大したからプラマイゼロむしろマイナス。
「もうありえない」
照準を合わせる必要ないくらいどこもかしこも怪物だらけ。残弾数の少なさを確認し、光線銃に切り替える。
「うぐっ」
その隙をつかれて背中に取りつかれた。振り払おうとするが無理。その間にもう一体取りつかれる。
「やっぱりこうなるんだ」
諦めた私は正しいポイントに移動する為急発進する。光線銃で正面の敵をなぎ払い進む、進む。
拍子に怪物も剥がれないかなと思うがそう上手くは行かないらしい。いつの間にか右翼を破壊されていた。バランスが狂う。他もやられたところがあるのか、さっきから警報がうるさい。
ポイントになんとか辿り着いた時には敵は十分引きつけられていた。
グローブを外し、自分の手を握る。大丈夫、ちゃんと冷たい。今の私はちゃんとアンドロイドだ。
敵が迫り来る。私は震える手でコマンドを入力していく。操縦席部分が破壊される前にやらないと、作戦は失敗だ。迷うな。
そう言い聞かせ、短いコマンドの後滑るようにエンターキーを押した。
「さようなら」
怪物達を巻き添えに、機体は大爆発した。
*K
学生達を全員助けるなんて無理だった。普通新兵はもっと楽な戦場に派遣され、徐々に経験値を稼がす為、初陣でここまでボロボロになった例はそうないだろう。俺の責任問題にならなきゃいいが。降級ならまだしも減封は勘弁して欲しい。これでも頑張ったのだから。
けれど半数以上生き残ったのは俺のおかげではなく、単に彼らの運が良かったからだろう。それほどに酷い戦場だった。
ようやく帰還し、ドッグに着けた戦闘機から降りると、俺は学徒達を置いてさっさと移動する。
もう戦いたくないという叫びだとか、仲間の死に悲しむ彼らにかける言葉なんて持ち合わせていないのだ。
リィが作ったあのアンドロイドはどうなっただろう。帰還機と、無事が確認済みの未帰還機、不明機と、死亡機。それらのリストが表示されている電光掲示板を眺める。
あのアンドロイドの機体を見つけた。紫の字で死亡機、そう書かれていた。
力が抜け、しゃがみこむ。
「リィ?」
目の前を慌ただく人が行き交う。
あのアンドロイドはリィじゃない。分かってはいるのだが。
俺はしゃがみこんだまま、ぼうっと掲示板を眺め続けていた。
*?
難民船で優秀な遺伝子を残すために無理やり作られたのが、築地ジェイ、屋島ケイ、日比野エルとその他の子供達だ。彼らは神ノ仔と呼ばれた。政策によって試験管から生まれた子供達は、遺伝子上の親に愛される子もいたけど大半は屋島ケイのように虐待され、日比野エルのように無視され、築地ジェイのように捨てられた。
『気味が悪い子たち』
大抵の大人達は神ノ仔らにそう言った。研究者達は私達を、優秀な進化した人間なのだと言ったけど、どう考えても周りの扱いはバケモノと接するそれだった。
大人達が私たちより強かった子供の頃は暴力を振るわれていたが、築地ジェイ、屋島ケイが居なくなったあと、神ノ仔達が成長するとそれも終わり、彼らはそれぞれの分野で活躍をはじめた。
けれど神ノ仔らは、幼い頃受けた仕打ちを忘れてはいなかった。虐げてきた人達の為に働く理由など持っていなかった。
だから、神ノ仔らは自分達が難民船を支配する事に決めた。自分達ならもっと上手く難民船を統治できると奢ったのだ。
その計画の中心にいたのが日比野エル。彼女は築地ジェイと屋島ケイがいなくなったのは大人達のせいだと思っていた。何かのせいにしなければやってられなかったからだが、計画はただの退屈すぎる日々の暇つぶしだった。
やがて計画は実行に移され、失敗した。
神ノ仔らに支配されるくらいなら死んだ方がマシだと難民達は自死する道を選んだのだ。それほどまでに神ノ仔らは嫌悪されていたらしい。
燃え盛る炎。嫌悪する人々の顔。逃げ場がなくなり、死にたくないと怯える人を殺す人。
自ら死を望む程の人の誇りを理解できなかった神ノ仔らはやはりバケモノだったのだろう。人間性の研究なんてやっていたくせに、天ツ神と同じく人の心が分かっていなかったのだ。
コッペリアに墜落した船で生き残ったのは日比野エルただ一人。
ジェジェならどうしただろう。日比野エルはただそれだけをいつも考えていた。答えは出なかったようだ。
重い罪を負った彼女は己にそっくりなアンドロイドを作った。
