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人生、時々春  作者: 神山亮輔
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 片桐七恵は出版社の編集者として忙しい日々を送っていた。就職氷河期だったから就職活動は苦労した。メガバンク、総合商社や大手メーカー等待遇のよさそうな日系企業を中心に数多く受けたがことごとく落ちた。そしてどうせ受からないだろうと毛色を変えてエントリーしていた大手出版社は肩の力を抜いて受けに行ったのが功を奏したのかすんなりと内定をもらった。特にこだわりも無かったし縁のあった場所で頑張ればいいと考えていたから一つ内定を得た時点で就職活動を終えた。

 元々出版社にどうしても入りたかった訳ではないが、最初にそこまで期待していなかったのが却って良かったのか仕事は面白く忙しい毎日もけして苦ではなく今に至っている。

 昨年七恵は学生時代から付き合っていた片桐駿と結婚した。片桐はエリート街道まっしぐらというタイプだ。平日はほとんど毎日終電。。週末は次から次へとやって来る資格試験の勉強、と傍からみても気苦労が多いことは容易に想像できた。だが彼は愚痴をこぼすでもなく、かといって横柄になることもなくいつも淡々と日々を過ごしていた。そんな彼との交際は至って平凡なものだったが、彼となら安心して人生を歩める。そう感じていた。

 ただ一つ想定外だったのは七恵が自分の仕事を予想以上に面白く生き甲斐と感じていることだった。小さい頃から私の夢はお嫁さん、そしてお母さんになることだった。だから全国転勤が必須の銀行員を支える妻というポジションに収まるのが妥当だろうなあ、と考えていた。だけど、正直今は気持ちが揺らいでいる。駿にはその思いを結婚した後も、特に話してはいない。だが彼が思い描いていたよりも七恵が仕事に打ち込んでいることにはやはり驚きを持っている様子は見て取れた、らしい。たまに仕事はどんな感じなのか、とここ最近七恵に尋ねるようになってきた。以前は七恵の仕事の話など右から左に抜けているようだったのが、彼のほうから関心を寄せるようになった。彼は自分の気持ちを表すのが苦手だ。だけど喜怒哀楽が激しい人間よりも片桐のように穏やかだが芯は通った人間と居た方が私は安心だ。だから彼は面白い人間かと問われると答えに窮するが、一緒に人生を歩んで生きたい、と素直に思える存在だった。

 彼はこのところ、どうやら仕事ではない別の何かに熱中しているようだ。忙しい七恵も彼との付き合いは長いし彼の微妙な変化にはすぐ気づく。彼は口にこそ出さないが、おそらく仕事を変えようとしている。それは七恵の思いも汲んでのことなのではないか、と七恵は勝手に推測していた。駿は七恵が仕事を今後も続けて生きたい、と思っていることを悟って、全国転勤がなく東京で働き続けられるような仕事を恐らく探しているのだろう。お互い今まで忙しくて贅沢をする暇もなく、貯金は充分するくらいにあるし、彼がそうしたいなら待遇が少し下がろうと、世間の認知度が低い会社に移ろうと私は構わない。

 だけど、一言でも相談してくれたらいいのにな、とは思う。それは別に夫婦なんだから事前に相談するのが当然だ、といった頑固な気持ちではなく、二人の間に流れている微妙な距離感に一抹の寂しさを感じる、そんなところだ。とはいえ、互いに干渉しあわない関係を心地よく感じている自分もいることを自覚しているから、結局は好きにすれば構わない、と思っている。

 それに彼の働きぶりはありがたいけれど、いささか異常な位で、もう少し緩く人生を歩んでもいいのではないか、と思う自分もいた。肩肘張らず、程々の生活が実現できて、たまの休日に二人で美味しい珈琲を一緒に飲んで少しの会話ができればそれで充分だ。後は彼が思うように生きてくれればいい。

 七恵にとって大事なのは彼が彼らしくい続けてくれることだ。彼の不器用だけど人の痛みがわかる優しさだったり。人並みの承認欲求を正直に出してしまうところだったり。そんな人間らしい彼が彼らしくいられれば、私はそれで幸せだ。今日はたまには手の込んだ手料理でも用意しようかな。そう思って帰路に着いた。

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