最初の一滴
何であんなこと言っちまったんだろう。
良太は、理科室を飛び出して、しばらく歩いて行くうちにそう思った。
スタードロップ彗星の真実を知りながら、それを言いだす勇気がなかった。でも、もしそれを言っていたら、世界は混乱に陥らなかったかもしれない。失われた多くの命を救えたかもしれない。
それなのに、良太は何も言いだせなかった。
怖かったのだ。
もし、信じてもらえなかったら?
病気の烙印を押されてしまったら?
言いたくても言えない苦しみで、良太の心は引き裂かれる寸前だった。
でも、そんな自分の弱さが、多くの命を奪ってしまったんだ。
自分自身に向けるべき後悔と自責の念を、天体部の仲間たちにぶつけてどうする?
言え、言ってしまえ。
でも、誰に?
俺に、相手を信じさせることなんてできるのか?
ふと気付くと階段を駆け上がり、良太は誰もいない屋上に出ていた。
空を見上げると、大小2つの月が見える。
白銀に輝く球体の表面に、絵の具を流したように蠢く七色のスペクトル。
「まったく、あの七色のマーブル模様をじっと見ていると目が回ってくるな」
良太が振り向くと、寺壕先生が立っていた。
「俺も、良太に同感だ。あれがずっと、空に永遠に浮き続けると思うと発狂しそうになる。俺が考えたスタードロップ彗星の正体。教えようか」
「寺壕先生の考え?」
寺壕先生はうなづいた。
「スタードロップ彗星は彗星じゃない。宇宙を飛び回る宇宙の掃除屋だ。地球だってその気になれば、あっという間にスタードロップの餌食になってしまう。それなのに、なぜ大人しく月の隣に居座っている?良太に分かるか?」
「分かりません」
「この地球に、スタードロップの弱点になる何かが隠されている。スタードロップ彗星は、俺達人類が、愚かにもその弱点を自らさらけ出すのを待っているんだ。その時こそ、スタードロップの正体が判明する。どうだ先生の考え方は?」
「どうって・・・・」
「お前は正解を知っている。なのに、それを言い出せないでいる。先生は、まだ待たなくちゃだめか?」
どうしてもお前自身に自信が持てなくなったら、俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ。
寺壕先生は、あれから俺のことを信じ続けていてくれた。必ずスタードロップ彗星の正体を明かしてくれると、今も待ち続けているんだ。
そう思った瞬間、良太の心を覆っていた弱さの固まりがはじけ飛んだ。
「先生。これから俺が話す話は、みどりから聞いた話です」
「みどり?みどりはしゃべれるようになったのか?」
「いえ。しゃべれません」
「じゃあ、どうやって・・・」
「思考の波です。みどりは、音の波を使わず、思考の波を使って直接俺の脳に語りかけてきたんです」
「思考の波・・・」
「先生、これから俺が話すことを、どんなに信じられない話だったとしても、最後まで聞いて下さい」
良太は全てを話した。
音のない世界のこと、トーホム・エンザのこと、46億年前に地球で起こったこと、エンフォニウムペテラのこと、アブサイトミチヨライトのこと、数年前の地下水噴出事故の真相、そして、みどりが地球にやってきた真の理由を。
寺壕先生は、すべてを聞き終わるまで一言も発しなかった。
「良太、お前、それだけのことをずっと一人で抱えてきたのか」
良太は、ぐっと口をつぐんだ。
「ガリレオは真実を唱え、宗教裁判で終身刑を受けた。やり方を誤れば、真実は闇に葬られる。お前が俺を信じて、話してくれたように、俺はお前のことを信じる。だが、これは最初の一滴だ。この真実の輪を広げるためには、お前を信じてくれる人たちを増やさなくちゃだめだ。その人たちの声が大波を起こし、真実を光の前にさらけ出すんだ。真実を伝える人間を誤らないことだ。・・・・次にこの話を伝える奴は決まっているのか?」
その人物は、良太の脳裏にすぐ浮かんだ。
「決まっています」
「もう一度、その物質の名前はなんて言った?」
正臣は、良太に聞き返した。
「アブサイトミチヨライトだ」
良太が答える。
良太が決めていた次に真実を伝える人物は正臣だった。
正臣の心遣いを常に裏切り続けていた良太にとって、本当は一番最初に真実を伝えたい人物だった。
「今の俺の話、信じてもらえるか?」
「良太、悪いけど、今の話、もう一度話してもらいたい。その話を聞いてもらいたい人が、いや、絶対聞かなくちゃならない人がいるんだ」
翌日、良太は、佐藤先生、麻耶、光吉、譲吉を前に、正臣に話した話を伝えた。
そして、麻耶達は、森村の話を、水のドームの話を良太と寺壕先生に話した。
「・・・佐藤先生の指輪がアブサイトミチヨライト・・・」
良太は、佐藤先生の左手に光る指輪を見た。
「アブサイトミチヨライトは、佐藤先生の旦那さんが、その悪用を避けるために隠し続けたもの。その名前を知っている人はわたしたち以外にいないはず。それを知っていたと言うことは、初めからその存在を知っていたとしか言えない」
麻耶が言う。
「じゃあ、みどりのことも」
「信じるしかないわ」
最初の一滴は小さな波を起こした。
「俺達はこれから、どうする?」
光吉が聞く。
「仲間を、俺達を信用してくれる仲間を集めるんだ。絶望に対抗できるのは、お互いの信頼しかない」
正臣が言う。
「時間は少ないぞ。リゾートホテル建設に向けた動きはとっくの昔に再開している」