作った理由を私は、知らない。
たしかに私は自爆したはずだった。
しかし意識が戻り、目を開けると液体の中にいた。
水槽のようなカプセルの外は薄暗く、カプセルは青白い光で照らされていた。
ああ、またか。また、生き返った。
いつも死ぬ前は次こそは生き返らせてもらえないかもしれない、そう思うのだが毎回目覚めると天国ではなくカプセルの中にいる。
やがて液体が抜け、カプセルが開く。
『お疲れ様でした』
電子的なエナメルアイの声を聞きながら用意された服に袖を通す。
今度の体は前と特に変わったことは無いらしい。端末の情報を眺める。珍しく、私の体より機体の製造の方が遅いため、しばらく休みらしい。
手を握ると相変わらず冷たい。
そういえば屋島ケイはどうなったのだろう。端末で安否を確認すると、待機中となっていてほっとした。
「ねえ、エナメルアイ。私は前の私と変わらない?」
『99.805%同じです。0.195%の差は再製造による規定内の誤差です』
「そう」
その0.195%の差が積み重なって私は日比野エルから離れていく。いや、一番最初の段階ではもっと誤差があったから、既に差は大きい。だから屋島ケイは私の正体に気が付いたのだろう。
あと何度死んだら私は日比野エルではなくなるのだろう。それとももう、私は日比野エルでは無いのかもしれない。
必要な設備に新しい体と、死ぬ直前までのエナメルアイに保存された記憶のデータ。それがあれば何度だって私は生き返る。
*K
基地内は完全禁煙だが、非常階段の隅で煙草を吸う俺に文句を言う奴はない。
完全禁煙にするくらいならちゃんと喫煙所を設けろと文句を言いたい。煙草や酒などの嗜好品を嗜む奴はぐんと減ったがゼロではないのだ。
「こら、煙草。基地内は禁煙だよ」
「うっせえな」
そう返事して固まる。ポロリと灰が落ちた。
「なっ、おま、は?」
「何? 幽霊でも見たような顔しちゃって」
「だっおまえ、死んだはずじゃ」
「忘れたの? 私はアンドロイドだからね、何度だって生き返るのだよ」
「……ああそうかよ」
「あっれれー? ひょっとしてケイきゅん寂しかったー?」
「お前ほんとにリィのアンドロイドか? テンション高すぎだろ」
「前との違いは0.195%だよ? 誤差誤差。そういうわけで煙草ぼっしゅー」
「何がそういう訳だクソ、やめろ」
イライラしながら火を消す。
「ケイきゅん大活躍だったみたいだねえ。よしよし」
「うぜえからやめろ」
「せっかく褒めたのに」
「マジうぜえ」
「ケイたん反抗期でちゅか?」
「殺すぞ」
「いやー怖い。あ、呼ばれてるからもう行くね」
「さっさと行け」
ヘラヘラ笑いながらリィのアンドロイドは去っていく。
「何しに来たんだあいつ」
生きていたのか。一瞬でも安心した自分がよくわからなかった。
リィが泣いている。ジェジェは少し困ったように笑っていた。
ああ、これは夢だなと直ぐに気がついた。すっかりと忘れていた遠い、昔の記憶だ。
床には散らばるトランプ。俺がこっそりパクってきたものだ。こんなに雑に扱ってバレたらどうするという不安と、せっかく持ってきたのにという苛立ちを抱えていた。
「なんで、ジェジェとケイはいるのにリィはいないの?」
どうしてそんなことで泣くんだろう。
トランプの文字。2から10までの数字とジョーカー、AとQ。それにJとK。そこにLの字はない。
遊び方を調べてみたらトランプというのは全てそういうものであって別に意地悪してLを抜いた訳では無いのに。
リィがやってみたいと言うからわざわざパクってきたのに、こんな事ならやめときゃよかった。誰かの為なんて慣れないことするもんじゃないなと、後悔した。
「よし、じゃあこうしよう」
ジェジェはいつの間にか取り出した修正ペンでクイーンのQを塗りつぶした。
「あ、おい馬鹿」
これじゃあ返せないじゃないかと焦るとジェジェはしぃっと悪戯っぽく笑った。
「ほら、リィこれでどう?」
4枚のカード、乾いた修正液の上にジェジェはLと書いた。
「これでこのカードたちは月の女神になったよ」
「月の女神?」
「そう、LUNA。リィのLだ。僕のJACKとリィのLUNAとケイのKING。これで三人一緒だ」
「すごいすごい!」
