手のひらの五重の塔
とんでもない美少女が転校してきたという噂は、あっという間に学校中に伝わり、休み時間になると、他のクラスの生徒たちが正臣たちのクラス3‐Aに殺到した。
みどりは、全校の注目の的にはなったが、誰も声をかけようとするものはいなかった。
いや、かけようとしなかったのではなく、かけられなかったというのが正しい。
一生の間に巡り合えるかどうかわからないスターのオーラを放つ美少女。都会から離れた田舎の中学生たちには、そんなに気軽に声をかけられるほどの度量はなかった。
それでも、2、3日たつと、周りの女子が、教科書の進み具合を教えたり、教室を移動する教科でみどりを誘導してあげたりするようになった。男子はあいかわらず、みどりを遠目に見るだけで、声をかけようとする者はいなかった。
3バカトリオもそんな男子の一部だった。
いつの時代、どこの中学にも、必ず問題児というのはいる。
鵬中もご多分に漏れず、問題児がいた。
しかも、女子だったからなお始末に悪い。
養生楓。
親は、もともと呼水町でも3本の指に入るほどの土建屋をしていたが、不景気でつぶれ、今は何をやっているかよく分からない。それなのに羽振りがよく、暴力団とつながっているという噂も聞く。そんな親だから、娘が多少のやんちゃをしても、教師もPTAも何も文句を言わないまま中学に上がってきた。
いつも、2、3人子分のような女子を従え、腕っ節の強いガードマンみたいな男子が彼女について回っていた。
生徒たちは、彼女に睨まれないよう、常にアンテナを張り巡らしていた。だが、みどりにそんなこと分かるわけなく、そんな状況で、美少女の噂を聞いた楓がクラスに乗り込んできた。
「榊原みどりって、どの子?」
アンテナの感度の高い子はいち早く、みどりの周りから離れる。誰に教えられるでもなく、みどりの放つオーラに気付いた楓は引き寄せられるように近づいた。
「あなた、榊原みどり?」
みどりは、楓の目をじっと見ていたが、ゆっくりとうなづいた。
「どこから来たの?」
みどりの口が開きかけて止まる。
楓は、返答を待ったが、声を発しないことにイラついてきた。
「なんで答えないの?あんた唖?」
楓のイラつきは、周辺の空気を緊張させた。
「その子は、話すことができないの」
そう言った途端、楓の攻撃目標が自分になる。それを恐れて、誰もその一言を言いだせずにいた。
次の一言で、彼女は楓にこてんぱんにやられる。
誰もがそう思った。
だが、楓はみどりの目をじっと見たまま、何も言葉を発しなかった。ただ、みどりを睨みつけたままじっと立っていた。
楓の従者たちが、一言も発しない楓を訝しんで、互いの顔を見る。
腕っ節のいい男子が、突然、みどりの机にドンと太い腕を突いた。何も言わない楓に代わって、みどりに何か言わせようと脅しをかけたのだ。
みどりの眼が、その男子の方を向く。その目に怯えが見える。
やばい、今度こそ楓にやられるぞ。
正臣がそう思った時、みどりの斜め後ろの席に座っていた男子が突然立ち上がり、みどりの机の上に突いた男子の腕を片手で払った。
林良太。
正臣と同じ天体部の変わり者。
男子は不意打ちを食らい、体勢を崩しかけたが、持ち直しすと、良太の襟首を掴みあげた。
「その子は、言葉をしゃべれない。原因不明なんだ。そんな子にちょっかい出すんじゃねえよ」
良太は、襟首をつかんだ男にそう言いながら、みどりを睨んだままの楓を諭していた。
良太の言葉が金縛りを解いたかのように、楓の体から緊張が抜ける。
楓は、良太の襟首を掴んだ男子の手を叩き、良太を解放させた。
「この子が言葉をしゃべれない?ハッ、そんなこと、あんた本気で信じてるの?」
楓は良太にそう言い放つと、教室を後にした。
良太は、楓の言葉を確認するかのように、みどりを見た。
みどりも、良太を見ていたが、何も言葉は出なかった。
次の休み時間。
