坑道
中学校は、すぐには動かなかった。
学校の裏に宮崎の車が止まっていても、その車に良太が乗り込んだところを誰も見ていないのだ。3‐A女子は、半ば脅され、柿崎のところに良太を連れて行っただけ。その先に黒塗りの車が止まっていたかどうかさえも見ていなかった。
「午後8時を待って、もし家にも学校にも帰らないようなら警察に連絡だ」
仮に宮崎の車に乗っていなかったとしても、夜遅くなって良太の消息が知れなかったら、行方不明者として警察に届けられる。
その間にも、先生たちは、手分けして中学校の中や周辺を捜した。そして、体育館の外の使われていない古い用具入れの扉が閉まっているのに気付いた。そこを開けると、中から出てきたのは、みどりだった。
「お前、いったいなにしてるんだ、こんなところで」
そう尋ねても、みどりは口をわずかに動かすだけで、何も話さない。先生は、紙と鉛筆を出した。
「話せないなら書け。お前が勝手に閉じこもったわけじゃないだろう。誰に閉じ込められたんだ」
だが、みどりの指は、紙の上で震えるだけで、一文字も書くことができなかった。
「何か、あったのかな」
慌ただしく動く先生たちの姿をみて、学校から出たところで譲吉が言う。
「なんか、楓が職員室に行ったみたいな話を聞いたけど」
と光吉。
「楓が?あいつ、ついに何かやったな。退学か?」
「義務教育に退学はねえだろ」
譲吉の言葉に正臣が突っ込む。
正臣が帰宅する。
「ただいまー」
「おかえりー」
「今日の夕飯何?」
正臣は、ダイニングキッチンを通り過ぎながら聞いた。家に帰れば、男子はまず腹ごしらえの準備だ。
「今日は生姜焼き」
「よっし!」
「あ、まさちゃん、泉君から電話があったわよ」
「剛志から?なんだろ」
「かけ直してくれって」
「分かった」
正臣は、学生服を普段着に着替えると、受話器を取った。
「・・・・あ、もしもし、三宅ですけど、剛志君いますか。・・・はい。・・・・おお、剛志、何?急に電話なんか。・・・・」
話の内容を聞いていた正臣の表情が変わる。
「分かった。俺も行く」
電話を切ると、
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「どこへ?」
「剛志がこっちに来るんだ」
「こんな夜遅く?」
「剛志の父ちゃんもいっしょだよ」
「何しに?」
「大事な用なんだ。少し遅くなるかも」
正臣はそう言うと、ジャンパーをもう一枚、それに懐中電灯を片手に、母親の質問を振り切って外に飛び出した。
集合場所は、正臣の家から自転車で飛ばして15分かかるコンビニの駐車場だった。譲吉、光吉もコンビニに到着する。
「来るのか、ホントに」
譲吉は半信半疑だ。
「でも、冗談であんな電話してこないだろ」
と光吉は、剛志の肩を持つ。
そのとき、車のヘッドライトが3人の姿を映し出した。
3人の目の前で車が止まると、中から剛志が出てきた。
「剛志」
「久しぶり」
光吉と正臣が声をかけると
「おう」
と、答える剛志。
剛志に続いて、剛志の父親が車から出てきた。
「監督」
光吉は思わず言った。
監督と呼ばれた剛志の父親は少し苦笑いした。
深く深呼吸すると、剛志の父親は話しだした。
「もう、俺は野球の監督じゃない。今は、妻の実家に半分居候の身だ。そんな男の言葉なのによく来てくれたな」
言葉の感じは弱弱しい。
「だって、剛志の親父さんですから」
「ありがとう。こんなことを警察や他の大人に言っても信じてはもらえないと思ったんだ。剛志の友情を心強く思うよ」
「でも、ほんとなんですか。良太が・・・・採掘場跡の穴に落ちたって」
「ああ」
「なぜ、そんなことが分かるんですか?」
「なぜか分かるんだ。その光景が見えるんだ。幻覚なんかじゃない。はっきりしたイメージだ。俺は、採掘場で働いていた。あの場所に記憶がある」
例の事故の生き残りは精神病院に送られた人もいる。剛志の父親は、訳の分からないことを言うのを止めて、口をつぐんだ。それは、自分自身を、家族を守るためだ。だから、警察や他の大人には言えなかった。それを曲げてでも、正臣たちになぜこんなことを言うのか。