あんなに泣いていたのに、リィは笑っていた。このカードどうすんだよと思いながらも、ジェジェはやっぱすげえなと感心する。
「ジェジェはやっぱりすごいね!」
俺が思った事と同じ事を言った、嬉しそうなリィを見てドキリとした。その目はジェジェしか見ていなかった。いや、いつもの事なんだけど、急に仲間外れにされた気分になった。リィの世界にはジェジェしかいないんじゃないか、そんな気がした。
リィはジェジェが好きなんだ。この時唐突に俺は理解した。同時に俺はリィが好きで、おそらく失恋したのだろうということも。だってジェジェ相手じゃ適わない。
面白くない。でもジェジェもリィも大切な幼馴染だ。どうしたらいいのか、俺はわからなかった。
リィのアンドロイドとの接し方が分からなくなるかと思いきや、そんなことはなかった。
ただ前のように喧嘩はしない。それが酷く寂しい気もしたが、リィだから突っかかっていただけで、リィではないのだから喧嘩する意味は無いのだ。
そんなことを考えていたからか、酷く懐かしい夢を見たのだろう。ジェジェとリィと三人一緒だった頃の夢だ。
あの後カードはどうしたんだっけ。確かババ抜きと大富豪とかいうのをやって俺が負けた気がする。ジェジェも負けていたけどあれは今考えるとわざと負けたに違いない。勝手に書き換えたカードは元の持ち主に戻さず、誰かが大切に持って帰った気がする。
時間を確認するとまだ起床時間には早かった。だか二度寝すれば目覚めが悪くなるだろうなと思い起き上がる。昔は平気で寝坊して遅刻していたのだが。
シャワーを浴びるため部屋から出る。フットライトが人感センサーに反応し、青白く光る。人の気配がしない、冷たい廊下をひたひたと歩いているとライトがまだついていない真っ暗な通路の先に人影を見た気がした。目を凝らすと見慣れた後ろ姿であることに気づく。リィのアンドロイドは角を曲がったように見えた。
俺が進むと普通にフットライトの明かりはついた。たしかにいたのはリィのアンドロイドだったと思うがなぜ暗いままだったのだろう。不思議に思いながら角を覗くとそこは行き止まりだった。
意識はしていなかったがこの基地に転属になってから何度か通って、確かにここは行き止まりだった気もする。なら、アンドロイドはどこへ?
行き止まりの側面の壁には腰の高さほどの小さな扉があった。設備か何かの点検用の入り口だろうか。まさかな、と思いかちゃりと取っ手を引いて開けると真っ暗な中、配管が並んでいる。が、人一人歩ける通路のようでもあり、配管の隙間にある階段はどこかへと続いている。
時間はまだある。
幼いころの探検を思い出し少しだけ浮かれながら、俺は端末のライトを頼りに歩きだす。
音を立てないよう、しばらく階段を下りていくとやがて光が見えた。リィのアンドロイドだ。
光っているのはどうやら部屋らしく、リィはその中に入っていく。扉が閉まったのか再びあたりは真っ暗になった。
こんな隠し部屋のような場所に何の用だろう。絶対マトモじゃない。踏み込むな。そこで初めて頭の中で警告が鳴る。けれど、このまま見過ごすわけにもいかない。
俺は部屋へと近づき、前時代的なノブを回す。ギギイと大きな音できしみながら簡単に開いた。
踏み入った部屋はツンとした薬品の臭いがした。壁を囲む棚と箱がいくつか置いてある倉庫のような部屋。アンドロイドの姿はない。どこに行ったのだろう。
ふと棚だと思っていた一部にひかれたカーテンの先からこの刺激臭が漂っているのに気づく。さらに部屋があるのか。
サッとカーテンを開けると真っ暗な空間が広がっていた。脇にスイッチがあるのに気づき、パチリとつけると明かりが灯った。
「……んだよ、これ」
いくつかの機械につながれた水槽に浮かぶのは、無数の脳みそ。
中でも一番大きな水槽に浮かんでいるのは。
ジェジェだった。
「ケイ?」
アンドロイドがいつの間にかそばにいた。
「てめえ、これ。なんだよ?」
「だめじゃん、勝手につけてきちゃ」
「何だって聞いてんだよ!」
「見てわからない? ジェジェだよ?」
不思議そうな笑顔が怖い。
「ジェジェも作ったのかよ」
「まだ未完成だけどね」
「ジェジェは死んだんだぞ?」
「うん。私も死んだよ。だけど二人とも生き返るの」
「アンドロイドになるのは生き返ったなんて言わねえ」
