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第三の性質

 寺壕先生が職員室に戻ると、机の上に電話のメモが置いてあった。

「おおとり・・・?」

 寺壕先生は、その名を見て首をかしげた。

 メモにある電話番号に電話をしてみる。

「はい、鳳です」

 若い女性の声がする。

「鵬台中学の寺壕と申しますが・・・」

 相手が少し噴き出した。

「寺壕君、ずいぶんあらたまった言い方するようになったのね」

 寺壕の顔がやっぱりという顔になる。

「由美か。鳳なんて知り合いお前以外いないから、もしかしたらと思ったけど、まさかな」

「どう?元気?」

「元気も何も・・・。どうしたんだ、急に俺に電話なんて。お前、今もJAXA(宇宙航空研究開発機構)にいるんだろ?宇宙開発のトップアスリートが、田舎の中学教師に何の用事かな?」

「嫌な言い方。寺壕君、まだあのことを根に持っているの?」

「別に根に持ってなんかいないよ」

「じゃあ、今度会ってくれる?」

「会う?いきなり電話してきて、俺に東京まで会いに来いって言うのか?」

「あたし、今、風応町にいるんだ」

「風応町に?実家に帰ってきたのか?」

「詳しいことは言えないけど、JAXAからの出向で、あたし、今風応町の公方くぼう天文台にいるの」

「出向?そんなのがあるのか?」

「うん、それで寺壕君の意見もぜひ聞きたくて」

「俺の意見?どういうことだ?」

「電話では言えない。会ってくれる?」

「遠回しなデートのお誘いだな」

「どうとでも。返答は?」

「今日は無理だが、明日なら夕方5時過ぎに時間作れる」

「そう。じゃあ、テルミンで6時。それでいい?」

「テルミンね。また渋い所を」

「あたしの趣味。じゃ、明日」

「ああ」

 

 翌日、寺壕は、テストの丸付けを早々に切り上げ、車で室伏湖畔を走る国道を飛ばした。

 テルミンは、室伏湖畔、呼水町と風応町の境にある喫茶店だ。

 店の名は、マスターが昔シンセサイザー奏者だったことに由来する。テルミンは、世界で初めて作られた電子楽器で、ロシアのレフ・セルゲーエヴィチ・テルミンが発明した。テルミンの特徴は、楽器に触れずに空間中の手の位置で、音の高さや音量を調節すること。第二次大戦後、テルミンはシンセサイザーの普及により人々から忘れ去られていったが、奏者は数少ないものの、テルミンは現存する。マスターは、そんなテルミンに追想の念を駆りたてられ、電子音楽の道を切り開いたテルミンに敬意を表して店にこの名前を付けたのだ。

 テルミンの名に、そんな深いいわれがあるなんてこと露にも思わない寺壕や由美は高校時代、街から自転車をかっ飛ばしてこの喫茶店に通いつめた。

 その理由は、マスターの音楽趣味の幅の広さ。ここに来ると、ラジオやテレビでは決して聞けないような音楽が聞けた。分からないながらも、マスターの選曲によるBGMを聞きながら、コーヒーをすするのが、ちょっと背伸びしようとする高校生たちを大人びた気にさせてくれた。

 何年かぶりでその扉を開くと、ジャジーなメロディが耳に入った。

「いらっしゃい」

 マスターに声をかけられ、寺壕はこくりと頭を下げた。

 店内には5、6人お客さんがいたが、由美は湖畔が見える方の席に座っていた。

 片手をあげて、小指から順に指を折るしぐさをみせる。

 由美の癖だ。

 寺壕は、由美と向き合うようにテーブルに着いた。

 寺壕はブレンドを注文した。

「アメリカンじゃないの?」

「アメリカンは薄くてね。眠気覚ましにならないんだ」

 由美の問いに寺壕は苦笑いしながら答えた。

「相変わらず夜型なのね」

「教師の仕事は夕方からだ。どうしたって夜型になっちまう」

「ふうん」

「そんなことより、いつこっちに戻ってきたんだ?」

「2か月・・・いえ3か月前かな」

「出向って、お前なんかへまでもしたのか?JAXAに左遷があるなんて聞いたことねえぞ」

「なんで、左遷て決めつけるのよ」

「だって、こんな田舎の天文台に来るなんて、それ以外考えられないだろ」

「寺壕君、公方天文台がどんな天文台か知ってる?」

「日本最大の光学望遠鏡がある天文台だ。だが、どんなにでかくても、所詮光を観測するに過ぎない。天体を観測するなら、臼田か野辺山の電波望遠鏡を使えばいい。左遷でなければ、なぜ、JAXAがそんなところに、エリートを送り込む?」

