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人生、時々春  作者: 神山亮輔
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エピローグ

 人生には必ずいつか春が訪れる。その時をじっと待って、機が熟したときにはその春を存分に謳歌してやりなさい。そう言われた。

 それは気まぐれで入った占い師に言われた台詞だ。よく考えれば誰でもいえる台詞だがどうしても片桐駿の脳裏から離れないのだった。

 東亜住宅リースは不動産を一括管理しオーナーと入居希望者や入居希望法人とを仲介するリース会社だ。元々は私鉄の不動産部門が由来の事業会社である。新卒は採用しておらず、正社員の殆どが転職組だ。だからそれぞれ皆新卒で入社して別の企業を経験してからうちで働いている。つまり人生のリスタートを切った者が集う場所でもある。

 「片桐さん、よく世間で転職を繰り返す人は根性が足りないだ、とか信用できないとか言うじゃないですか。でもね、私思うんです。基本的に会社員なんて好きでやっている人はいないですよね。そう考えたら嫌だけど嫌なりに相性が合わなくちゃ無理ですよね。だって根本は嫌なんですもん。上司部下っていう主従関係があったり。人間そんなの本来は好きじゃないはずですからね。それにね一番最初に一歩目を踏み出した道が正しい道、いや自分にあった道というべきかな?なんて確率はそうそう高くないですよね。嫌々だけど食べていくには我慢できる範囲なのかそうじゃないのかってことなんですよ。それでその許容範囲というか尺度ってのは人によってそれぞれですよね。だから嫌だけど許容範囲の中ならその場所に留まれば良いし、許容範囲の外を行くならやめてしまえばいいんですよ」

「だいたい新卒一括採用なんて文化が今でも根強く残っているのが私には気持ち悪くて仕方ないですわ。初対面で会った人間を数回面接しただけで、いったいその人の何が分かるって言うんです?むしろそんな程度でこれから何十年も一緒に会社の経営をまわしてかなきゃならん奴の食い扶持を背負えるのが私はなんて豪快というか無責任というかそんな気がするんです。だからね、うちはこう考えているんですよ。合わないと思ったらすぐに辞めて頂いて結構。石の上にも三年?なにそれ?って感じですわ。だからお互いほどほどの責任感で働きましょ。だからね、大きな夢を抱えているならそれは会社の外で週末にでも実現してください。平日はちゃんと家族と夕食が取れる時間まで位までにきちんと現実的に働いてください。それなりに少し贅沢が出来る程度の給料は保証します。だけどもねそれが続くのは、この緩いけれども程々を維持してやろうという気概は根底にあるそんな紐帯によるものなんです。だから誰かが過剰に熱意を持ちすぎたり、逆に誰かが過剰に緩みすぎてもだめ。我々は程々を目指します。あっ、さっきから私っばっかり話してますね。でもね、あなたが現職を辞めてうちに来たい理由なんてどうでもいいですよ。とりあえず、ざっくばらんに話しましょう」

このおじいさん、というかきっと実は偉い人なのだろう。すこぶるいい加減に見えるが、意外に話していることは至極真っ当だ。

「僕はね昔から妄想するのが大好きでね。星新一とか知っているかな。あんな感じのSFというかね、そんな物語を週末にひたすら書いては孫に読んでもらって感想聞いて、それが楽しみなんですわ」

「片桐君は何か楽しみにしていることはあるのかい」

「そうですね、僕は脚本を書くのか好きです。普段上手く自分の想いだったりを口に出来ない分、架空の誰かに自分が思っている面倒な感情だったりなんなりを言ってもらうのが楽しいんです」

「ほう。そりゃまた面白いことをいうひとやな。口下手でもいいんやで。ぺちゃくちゃ喋る奴よりめっぽう人間臭くて面白いのう」

こんなやり取りを東京駅八重洲口からほぼ直結、徒歩三分程度。大都心の高層ビルの外が見える53階の会議室で交わしているのはなんだかとても奇妙だ。奇妙だけど悪くないかもしれない。この奇妙で愉快で、だけどもっともらしい名前をしたこの会社はまさに片桐が求めていた居場所そのものだ。

「んじゃ、これからよろしく頼みますぞ。くれぐれも程々にな!万事程々快調が一番じゃからのう」

そういっておじいさんは「ほなまたな」といって、会議室から去っていた。

するとさっきまで存在を無にしてた、いかにも根暗そうな青年が片桐に話しかけてきた。

「ということですので、片桐さんさえよろしければ来月からでも早速うちにきてください。一応あんな適当なこと言っていますけど、内実は普通の会社とさして変わりません。申し訳ないのですが他の候補者の方との兼ね合いもありまして明後日までにはお返事をいただけると助かります。あっ、そういえば名刺をお渡しするのを忘れていましたね。私人事部採用課の青葉俊平と申します。名刺にあります私の番号に連絡頂戴できると助かります。では本日はどうもお越しいただきありがとうございました。エレベーターまでご一緒させていただきますので、はい、では」

 そう言って、青葉と名乗る青年は少し頼りなく背中を丸めながら片桐を先導していった。

「あの、僕社長の言っていること結構真っ当で、実際うちの会社そんな感じでやっています。だから片桐さんのように王道というか立派な会社にお勤めの方が満足できるような会社かどうかわからないですけど、案外悪くない場所だと思っています。あっ、ここです。このエレベーターで一気に1階まで行けますので。では良いお返事をお待ちしております。本日はありがとうございました」

 青葉はそう言って丁寧にお辞儀をして片桐を見送った。悪くないかもしれないな。もしかしたら俺の春はこれからやってくるのかもしれない。

 片桐は東京大学経済学部を卒業後メガバンクの中でも最大手帝都銀行に入行し三年間新宿支店という大都心で働いた後、丸の内の法人営業部営業三課という主に大手化学メーカーを主要顧客とする部署に異動となった。彼の経歴は同期の中でも上位を争う出世レートだ。だが法人営業部に異動になってから三年が経ち、そろそろ異動の時期と思っていた頃、どうやら関西の法人営業部に行かされる、そんな噂を耳にするようになった。実際、社内での移動に関する噂はいい加減なものも多く、本当にその通りになるかは全く分からない。だが全国転勤が当然の銀行員総合職にとって地方とはいっても、おそらく地方中枢都市のいずれかだが、地方を一度経験するのは今後の出世にとっても重要だ。だけど、この三年間法人営業部でしてきた仕事は支店でのそれと内実殆ど変わらないと言っても過言ではない。対峙する顧客が大企業になりかわっただけで、保守に保守を重ねる姿勢の融資を通すための稟議書作成にひたすら時間を割く毎日だ。そこで得られたスキルなどこの行内以外では通用するまい。俺はこの会社でだけ少しだけ同期より評価されている。ただそれだけの人間だ。そう思うと途端に虚しくなった。

 元々東京生まれで温室育ちの俺には地方暮らしなど勤まるはずもない。ならばいっそのこと早いうちに見切りをつけて東京でそこそこの収入で良いから働ける場所を見つけるに越したことはない。そう思って今日はこの会議室にやってきた。さっきのじいさんの話が本当だとすれば、この会社こそ俺がいるべき場所だ。そう片桐は思った。よし、今すぐに電話をすれば必死すぎると思われるだろうから一晩置いて明日、あの青葉だっけ、あの冴えない青年に入社を希望する旨を伝えよう。

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