「生き返るんだよ。だって記憶を持ってるんだもん」
「ただの記憶のコピーだろ。生き返りなんかじゃねえよ」
「何怒ってるの? ケイはジェジェが生き返って嬉しくない? ジェジェに会いたくないの?」
「会いたいけどよ」
「じゃあいいじゃん」
「良くねえよ」
「どうして、ジェジェが生き返ったらまた私達を正しい方向に導いてくれる、また皆で笑える」
「お前」
「もう、誰も間違えないですむの」
「……嵐の日、ジェジェは間違えた」
「それはジェジェだって人間だもん。でも足りない分の記憶をエナメルアイで補完するから、もうジェジェは間違えないよ。最高の人工知能とジェジェが合わされば最強じゃん?」
「それはもう、ジェジェじゃないだろ」
「ジェジェだよ」
「違う」
「違わない!」
「なあ、それはリィが望んだことなのか? ジェジェを作るって事は」
「だってずっとリィはジェジェ、ジェジェって会いたがっていたよ?」
「でもそれは駄目だろ」
「だから何で駄目なの」
「死人で遊ぶなって言ってんだよ!」
「あっ、遊びじゃない!」
「遊びだろ。本当に生き返るわけでもねえ。ジェジェにそっくりな人形作って、それでなにがしたい。なんでもかんでもジェジェ、ジェジェって。あいつならどうしたかと憶測して頼るのは勝手だ。でも結局自分が進む道は自分で決めるもんだろ。死んだ奴そっくりのコンピューターに計算させて決めるもんじゃねえ。第一、その道が間違いだったら誰のせいにする気だよ。ジェジェのせいか? ふざけんじゃねえ」
「ジェジェは間違えない!」
「間違えたんだよ! あの嵐の日、本当ならあいつは生きるはずだった。俺が駄目でもあいつは生き残るはずだった。それが正しい。でもあいつは、間違えた。だから死んだんだ! 確かに人工知能と合わせればもう間違えねえだろう。でもそれはジェジェじゃねえ。間違った選択をするのがジェジェなんだよ。あいつは完璧じゃねえんだ」
「やっぱりジェジェは間違えてないよ」
「あ?」
「詳しくは知らないけど、あの嵐の日。どちらかは死ななきゃいけないような状態だったんでしょ。だから自分より、幼馴染のケイの命を優先した。だってあのジェジェがケイを見殺しにするなんてマネするはずがない。だからジェジェは間違えてないよ」
「間違いだよ。知らねえっつうなら教えてやる。あの日、俺たちは嵐にのまれて遠くまで流された。長い時間、嵐にのまれていたからガスも酸素も残り少ねえ。
星の様子を見て船がどの方向かってジェジェは計算した。あいつは賢い。だが船に戻るにはガスが足りなかった。だから俺たちはガスと助けを呼ぶのを片方に託して片方は救助を待つことにした。俺のほうが、泳ぐの得意だから任せたって、ジェジェは笑った。
だがあいつはわかっていなかった。船にたどり着いた俺は、救助隊の派遣を頼んだ。そしたら大人たちは、酸素はもうなくなってるだろうって。探しもしなかった! せめて、遺体の回収くらいしてやればいいのにそれすらしなかった。
もっと馬鹿なのは俺だ。大人たちがちゃんと救助隊を出してくれたって思いこんだ。今までの扱いを見てりゃ大人なんて信用できねえってわかんのに。救助隊なんて信じずに俺が酸素とガス持って助けに向かえばよかった。
俺じゃなくてあいつが戻ってたら救助隊が出ないことを悟ってすぐに自分で助けに向かった。二人とも助かった。俺がジェジェを殺したんだ。ジェジェは間違えたんだよ、そもそも嵐が来るからって、俺を止めりゃあ良かったし、俺じゃなくて自分が船に戻ればよかった」
後悔なんてものじゃない。悔いて、悔いて、悔いても許されない罪。あのあと、ジェジェと別れたあたりに行ったが当然遺体はなかった。おそらく流されたんだろう。ずっと俺はあの日に囚われたままで、前に進むなんてことできないのに無情にも月日だけは過ぎていって。
「……でも、なら、なおさらジェジェに会いたいでしょ」
「会いたいよ。でも会いたいのはまがい物のジェジェじゃねえ。なあ、頼むからやめてくれよ。お前がやろうとしているのは死者への冒涜だ」
「でも、ジェジェを作らなきゃ……」
「作れって、リィが言ったのか? 違うだろ。あいつがそんなこと赦すはずねえ」
「じゃあ、私は何のために生まれてきたの……?」