 言いながら、寺壕は何かに気付いた。

「・・・電波望遠鏡では観測できないものが・・・」

 由美がうなづく。

「・・・スタードロップ彗星か」

 由美が再びうなづく。

「オフレコよ。スタードロップの存在に最初に気付いたのはあたしなの」

「何?」

「宇宙探査機みょうじょうのことを?」

「日本初の太陽系外惑星の探査機だ。何年か前に天王星を通り過ぎたという話を聞いた」

「今は海王星まで10億キロを切ったわ。寺壕君なら知っていると思うけど、みょうじょうは宇宙空間に電磁波を放射して、その計測値から宇宙の形を明らかにする目的で打ち上げられた探査機。そのみょうじょうが、3か月前、電磁波の異常数値を送ってきたの」

「異常数値?」

「海王星の近くに、電磁波を放射しても何も計測できない計測値ゼロの空間があると」

「計測値ゼロ?電磁波の波はそこに何かあれば反射するし、なければ宇宙空間を遠ざかるだけだ。計測値ゼロはあり得ない。あり得るとすれば、計測値をゼロにする何かがそこにあると言うことだ」

「そう。それはつまり、電磁波を飲みこむ空間があるってこと」

 由美の言葉に、寺壕は一瞬考えをめぐらした。

「・・・いや、太陽系の中でそれはあり得ないだろ。もしあるとすればそれは・・・」

「ブラックホール」

「そうだ。だが、ブラックホールだとすれば、太陽の何十倍、何百倍もの質量の惑星が、太陽系内にもう一つ存在することになる。とても考えられない」

「でもその数値が誤りでなければ、電磁波ゼロ空間は間違いなく存在する。しかもその空間は、すごいスピードで移動していたの」

「移動?」

「電波望遠鏡でその空間を観測しようとしたけどだめだった。わたしは、電磁波で計測できない未知の天体が太陽系に入ってきた可能性を上に伝えたの。でも、そんな大胆な仮説は公にできないと完全否定された」

「それが、左遷の理由か」

「話はこれからよ。わたしは、その空間の移動ルートをみょうじょうの情報から割り出した。移動スピードから算出して、1ヶ月後には天王星近くに差し掛かる。そして、1ヶ月後、電磁波ゼロの空間の移動ルート上に突然現れたのが、スタードロップ彗星だったの」

「スタードロップが発見された時、すでに光学望遠鏡でも観測できる明るさだった。電磁波を計測できないスタードロップ彗星を電波望遠鏡で観測することは不可能。それで、公方天文台に?」

「スタードロップ彗星の正体の解明。それが、わたしがJAXAから受けた特命なの」

「で、俺にスタードロップの正体についての考察を聞きに来たと」

 由美はゆっくりうなづいた。

「答えはもう出ているじゃないか」

「答えは出ている?」

「光は電磁波の一種。とすれば、電磁波がゼロなら光もゼロ。スタードロップを見つけることは不可能だったはずだ。にもかかわらず、スタードロップは、俺達の前に姿を現した。今までの理論からすれば、あり得ないことが起こったってことだ。これを説明できるのは・・・」

「第三の性質理論」

 うなづく寺壕。

「電磁波は、波の性質により真空の宇宙空間を飛び、粒子の性質により物質として我々の目の前にその姿を現す。電磁波は波長により紫外線やX線、光などに分けられるが、波長だけでなく、波でも粒子でもない第三の性質により電磁波の種類が分けられるという理論だ。第三の性質があるかないか。それでその特性が決められる。この理論ならば、電磁波ゼロでも、光だけが第三の性質を有してるとすると観測できても不思議じゃない」

「でも、寺壕君。今の理論では、電磁波に第三の性質があることは立証されていない」

「第三の性質は、それ単体では現れない。媒体を介して現れるものだからだ」

「媒体って何?宇宙空間を満たしているとされた物質、エーテルはアインシュタインによって否定されたわ」

「物理哲学の分野では、エーテルは完全否定されているわけじゃないぜ。もっとも、俺はエーテル信奉者ではないけどね」

 その時、マスターがコーヒーを運んできた。

「昔と変わらないね」

 マスターが、笑みを浮かべて言う。

「えっ?」

 2人が同時に言う。

「お互いに信じていることを語ると熱くなるってことさ」

 マスターが引き揚げると、寺壕と由美はお互いの顔を見合った。

「・・・あなたのその熱さが、学会の逆鱗に触れた」

 由美が言う。

「過去の理論は、この世界を構築するルールのほんの一部を解き明かしたに過ぎない。それですべてが解決されたと思ったら大間違いだ。宇宙の真実は、まだ全てが語り尽くされたわけじゃない。それを夢物語と頭ごなしに否定するなら、それこそ欺瞞だと俺は言いたいね」