譲吉が言う。
「そういえば、この間、採掘場の水抜き作業の機材が、また運び込まれているのを見たわ」
麻耶が言う。
「水抜き作業が始まって、再びアブサイトミチヨライトが掘り出される前にできるだけ仲間を集めるんだ」
良太が言う。
「でも、どんなに俺達が仲間を集めたって、世界中の人たちを仲間にできるわけじゃない。その人たちが絶望に押しつぶされてしまったら、世界中の人たちが再び立ち上がる気力を無くしてしまったらどうする」
譲吉が問う。
「世界中に呼びかけるんだ。これからどんなことが起ころうと、絶望してはいけない、決して諦めてはならないとな」
突然、寺壕先生が割り込んできた。
「でも先生、そんなこと、どうやって・・・」
「お前たちは、この話を信じてくれる仲間を集めることに集中しろ。時間は少ない。有効に使わないとな」
佐藤先生は、一人音楽室でピアノに向かっていた。
誰もいない音楽室。
佐藤先生は、鍵盤に目を落とすと弾きはじめた。
誰もいない音楽室に、大地讃頌の伴奏が響き渡る。
廊下を歩いていた麻耶の耳に、その伴奏の音が漏れ聞こえてきた。
麻耶は、音楽室の扉を開けた。
佐藤先生はピアノの伴奏を終えた。そして、麻耶に初めて気づいた。
「鳳さん、いつからそこにいたの?」
「さっきです」
「いやね。人が入ってきたのに気付かないなんて」
麻耶はピアノのところまで歩いて行くと言った。
「やっぱり、先生の伴奏ってやさしい。歌がなくても歌っているみたいに聞こえる」
佐藤先生は笑った。
「・・・・こんな大変な時なのに、先生には何もできない。こんな風に一人でみんなのことが成功するように祈るだけ。・・・・鳳さん」
「はい」
「大地讃頌を皆さんの前で披露できる日は来ますね?」
「来ます。先生の伴奏で歌える日は必ず来ます」
麻耶は、ピアノの天板に置いてある古ぼけたノートに気付いた。
「先生、このノートは?」
「それは幹夫さんのノート。みんなの話を聞いてて思い出したの。幹夫さんが大好きだった詩を」
「詩?」
佐藤先生はノートを開いた。
そこには、しっかりした文字で詩がつづられていた。
「これは、佐藤先生の旦那さんが?」
佐藤先生は首を横に振った。
「それは、幹夫さんの字じゃないわ。誰に書いてもらったものか幹夫さんは最後まで教えてくれなかった」
「読んでいいですか?」
佐藤先生はうなづいた。
麻耶は、ノートに書かれた文字を目で追った。
佐藤幹夫が、その生涯で何度も何度も読み上げたその詩の言葉を。
麻耶は顔を上げた。
「・・・・先生、この詩、みんなにも教えてあげていいですか?なんだか、あたしたちのことを応援してくれているみたい」
佐藤先生は、笑顔でそれに応えた。
諸田は、パソコンを前にして考え込んでいた。
その表情を、じっと見ている寺壕がいる。
「・・・・・92チャンもびっくりだな」
「流してもらえるか?」
「俺のブログが炎上しちまう。情報を拡散させたら、一気に数十億人に知れ渡る。炎上も炎上、大火災だ」
「お前は、この話、信じられるか?」
「分からん。だが、その話にはところどころ間違いない事実が入っている。空想や妄想だと否定することは俺にはできんな」
「じゃあ、協力してくれないか」
「ネットの世界は、事実と虚構が入り混じっている。もし、本当に世界中の人間にこの話を信じさせたいのなら、ネットだけじゃだめだ。虚構があり得ないものがそれを発信しなくちゃ」
「虚構がありないものって何だ?」
「生身の人間だよ。生身の人間の言葉だ」
「でも、どうやって?」
「テレビの生放送をジャックするんだな。警察に捕まる前に、全国放送させる」
「無茶言うな」
「じゃ、俺も無理だ。俺のネットワークがぶっ壊れるだけだからな」
「テレビの生放送なんてそんなの無理だ・・・・いや、待て」
「どうした?」
「もし、それができるなら、ネットに流してもらえるんだな」
「ああ、約束するよ」
「そんなの無理に決まっているじゃない」
開口一番、由美は電話口で叫んだ。
寺壕は由美に、スピーチの中で、スタードロップ彗星の脅威はまだ終わっていないことを伝えるよう頼んだのだ。
「安全宣言のためのスピーチなのよ。そこで、そんなことを言ったら・・・」
「JAXAを首になる」
「当たり前よ。それだけじゃすまないわ」
「だが、そこで言わなければ、世界中の人たちは何も知らないまま、スタードロップの脅威にさらされる。スタードロップが狙っているのは沈黙じゃない。絶望だ。ただ、沈黙するだけなら、また声を発することができる。だが、絶望は声を奪う。絶望に押しつぶされたら、二度と声は戻らない。希望を失わないこと、声を発することを忘れないこと。それを世界中の人々に訴えなければ。時間はない。それを全世界に発信できるのは、由美、お前だけだ」
「無理よ。そんなこと言われたって・・・・」
「俺は今まで由美にいろいろ言ってきたが、最後は由美の考え方に任せてきた。由美が教授側についた時も、それは由美の信念だと思ってそれを覆そうとは思わなかった。だが、今回は違う。お前の考え方は間違っている。もし、世界がこれで滅んだら、お前の魂は永遠に救われなくなる。JAXAをクビなっても、NASAが、いや全世界がお前の敵になっても、俺は常にお前の味方だ。俺を信じろ」
「・・・・・」
しばらくの沈黙の後、由美は何も言わずに電話を切った。