「知らねえよ。でもみんなそんなもんだろ。意味があって生まれてくる奴なんかなかなかいねえ。生きながらその意味を作るんだろ。それよりこの装置の電源切るぞ。ジェジェは生き返らせたら駄目だ」
俺は冷静じゃなかった。ジェジェを生き返らせるのは倫理的に駄目だと分かってはいたが、揺らいでもいた。だから、アンドロイドの様子にまで気が回らなかった。
「人間はそうかもしれない。でも、私はアンドロイドだから……」
その不安げな声に気が付かなかった。
「学徒隊の指導員だあ?」
「うんそう。はい、これ隊員のプロフィール」
「聞いてねえぞ」
リィのアンドロイドから受け取ったデータを見る。あの日見たものは夢だったんじゃないかと思うような普通の日々。あの日あの後、装置は完全に壊し、水槽も、気味の悪い脳みそたちも、ジェジェのアンドロイドになるはずだったものも完全に処分した。リィのアンドロイドは完全にあきらめたのだと、思いたい。
「やらねえよ。面倒くせえ。大体なんで俺なんだよ、前回だって死者出しただろうが」
初となった前回の学徒動員で、俺がいた場でも帰らぬ人となった奴がいた。
「でも命令だし」
「お前がやれよ。リィは面倒見が良かったし、お前もその性質少しは受け継いでいんだろ? 俺はこういうの向いてねえ」
「人手が足りないの。学徒動員するくらい切羽詰まってなかったら誰も不良兵士に頼もうなんて思わないよ」
「そりゃあそうだろうよ」
「とにかく、訓練もケイの仕事だから。一時間後に集合だって。すっぽかさないでよ。あの子たちの命がかかっているんだから」
「は? 一時間後? マジかよ」
「まじまじ」
「うぜえ」
完全に、普通の日々だと思っていた。だから指導員なんて面倒な仕事を押し付けられてリィのアンドロイドと過ごす時間が減ってもなんとも思わなかった。
「適性が下がっている?」
そのことに気が付いたのは偶然だった。
学徒隊とエースパイロットの差はどうしようもないが、彼らにも応用できる部分はないだろうかと、俺にしてはまじめに(不正な方法ではあるが)調べていた時だった。リィのアンドロイドのデータを見ると適性が下がっていたのだった。
戦闘記録は相変わらず素晴らしい。指導官となり、あまり厳しい戦場に出なくなっていた俺と違って目まぐるしい活躍の記録を残すリィ。だが、たしかに適性が先月のデータと比べて異様に下がっているのだ。
「なんかあったか?」
考えられるのはジェジェを作るのをやめさせたくらい。でもそれが何の影響があるというのだろう。適性が下がる要因は、身体的なものを除くと戦場で酷い目に遭って精神的に傷を負ったとかそういうものが考えられる。よくある話ではあるが、そう頻繁に大きく変動するような数値でもないのだ。
あとで話くらい聞いてやったほうがいいかな。リィが作ったアンドロイドだし。
そんなことを考えながら、俺はデータを閉じた。
出撃を知らせるサイレンが鳴り響く。
今回はいつもより厳しい戦闘らしい。またか、と思うが学徒隊の面々は緊張した顔。もっと気楽にやらなきゃ死ぬぜ、と声をかけようとした時だった。リィのアンドロイドが遠くに見えた。
そういや最近忙しくて結局話すどころか顔すら合わせていなかったな、と思いながら近づいてくるのを見てあれ、と思った。
「ケイ」
「お前、なんかやつれたか?」
「忙しかったからね」
「アンドロイドでもやつれるんだな」
「まあ」
浮かない返事、妙だと思った。
「あとで、会えるか?」
「うーん、どうだろ?」
「まあ、お前も忙しいもんな」
お疲れと労うと、奴は苦笑した。
「ねえケイ」
「あ?」
「ジェジェはやっぱり、間違えてないよ」
「は?」
「ジェジェは全部正しい」
そう言うと出撃の準備のため、彼女は足早に去っていった。
俺の教えが良かったのか、かなり激しい戦闘だったにもかかわらず、その日俺の隊からは死者は一人も出なかった。
電光掲示板を眺め、日比野エルと死亡機の紫色の文字を見つけたときも少し不快ではあったが、どうせまたすぐ生き返るんだろと、何の感傷も抱かなかった。
おかしいと気が付いたのは随分と経ってから。リィのアンドロイドに全く会わないことに疑問を覚え、データを見るとそこに死亡の文字が増えていたからだ。
「嘘、だろ」
なぜまだ生き返っていない?