突然、麻耶が、3‐Aの教室に入ってきた。つかつかと良太の席に向かう。
「林君、大丈夫?宗十郎に殴られそうになったって聞いたけど」
宗十郎とは、楓についている男子の一人。良太の襟首を掴んだ男だ。
「大げさだな。殴られてなんかいねえよ、襟首つかまれただけだよ。なあ、良太」
正臣が、麻耶に引きつけられるように、良太の席まで歩いてくる。
「でも、襟首つかまれたんでしょ?三宅君は何もしなかったの?」
「え?」
「このクラスには3バカトリオがいるのに、仲間が危なくなった時何もしないの?」
「もしかして、今俺達のこと言った?」
麻耶の言葉に反応して、譲吉と光吉も寄ってくる。
「あーあ、こんなに威勢のいい男子がいながら、楓に立ち向かったのは林君だけなの?情けないな」
そう、麻耶は、楓にも一目置かれた存在。表裏のない麻耶は、この学校で唯一楓に物申せる存在なのだ。
でも、麻耶はその楓のことだけでここに来たわけじゃない。同じ天体部の正臣には分かる。
麻耶は、楓のことに託けて良太に会いに来たかったのだ。
麻耶は、良太に恋心を抱いている。
良太は、小学校6年の終わりに都会から転校してきた。
都会から来たと言うだけで、田舎の小学生たちは良太を特別視したが、良太の方はそんなことに関係なく、みんなに気さくに話しかけ、小学校を卒業するころには、すっかりクラスの仲間と打ち解けていた。
でも、良太は時折、急に大人びた行動を取ることがある。今回の騒動と同じだ。自分から行動するタイプではないが、物事に行き詰った時、突然良太は動き出す。そして、問題を解決する糸口を見つけ出すのだ。
良太は最後まで面倒を見ない。でも、問題は解決され、良太はそのことを鼻にかけようとしない。まあ、麻耶でなくても、その大人びたカッコよさに魅了される女子がいても不思議ではない。
1年の時から、麻耶が良太に気があることは分かっていた。でも、2年になって自分も麻耶に好意を抱いていると自覚した時、正臣の思いは複雑なものになった。
麻耶はその想いを公にしたことはない。良太は、麻耶のことをどう思っているか分からないが、正臣も、麻耶も、誰もその想いを相手に伝えないままの不思議な三角関係がそこには存在していた。
麻耶は、みどりの方を見た。
みどりも麻耶の方を見ていた。
麻耶の表情が一瞬硬くなる。
麻耶は、みどりから視線を外し、正臣の方を見た。
麻耶の瞳は、正臣に聞いてきた。
『この子が、転校生?』
正臣は、うなづいた。
麻耶は、みどりに視線を戻した。
お得意の人懐こい笑顔が、麻耶に戻った。
「あたし、鳳麻耶。隣のクラスだけどよろしくね」
みどりは、口を開きかけたがやはり、声は出なかった。
麻耶は、机の上に置かれたみどりの手に自分の手を重ねた。
「何かを伝えるのは、言葉だけじゃないよ。ただ、口をあけているだけじゃ何も伝わらない。そんなときは、こうやって直接触ればいい。そうすれば、みんなあなたに気付くから」
その麻耶の手の上に、誰かが手を重ねた。
良太だった。
「お前、いいこと言うじゃん。俺もその考え方に乗るぜ」
麻耶は、良太の方を見て固まった。
出遅れた!
正臣も、あわてて良太の上に手を重ねる。
「俺も乗る」
麻耶に向かって名乗りを上げる正臣。
譲吉と光吉は、顔を見合って、正臣の手の上に自分たちの手を重ねた。
みどりの机の上に、手のひらの五重の塔ができた。
良太は、みどりの方を向くと言った。
「みんな、お前のことずっと見ている。もし、俺がお前のことに気付かなかった時は、俺の肩を掴めよ。そしたら、必ずお前に手を貸してやるから」
正臣は、そのセリフを言い放った良太を見る麻耶のさびしげな視線に気づいていた。
授業開始のベルが鳴る。
五重の塔の下の方から、自分の手をすっと抜くと、
「あなたの味方はこのクラスだけじゃないからね」
ぎこちない笑顔を残しながら、麻耶は教室を飛び出して行った。