サンドバッグ
柿崎が楓とつるんで、みどりと良太にいやがらせしようとしているのはクラス中が分かっていた。そのことが、みどりと良太を更に孤立させていった。
「なあ、やっぱり、みどりはしゃべれないんじゃないか?」
休み時間に、つるんでいた3バカトリオの譲吉が言う。
「もしそうなら、俺達がやってること単なるいじめじゃん」
光吉が言う。
「マサはどう思う?」
譲吉が正臣に振る。
「どう、って・・・」
「みんな、このこと麻耶に気付かれないようにしてるじゃん。麻耶がこれに気づけば、すぐ先生にチクるし、問題になるって分かってるから、楓もうまく麻耶に気付かれないようにしてる」
「なんだよ。なんで麻耶が出てくるんだよ」
「麻耶に言った方がいいんじゃねえか?」
光吉が言う。
「麻耶は関係ねえだろ。そんなことしたら、今度は麻耶がいじめの対象になっちまうかもしれないだろ」
「俺さ、前聞いたことがあるんだ。剛志の親父のこと」
光吉がいう。
「剛志の親父?」
「剛志の親父って、昔採掘場にいたじゃん。で、例の事故で職がなくなって引っ越したってことになってるけど、ホントの理由は違うって」
「ホントの理由って何だよ」
「何も話さなくなったから」
「えっ?」
「例の事故で生き残った人たちは、事故直後、月がどうとか、彗星がどうとか、訳の分からないことばかりしゃべって大暴れしたらしいんだ。そのうちの何人かはそのまま精神病院送り。でも、剛志の親父は、途中で口をつぐんだ。そのかわり、訳の分からないことだけじゃなくて、全てのことを話さなくなっちまったんだ。それじゃ、仕事にも何にもならない。それで、剛志の母ちゃんの実家がある風応町に引っ越したって」
「・・・みどりも、精神病だっていうのか?」
「もし、そうなら、病気を抱えている上に、みんなから無視されるなんて、いくらなんでもかわいそすぎないか?」
「そう思うんだったら、麻耶なんかに頼らずに、お前が先生に言えよ」
正臣はイラついて言った。
できるはずない。
そんなことしたら、自分が楓と柿崎の標的にされるから。
でも、麻耶だったらこんなことは決して許さないだろう。
麻耶のことを思っているふりをしながら、結局自分も標的にされるのを恐れている。正臣は、そんな自分に対してもイラついていた。
その日、良太が気づくとみどりの姿が見えなかった。
クラスの皆は、良太がみどりのことを探していると知っていながら、誰も良太に話かけなかった。
皆、合唱練習に行く。みどりを探す良太の様子を見ていた柿崎も教室を出て行った。教室には、良太が一人。
先に合唱練習の教室に行ったのかな?
そう思い、教室から出ていこうとした良太を廊下の外で、2、3人の3‐A女子が手招きする。
「何?俺に用?」
女子たちがうなづく。
「ちょっと来て」
みどりのことを考えていた良太は、その一言を、勝手にみどりの話と脳内変換してしまった。いつも話しかけてこない女子が急に話しかけてくるなんて、怪しいと考える余裕はなかった。この女子たちが、みどりにちょっかいしたのなら、それを止めなくては。むしろ、その考えの方が先に立ち、良太は女子たちに大人しくついていった。
合唱の教室。
「あら、今日は林君いないの?休み?」
いつも皆勤賞の良太の姿が見えないので、麻耶が言う。
「教室にはいたよな」
譲吉が言う。
「でも、さっき教室の前通ったらだれもいなかったぜ」
3‐Bの男子が言う。
「何か用事でもできたのかな。良太がサボるなんて考えられない」
光吉が言う。
「その内来るんじゃねえの?」
3‐A男子のその一声で、合唱練習は始まった。
良太はその時、室伏湖の湖畔の国道から山道に入った車の中にいた。