 由美は、笑顔になった。

「あいかわらずの口調ね。・・・寺壕君、あのとき教授側についたあたしのことをもっと恨んでいるかと思った」

「恨む?何を恨む必要がある?教授側についたのは、由美の信念があってのことだろ?俺がどうこう言うことじゃない」

「そう。あの時は、それがあたしの信念だった。でも、宇宙の神秘に触れれば触れるほど、その信念が揺らぐ。どっちが正しいことか迷う。今だって、意見を聞かせてと言いながら、寺壕君の話を全部受け入れられていない。でも、スタードロップ彗星の謎に突き当たった時に、真っ先に思いついたのは、あたしも第三の性質理論だったの」

「ほう、気が合うねえ」

「これが、宇宙のかなたで起こった事なら、新しい理論を議論すれば済むことだけど、今現実に太陽系内でそれが起こっている。しかも、それが地球に近付いていると考えると・・・」

「ハレー彗星の騒ぎと同じだ。1986年にハレーすい星が地球に接近した時、地球は滅亡するという噂がことさらに広がった。だが、現実は何ごとも起らなかった。宇宙は、そんなにドラマチックなことばかり起こしはしない。そういうもんさ」

「そうよね。・・・そういうもんよね」

 由美はうなづくと、コーヒーをすすった。

 寺壕もコーヒーをすする。

「まあ、そんなに仕事に夢中になるなって。たまには息抜きしないと、あっという間にオールドミスだぜ」

「オールドミスなんて、いつの言葉?もう30年前に死語になっているわよ」

「まあ、俺は懐古主義者だからな。1970年代に生まれていたらと思うよ」

「そしたら、学生運動の先頭に立っていたでしょうね」

「そうだな。今のこの安定した生活はなかったかもしれない。そう考えると、やっぱり、生まれるべくしてこの時代に生きているんだな」

「そうそう」

「・・・由美、少し痩せた?」

「えっ?」

「俺は高校時代のぽっちゃり由美が好きだったんだけど、今も結構いい線いってるぜ。最近のツンデレ女子っぽい」

「突然、言葉が最近の言葉になるのね」

「時代を行き来する男だからね」

 由美は笑った

「・・・・ほんとはね」

「うん?」

「・・・・ううん。何でもない」

「スタードロップ彗星は、ウチの天体部が文化祭の研究発表で取り上げるんだ。よかったら今度、天体部の連中に、スタードロップ彗星を望遠鏡で見させてくれないか?」

「分かった。今度所長さんに話しておく」

 2人は、それから30分くらいたわいのない話をして、熱い議論の熱を冷ました。

 寺壕が精算を済まして、2人ともテルミンから出てくる。

「あたしが誘ったのに悪いわね」

「高校の時と違って、金は多少あるからね。久しぶりに会ったガールフレンドに割り勘させるほど野暮じゃないぜ」

「大人になったわね」

「いつまでもガキのままじゃいられねえよ。呼水町の実家に帰るのか?」

「ううん。風応町にアパートを借りた」

「どうして?車なら十分間に合う距離じゃねえか」

「あたしの仕事の内容が内容だから、一人暮らしの方が都合がいいの。寺壕君、今日の話はオフレコね」

「言われるまでもないよ」

 由美は笑うと自分の車に乗り込もうとした。

「由美」

 車に乗ろうとした由美の動きが止まる。

「スタードロップ観測のために公方天文台に来たのは正解だ。これからは、彗星の光の強さとスピードに注意しろ。天体部の一年が言っていた。スタードロップには宇宙人が乗っているって」

「だいたんな仮説ね」

「だいたんな仮説が実は真実ということもある。俺の意見は以上だ」

「ありがとう。参考にするわ」

「あとそれから」

 寺壕が、もう一度呼び止める。

 由美は顔を上げた。

「信念が揺らいで、何を信じたらいいか分からなくなったらいつでも俺を呼べ。その信念を俺がひっくり返してやるから」

 由美は笑った。

「逆でしょ。あたしに喧嘩売る気?」

「さあな。いいか、一人で抱えるなよ」

「分かった」

 由美は笑顔のまま、車に乗り込んだ。

 2台の車は、呼水町と風応町、それぞれ反対の方向に走り去っていった。

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