「エナメルアイ、どういうことだ」
世界の人工知能は万能だ。何でも知っている。
『日比野エルは再製造を拒否しました。再製造の拒否権は日比野エルと上層部にあり、戦力の低下が懸念されましたが、制作者である日比野エルのオリジナルが日比野エルの意思を優先するよう決めていましたので問題なく再製造の中止が決まりました。データは破棄され、日比野エルの再製造はできません』
「っ、どうしてだ?」
『ですから日比野エルの意思です』
「なぜ、あいつは生き返るのをやめた?」
『これは、私の憶測ですが』
「かまわない」
『モノには製造された目的があります。それを成し遂げたのでしょう』
「あいつの目的ってなんだよ?」
『……そこまでは』
「まさかっ?」
俺は走る。ジェジェが作られていた研究室へ。
リィ、リィ。お前は何がしたかった? 何のためにあのアンドロイドを遺した。まさか本当にジェジェを生き返らせたかったのか……?
息をきらしてたどり着いた研究室。乱暴にカーテンを開けるとそこは空っぽだった。
脳みそも、ジェジェもいない。まとめた段ボールが数箱と、撤去し残したコード類などの機械の部品がわずかに転がっていた。
拠点を移したわけでもないだろう。俺が処分を手伝ったし、二度とジェジェを作らないと約束もした。ジェジェは作られていないし、生き返ることもない。
リィのアンドロイドも生き返ることはない。
「なあ? エナメルアイ。お前本当にリィが作られた目的を知らないのか?」
『はい。日比野エルのオリジナルの記録にもそれらしきものは残されてはおりません。そもそも目的を設定していなかった可能性も高いかと』
「……は?」
『オリジナルは目的を設定していなかった可能性が高いですが、日比野エルは何らかの目的を自身で設定し、それを成し遂げたのでしょう』
「何らかの目的ってなんだよ」
『少し前までは築地ジェイという者の製造のようでしたが最新のモノは知りません』
「俺が、あいつの生きる意味を奪ったってことか……? 目的のないモノはどうなる」
『一般的に考えて、放置か廃棄でしょう』
一度目はジェジェだった。絶対に助けを呼んでくると約束したのに、守らなかった。遺体すら、迎えに行くことが叶わなかった。
二度目はリィだ。彼女の苦しみを知らず、孤独に死なせた。
そして三度目、リィのアンドロイドの生きる意味を奪った。
リィが何かしらの目的を果たしたとは考えられない。酷く悩んでいたのだろう。だから適性の数値も下がった。俺は気づいていたのに、何もしなかった。作られた目的を失ったリィは自ら死を選んだ。そうとしか考えられない。
人とアンドロイドは違ったのだ。人は、生きながら己の意味を、存在価値を探し作っていく。だがモノであるアンドロイドは生まれたその瞬間から目的を持ち、その目的を達成すべく摩耗していく。それは、何かしらの仕事であったり、人間を助けるためであったり、幸福のためである。
なあ、リィのアンドロイド。お前は戦うことが目的じゃあ駄目だったのか?
コッペリアの住民を助けるため、戦い続けることは選べなかったのか?
それらが色褪せてしまうほど、ジェジェを作ることはお前にとって生きる大きな意味だったのか?
なあ、なんでお前は死んだんだ?
