10
引きの美学って言葉が彼にはふさわしい。言葉に無駄がない。客の話に熱心に耳を傾けながら適度に軌道修正を図り妥結を図る。営業は寡黙な人間の方が案外すんなり事が運ぶ。彼は思ったとおりできる。細かく説明せずとも要領を自分で掴む。そこにまるでずっといたかのように。すーっと溶け込む。彼の実力でもあり環境のお陰でもある。人は大概相性など合わない。だから協調性だとか、組織人としての振る舞い等を説いたところで逆効果に作用することのほうが圧倒的に多い。
ならばそもそも彼らのリズムを合わせる必要は無い。むしろ各人が持つリズムが崩れていないか、無理やり何かに合わせにいってないか定点観測を図ってやる。それがリーダーそして中間管理職たる朝倉の務めだ。だから片桐のやり方を尊重する。それが仮に俺とは違うやり口であっても異論は挟まない。何より大切なのが彼が毎日自分のリズムを崩すことなく働ける環境を用意してやることだ。
今あるリソースを最大限に活かす。至極真っ当なことなのにその本質を分かっていない人間は多い。昔こういうことを言う上司がいた。
「皆が自然に右側を歩いているのに、なぜだかお前は左側を進もうとする。そして誰かにぶつかる。右側にひょいと移れば良いものをなぜお前は頑なに左側を歩こうとするのか」
違う。俺は頑なに左側を歩いている、なんて毛頭思っていない。足が自然に向く先に実を委ねている。ただそれだけの話だ。そして彼には右側がマジョリティだと見えている。それだけの話だ。彼はきっと想像もつかないのだろう。人には皆自分のリズムがあり、それが無い、あるいは殺していることにすら気づかない人間のほうがよっぽど、使えないということを。
片桐は分かりやすい。確たる自分がありながら、それを崩すことなく、与えられた場所にすっと溶け込む。差し出がましい振る舞いをすることもなく、かといって他人の顔色を伺いながら動くでもなく自分のなすべきことを淡々となす。程々に結果を出し続けることこそが重要だ。彼のリズムさえ守ってやれば彼は大きな戦力になる。そう確信した。
余計な干渉はしない。必要最低限の彼の人として消さずにはいられない承認欲求を満たしながら、少しの違和感も見逃さぬように目を配る。よくチームの融和を図るには雑談が重要などと的外れなことを説く輩がいるが、そんなものは虚構だ。真にチームの力を高めるには利己的な人間を利己的なままでいさせる。それだけだ。無理をしても長続きなどしない。程々とはいえ、それなりに緊張を強いられる業務にだけその背伸びを遣ってくれれば充分だ。後は環境に適応しようと背伸びをする必要は無い。お前はお前らしくそこにいてくれればいい。大丈夫、ここにいる人間は余計な干渉などしないし、他者をごく普通に尊重できる。
だからただ漂う。それで充分だ。
昔からいただろ。少し変わった奴だけど誰にも苛められることもなくそれなりに立ち回る奴。あんな感じだ。多少利己的で自由だけど、それをなぜか咎めさせない空気を纏った人間。ここはそんな人間の集まりだ。そしてそれでも程々に結果を出し続けられるのは心得ているからだ。チームの力、なんてそんな甘美で嘘っぱちな言葉じゃなく、自己で責任を持ちそれなりの結果を運んでくることこそが組織に本当に求められていることだと。だから個の力がそれなりに発揮される土壌を常に維持してやる。押し付けがましくなく。そっと。それが誰かの意図であるものではないかのように。それが大切だ。
俺はここが好きだ。だから自分のために守る。共に働く彼らのリズムが狂うことなく働き続けられるように。