道はどんどん狭まり、アスファルトの道が砂利道に変わる。やがて道は、鬱蒼とした木々に囲まれた袋小路で止まった。
良太は、がらの悪いチンピラ風の若者に車から引きずり出されると、さらに山林の奥に連れて行かれた。
人気の全くない、薄暗い林の中で、良太はチンピラ5人に囲まれていた。その中には、柿崎も混じっていた。
「女に誘われてのこのこついてくるなんて、大した奴じゃねえな」
リーダー格っぽい、ツンツン頭の痩せぎすの若者が言う。
「俺達の仲間に手を出すとどういうことなるか、体に刻み込んでやるぜ」
良太は背後から、蹴りを入れられ前につんのめった。
そこへ、下から蹴りが入る。
蹴りは良太の胸元に入り、呼吸困難に陥った。
良太が横に転がる。
フラフラな状態の良太を2人が両脇で支えて立ちあがらせると、リーダー格の男が、腹に一撃拳を食らわす。良太は、緊張と拳の一撃で、その場に嘔吐した。
「うえ、きたねえ。早いとこした方がいいな。柿崎、気失う前にやっていいよ」
「じゃ遠慮なく」
柿崎はニヤニヤ笑いながら、良太の顔面に拳を食らわした。
「今日は、柿崎のやつ、どうしたの?」
楓が、子分のように周りにいる女子に聞く。
「さっき、学校の裏の方にいたけど」
「裏?」
「そういえば、裏に変な車が止まってた。黒塗りの」
「黒塗り?もしかして、昔のシルビア?」
楓が聞き返す。
「そうかも」
「それって、宮崎さんの車じゃない?」
「宮崎さんて、ОBの?」
「ОBなんて柄じゃないよ。あいつら、ホントに危ないチンピラなんだから。警察だってマークしてる。なんで、そんな車が学校の裏にあったの?」
そこへ、3‐Aの女子が数人やってきた。
「この子たち、柿崎さんに言われて良太を学校の裏に連れて行ったって」
その女子から話を聞いた子分の一人が言う。
「柿崎・・・あいつ・・・。やばいよ絶対」
「どうするの、楓」
「とにかく、先生に言おう。良太を助けなくちゃ」
頭がふらふらする。
胃のあたりがムカムカするけど、吐けそうもない。
いつまで、続くんだろう。
最初の一撃の衝撃は、良太から反撃の意志を奪った。
顔の右半分が腫れているのが分かる。
右の瞼が内出血を起こしてのか目が開きづらい。
「あー。疲れた」
男達の攻撃がやむ。
「腕、折っとく?」
「いいよ、これだけやれば。このままここ置いとく?それとも、湖に浮かべるか?」
チンピラ達の衝動は、加減を知らない。
彼らの攻撃は、相手を屈服させるためのものはない。
ゲーム世代の彼らは、徹底的な攻撃で相手を死滅させることに夢中になっている。そんな彼らに、現実の世界での手加減などありえない。動かなくなった標的は、サンドバッグと同じ。物と化した標的は、彼らの欲望のはけ口にしかならない。
標的が助かる道は一つ。物にならないことだ。目をつぶることなく、噛みつく瞬間を待つこと。
ぼうっとした頭でも、チンピラ達の攻撃がやんだその一瞬を良太は逃さなかった。良太は走った。
「あっ、あの野郎!まだあんな元気が残っていやがったのか!」
チンピラ達が後を追う。
だが、日も暮れはじめた山林の中では、良太の姿をすぐに見失った。
どこをどう走ったのか覚えていない。だが、すぐに追いつかれると思ったチンピラ達は、追いすがってこなかった。
それでも、もし追いつかれたら、今度捕まったら、もうこの痛みに耐えられそうにない。その恐怖感が、良太を山の奥へと導いた。足元は暗く、ほぼ見えない。
どのくらい走っただろうか。
良太は突然足を滑らせ、窪みに落ちた。窪みの底には水が流れており、その流れで良太は下流に流された。最後に見たのは、その流れが黒々とした穴の中に落ち込んでいる所。良太の体は、その穴の暗闇に吸い込まれると、そのまま落下した。どこまでも、どこまでも。