「胸が苦しくなるような切迫感。目の前に崖から落ちそうになっている人がいるのに手を伸ばせない、そんな感じだ。早くしないと、その子の命もどうなるか分からない。信じてもらえなくてもいい。そこに行けば、ホントかどうか分かる」
最初の弱弱しい口調が、今は力強いものに変わっている。
病気の人間の語り口ではない。そう信じるのに足る響きがその言葉にはあった。
「急ぎましょう。手遅れになったら、剛志の親父さんの苦しみが一生ものになっちまう」
正臣が言うと、一同は車に乗り込んだ。
採掘場の跡地は地下に広がる。
彌絡石は、雨風熱さ寒さに強く、その美しい光沢はまるで防水加工を施したかのよう。ただ、衝撃に弱く、山の壁面を爆破したり、削ったりしたら、すぐにバラバラになってしまう。そのため、採掘は人の手で穴を掘りながら切りだすしか方法がなかった。それは、彌絡石の価値をさらに上げることになった。
採掘場への入り口は山のあちこちに十数カ所あった。彌絡石が大量に切り出されていった結果、彌絡山の地下には広大な空間が広がっていた。
その入り口の一か所から、正臣たちは地下空間に足を踏み入れた。コンビニで買った懐中電灯も含め、全部で五つの光が洞窟内を照らす。
入り口のところには、置いたまま忘れ去られたヘルメットが埃を被っている。剛志の父親が、当然のように埃を払って頭にかぶると、正臣たちもそれに倣った。
地下へと続く電動のトロッコは、今は錆だらけで動く気配はない。正臣たちは、トロッコのレールと平行に作られた下り階段を、懐中電灯で足元を照らしながら降りていく。
やがて、階段が終わり、左右に円形の坑道が伸びている。剛志の父親は迷わず左に向かった。左の道は、更に地下へと下る。
ホントにこの先に、良太が倒れているのか?
誰もが気にしながらも、それを聞くことがためらわれた。
一度は信じた剛志の父親のことを否定するのと同じだからだ。
やがて、道は行き止まりになった。そこにあったのは、岩ではなく水たまり。斜め下に向かう坑道を、満面の水が塞いでいた。
「水だ・・・」
正臣が言う。
「どうするんですか?この先は水があって先に進めない。道、間違ったんじゃないですか?」
譲吉が聞く。
「いや。ここで間違いない。この水の向こう側に空間があるはずなんだ」
そう言うと、剛志の父親は、ロープを出して自分の体に結び付けた。
「このロープを皆でつかんで離さないでくれ。その子を見つけたら、ロープを引っ張る。そしたら、全力で引き上げてほしいんだ」
「それで、俺達に声をかけたんですか?」
剛志の父親はうなづいた。
「その子を背負ったらどのくらいの重さになるか分からない。でも、お前たちの力が合わされば、引き上げるのは簡単だろう」
「親父・・・」
剛志が心配そうに話しかける。
「俺のこと、信じられるか?」
父親が剛志の目を見て言う。剛志は、うなづいた。
「じゃ、全力で引っ張れ。頼むぞ」
そう言うと、剛志の父親は、水たまりに飛び込んだ。正臣たちの掴むロープがするすると水の中に消えて行く。
「この先に空間があるって、一体そこに辿り着くまでどれくらいあるんだろ」
譲吉がつぶやく。
円形に巻いてあるロープの束が見る見る細くなっていく。
突然、ロープが吸い込まれるスピードが上がった。
「やば!」
「抑えろ!」
正臣と剛志の声で、四人が一斉にロープを強く掴む。
途端にロープが全く動かなくなった。
「・・・・動かなくなったぞ」
「水の向こうの空間についたのかな」
光吉と譲吉がつぶやく。
4人は、ロープが引っ張られるのを待った。
「引っぱられないな」
と剛志。
「引っぱってみるか」
4人で思い切り引く。ロープはびくともしない。
「あれ、どうしたんだ。こんなに重いはずないぞ」
4人が、力の限りロープを引くと、突然、抵抗がなくなり、4人は後ろにひっくり返った。
「なな、何だ?急に軽くなった」
ロープは下に落ちたまま止まったままだ。
正臣はそのロープを掴み、一人で引っ張ってみた。一人でもするする引ける。正臣がロープを引っ張り続けるとその先が見えた。
「・・・切れてる」