もっと何かできたんじゃあないか。自分がもっと賢かったら、違う選択をして、だれも失わずに済んで。今とは違う、幸せな景色が広がっていたのではないだろうか。
悔い悩みむのに、俺はもう疲れた。
……ジェジェがいれば、なんて。
俺はいつも間違いばかり。あいつも言っていた、ジェジェは全部正しいって。あの嵐の日の判断が間違いだとは今でも思うけれど、確かにそれ以外はいつもジェジェが正しかった。
ジェジェは完璧じゃねえし自分の進む道は自分が決めるもの。そう言ったのは俺だ。
けれど俺よりはるかに正しい選択をできるのもジェジェである。
何より間違いそうになった俺を正してくれる二人がいないのは。
ひどく、つらいのだ。
終わりが見えなかった宇宙大戦争時代は拍子が抜けるほどあっさりと終わり、やがてこの星にも平和がやって来た。
いかにして終わったのかとか、戦争終結の功労者が誰だとか、その道はとても大変だっただとかそんなことは興味がなかったし、末端兵の俺には関係のないことだった。ただ平和が来たと同じように無知ながらも喜び合う周囲に混じり、感謝をした。
もちろん完全に戦争が終わったわけではない。納得していない奴らも多くいて、瓦解した神聖帝国の一部が攻撃してくることもあり、兵士という職業は当分なくならないのだろう。
俺は正式に指導教官になる道を示されたが、断り軍をやめた。俺みたいなやつが指導教官だとあのアンドロイドが聞いたら不良兵士のくせにと笑うに違いない。
二度と見つけることは叶わないと思っていたタイムカプセルを埋めた星は、当時の難民船の航路をエナメルアイに計算させたらあっという間に見つかった。
仕事の合間、訪れてみるとそこは確かに記憶の片隅にあるようなそんな気がした。
「それにしてもびっくりだよねえ。まさかケイが学校の先生になるなんて。チビたちの子守り苦手だったくせに」
「苦手じゃねえよ。現にお前の面倒見てただろ」
「みられてませんーっ。あ! あそこっ。足跡残ってる!」
リィがはしゃいで走り出す。そのあとを俺はゆっくりと追った。
――リィを再び作ることはとても大変で、五年の月日が必要だった。あいつがわずか十四ヶ月でエナメルアイと己の分身を作ったことはとてつもない偉業であったのだと身をもって知った。
残り香のようなわずかなデータをかき集め、作り上げたアンドロイドはリィとも、リィが作ったアンドロイドともどこか離れているような気がしたが、それでいいとも思っていた。リィが生きていたらどんな風に成長しているのかなど、誰にもわかりはしないのだから。
俺が作ったアンドロイドは、墜落したところまでの記憶しか入っていない。生きたまま朽ちていった記憶を俺には見せたくなかったというリィの言葉を守ったからだ。
だから俺が作り上げたアンドロイドは起動した当初は、随分と成長していた己の体や時代の流れに戸惑ってはいたが、今では青春返せと文句すら言っていた。彼女の青春は難民船の上で終わっていて、失ったのは二十代のはずなのだが、まあ目が覚めたら三十路手前では文句の一つ二つ言いたくもなるのだろう。
「ねえっケイ、あったよ! たぶんここっ」
手作りの旗が刺さる丘の上でリィは跳ねていた。
「はしゃぐな婆」
「婆じゃないしバーカっ」
ジェジェは作っていない。というより俺の能力ではジェジェの記憶を作れなかった。もしもリィが作りたいと言ったらその時は止めるつもりはないが、彼女はそんなそぶりをまだ見せてはいない。
穴を掘っていくと小さな鉄の箱が出てきた。記憶にあるのはもっと大きかった気もするが俺たちが大きくなったせいでもあるのだろう。
「あけるよ」
「……ああ」
中に入っていたのはいつかのトランプと、小さな封筒。
ここにあったんだと、トランプを懐かしく思いながら封筒を開けようとする。
「あ、」
「どうしたの、ケイ?」
「そういやあお前約束覚えてるか?」
「この紙の内容? 三人で、地球を見に行こうって。忘れたことないよ」
「何言ってんだよ」
「え?」
「三人で、宝の惑星を見つけて金持ちになろうって約束だったろ」
「なにそれ、そんな約束してないよ」
「まあ開ければわかるか」
