不真流
あるとき、一人の男がある国の山奥にひっそりと暮らす、独り身の老人を訪ねていた。
その男の名はロキルリント・ベルベ。そして老人の名は、エンヴィラといった。
ベルべは腕に自信のある戦士だった。彼が住む国では毎年一度、国内の戦士が集うコロシアムが開催される。
彼はそのコロシアムで、自らの武勇を轟かせたいのであった。
しかしベルべはとても技を見る目が冴えていて、とても自分では名のある戦士には敵わないことが分かっていた。
そんなとき出会ったのが、不真流という見たことのない流派の武術を使う男だった。彼の技は鋭く、しなやかで、洗練されていた。
不真流ならば、確実に名声を得られる。
そう考えたベルべは直ぐに彼に教えを乞うた。だが、彼は自分には教えられないのだと言う。
それでもしつこく食い下がったベルべは、どうにか彼の師匠が住む場所を教えてもらうことに成功する。
その師匠こそがエンヴィラであった。
ベルべは直ぐに支度し、不真流を教えてもらうために、国から遠く離れた山奥まで、こうして訪ねてきたのだった。
だが、エンヴィラは頑なにベルべに不真流を教えようとはしなかった。
ベルべは激昂して、喚き散らす。
「どうしてです! どうして私に不真流を教えてくれないのです!」
エンヴィラはほとほと呆れたような顔をして、宥めるように言うのだった。
「不真流は他のどの流派よりも、確かに強い。型も技術もそうだが、それを支えているのは何より心だ。お前のような奴には教えられん」
「私にならできます!」
「それが駄目なのだ。不真流は誰より自分を信じない心の在り方の具現化だ。どれだけ自分が強き者であると自覚していようとも、常に自分以上の誰かと相対することを想定する。剣を交えるときは必ず相手が自分よりも強いと考える。欲に塗れたお前にはできんよ」
「なら私はここで、全ての欲を洗い流します!」
ベルべはそう言った後、エンヴィラの前から姿を消した。
半日ほど経った後、ついに心配になったエンヴィラが、山中を探しに出た。
するとそこには、半裸になって滝に打たれ続けるベルべの姿があったのだ。
エンヴィラはずっとここにいたのかと問う。
「はい。自慢の剣も折って捨てました。持ってきていた食料は魚のエサとしました。服は寒そうな兎にかぶせてやりました。これでも駄目だと言うならば、私はこのまま永遠に滝に打たれ続ける覚悟です」
その言葉にいたく感激したエンヴィラは、ベルべを弟子にとることに決めた。
そして数年の年月が流れ、不真流を会得したベルべは、非常に冷静で、誰が相手でも油断しない人間となっていた。
ほとんど不真流を完全に形にしてからも修行を続け、ようやく自分の実力に納得のいくようになったベルべは、反対されていたエンヴィラの下を強引に出て、長年の夢であったコロシアムへ出場した。
不真流は正真正銘、最強の流派だった。
コロシアムにいるありとあらゆる戦士を薙ぎ倒し、ベルべは他国にまで響き渡る名声を得た。
「やはり不真流は最強だった! これならどんな戦士にも負けない!」
それからベルべは、毎年コロシアムに参加しては優勝を容易く掴んでいった。
ベルべは最強の戦士である。気付けばそんな意識が全ての国民に根付いていた。
そんな年月が過ぎ、すっかり自信とプライドの塊のような人間となってしまったベルべは、それでも長年積み重ねてきた不真流の技だけで相手を倒せるようになってしまっていた。
いつの間にかコロシアムは、ベルべを誰が倒せるのかという趣旨のものに変わり、ベルべはかつて欲しくてたまらなかったものの代わりに、エンヴィラの下で学んだ一番大切なことを忘れてしまっていた。
そうした年月が続いたある日、コロシアムに一人の老人が参加してきた。
その老人はかつてのベルべの師、エンヴィラその人だったのだが、師匠のことすら忘れてしまっていたベルべは、対戦を快く受け入れた。
「ご老人相手に本気を出すのは、私としても忍びない。かといってご老人に勝利をあげるわけにもいかない。そういうことなので、私は一度だけ、あなたの剣を受けよう。私から攻撃はしかけない。これでどうだろうか」
「条件を呑もう」
ベルべは一刀の下に伏せられた。
濁りきった不真流で、正当な不真流に敵うはずがなかったのだ。
「ベルべよ、私が人里に出なかった理由が分かっただろう。人は必ず、自らより弱いものを虐げ、強いものを恐れる。ただそう見えるからという理由だけでだ。不真流は誤ることのない流派でなくてはならぬ。私とて、完全に不真流を扱えていたわけではなかったのだ」
そしてエンヴィラは、人々が混乱するなかで再び山奥に引きこもった。
以来、一度も人と会うことはなかったのだという。
久しぶりの短編。
こういう文体で書くのは初めてだったので、色々アドバイスくれると嬉しいです。