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人生、時々春  作者: 神山亮輔
10/11

 異常なまでに白を強調した院内。ゆったりとしたソファ。片桐葵は今日も朝から晩まで心療内科で診察を繰り返す。心療内科を受診する患者達には様々な人間がいる。画一された価値観の狭い世界で生きてきた葵にとって精神科医の日常は最初は戸惑いを覚えることも多かった。やっとこのところ、少しだけ慣れてきた。けど私が毎日していることといえば患者さんの話を『程々』に聞き、決まりきった処方箋を出し続けることだ。

 私が幼かった頃にイメージする精神科医というのは狂気じみ相手に対峙する重苦しいものだった。だが時代は変わって心療内科もこの頃随分身近なものになった。訪れる患者さんはごく普通の人達ばかりだ。ごく普通で少しだけ不器用だったり繊細だったりする。それだけだ。患者さんが本当に欲しているのはきっと治療などではない。自分を疑いなく肯定してくれる誰かの存在だ。孤独、愛への渇望、そんな感情がこの狭い診察室には淀み溢れている。

 世の中は残酷だ。むしろ私を中心に世界を回っている位の傲慢さが無ければ普通に生きてなんかいけない、と思う。だから本来は少し位心を病んでいる状態のほうが健常だ、と私は思う。そんな人達に明らかに副作用で少なからず肝臓だったり内臓に負担を強いる抗鬱剤を平気で処方する。こんなんで良いんだろうか、と疑問に思う。だけど、それで少しでも救われるなら。それは私も知っている。精神科医には自身も心を病み、こうした心療内科や抗鬱剤や睡眠薬にお世話になった経緯がある者も少なくない。私もその中の一人だ。だから今の精神科医の治療のあり方をどうこう議論できるような資格は無い。

 定期的に通院している患者にはつい「最近は元気になってきましたか」と聞いてしまいそうになる。そして、そんな自分に驚く。かつては自分がそんな問いに苦しめられていたのに私は今自分が苦しめられた行為を無意識にしようとしまっている。元気であることが善き事とすれば、患者さんは自分が負の側にいる、と思ってしまう。だからけして「元気かどうか」を尋ねてはいけないのだ。だから「最近はどうですか」と曖昧な問いを投げる。その返事はけして明るいものではない。だけど皆が皆、口々に不調を訴える訳ではない。むしろ前回よりも少し何か成長があった証を示さねば、ととりつかれたかのように必死に「良くなったこと」を報告する方も多い。その度に葵は胸が苦しくなる。もっと、力を抜いていいんだよ。そう言いたくなる。それはそのまま自身への言葉だ。誰に命令されたわけでもないけど肩肘張らずにいられない者達は自分が思い描くあるべき姿にいつまで到達できず己に絶望し苦しくなる。そんな心の叫びに私はどうやって応えることができるのだろうか。私はいったい何をしているんだろう。月並みだけど無力感に苛まれる毎日だ。

 ここに来る人達にひとつだけ共通している、と思うことがある。それは共感性が高い、ということだ。その言葉だけをとれば、とても良いことに聞こえるが、必ずしもそうとは限らない。何かに共感してしまう、ということは赤の他人の苦しみだったり絶望だったり、そういった負の感情に寄り添ってしまうのだ。またマイノリティに属する人達が抱える悩みにも寄り添える。そういった優しき人達だ。だけど、それはそうではない側の人からすれば、余計なお世話だったり、結局他人のことに目を向けて自分の問題から目を逸らす卑怯な人間だ、と映るらしい。確かにそれも一理あるのかもしれない。だけど、どうしてかな。自分だけのためだけに生きられたら、世界はこんなに苦しくないのだ。むしろ自分のことだけを考えて生きる利己的な人間だらけであったほうが案外世界は平和を保てるのかもしれない。そんな風にすら思えてくる。

 だけど、生まれてしまった私達は不安で不安で誰かの存在を確かめることで自分の存在を確認する。だから誰かの感情に寄り添おうとする。ごく自然な成り行きだと思う。だから、他人の心の裡を想像し、悩み苦しむことは至って健全だ。

 それなのに、そんな当たり前の事が「余計なこと」「不要なこと」として成り立つ社会は不健全だ。残酷だ、と思う。余白の無い無駄の無い世界にはもう生きる意味などないのでは無いだろうか。だから私は悶々と考えすぎてしまう彼らを割り切って余計なことを考えず、まあいいや、と切り替えられるように薬の力で強制する。そんな治療が果たして本当に治療と言えるのか。私には確信が持てない。どうしたら本当にあなたがあなたらしく生きられるのか、本当は向き合いたい。だけど、そんなことをしようと思えば私の気が狂ってしまう。それもわかっている。どうしてだろう。私は結局、治すなんて偉そうなことを言っている私が一番の患者だ。私はそのことに気づいてしまった。

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