「それはそうだけど……」
封筒を開く。
「……」
「……二人とも違ったね」
「だな」
“三人がずっと一緒にいれますように”
「……俺さ、リィが作ったアンドロイドが、リィじゃねえかもって最初に疑ったのは二人が覚えている約束が違ったからなんだけどよ」
「うん」
「二人とも間違いだったな」
「いや、あってるよ。三人でってところが同じ」
「まあそうだけどよ。……これ、ジェジェの字か?」
「しかいないでしょ、綺麗な字だもん」
「……なあ、お前はジェジェが好きだったか?」
「なに。当たり前じゃん」
「恋愛として?」
「それは、わからないけど」
「じゃあ俺は?」
「……はあっ? あんたまさかっ。
いい? 今の私は所詮人工物だし人間じゃないし、間違ってもアンドロイドに恋愛感情なんて持っちゃ駄目だからね」
「勘違いするなよテメーは。俺が好きだったのは日比野エルであってお前じゃねえ。つかガキの頃の話だし」
「うーん。当時の記憶がある私としては、それはそれで複雑なんだけど……」
「お前を作ったのは、リィが自分のアンドロイドを作ったからだ。それを俺が壊したから作り直した、ただそれだけだ。生きる意味なら自分で探せ」
「生きる意味ならあるよ?」
「は?」
「ジェジェの代わりにケイを見張れって」
「……それはリィが設定した目的じゃねえだろ」
「まあそれは気になってちょっと調べたけどさ。アンドロイドを作ったのはただ自分が死んで消えてしまうのがすごく嫌で、後怖かったのかな? とにかく何でもいいから自分を残しておきたかっただけっぽいし」
「……そうなのか?」
「日比野エルの記憶がある身としてはそれが正しい気がする。そんなに時間もなかったんでしょ? 深く考えてないんだよきっと。まあ私のオリジナルながら雑だなあとは思うけど」
「そんなもんか」
「あとはまあ、日比野エルはいろいろ罪を抱えているし、残された時間じゃあ償いきれないって思ったのかも」
「……じゃあ、どうしてリィが作ったアンドロイドは死んだ」
「死にたかったわけじゃなくて、何度も死んで生き返るのが嫌になったの。だって、本当に次、生き返るのかもわからなくて、痛覚はないけど死ぬのってやっぱりいい気分じゃないし。人間は死んだら灰になってそのまま終わりでしょ。うらやましかったの」
「……お前、墜落した時までしか記憶はないんだよな?」
「うーっとまあ、うん!」
「歯切れ悪いな」
「記憶なんて不確かなもんだからさっ」
「まあそれもそうか」
タイムカプセルを眺める。若干修正液がはがれかけてきたトランプのLの字をなぞる。
「……エナメルアイからデータ転送したおかげで記憶全部あるなんて今さら言えない」
「あ? なんか言ったか」
「なんにも?」
*L
日比野エルが私に見せるのはいつだって、幼いころの三人一緒だった記憶。幸せな時も、そうじゃない時も、バラバラになった辛いあの嵐の日も。日比野エルにとって、とっても大切で拠り所だった記憶だったから。
*J
――遠ざかっていくケイの姿を見送る。必死に泳ぐ後ろ姿を見ながら少し悪いことをしてしまったかなと苦笑する。
僕の酸素はもうない。パクってきたものだから、残量はまちまちでケイの酸素が船につくのにぎりぎり足りそうだったのが救いだろう。
そんなこと、あいつに知れたら、自分の酸素を僕にくれてやりそうだったから隠し通せてほっとした。たぶん大人たちは救助を出さない。僕が死んだのを少しでも大人たちのせいにしてくれればいいと願う。
もう一人の幼馴染は泣くだろうか? たぶんまた喧嘩するに違いない。何度喧嘩してもいいからその度に仲直りしてほしいと思う。
タイムカプセルを埋めたときも大変だった。二人とも自分の願いを譲らなくて、あきれた僕はさっさと書いて埋めた。二人とも妙なところで僕を信じ切っているから、まさか僕が自分の願いを勝手に書いたとは思ってもいないだろう。
開けたときにどんな顔をするだろうか。まあ、二人の願いとも共通しているから怒られはしないだろう。
三人で開けたかったのだけど。
星が瞬く海はとても静かで、三人で見た景色は綺麗だったから。とても大好きで。
大切な記憶と共に僕は宇宙を漂った。