風中騒動
風中に到着すると、爽太が出迎えてくれた。
「皆さん、わざわざ風中まで来てくれてありがとう」
「香織さんは?」
麻耶が聞く。
「今会場のセッティング中」
そこで、爽太は楓に気付いた。
「・・・・もしかして、養生さん?」
爽太は、楓に声をかけた。
楓はぎこちなく笑ってうなづいた。
「驚いた。養生さんまで来てくれるなんて」
「今日のサプライズ。驚いてくれなかったらどうしようと思ってたんだ」
爽太の驚きぶりに、笑顔になる麻耶。
「養生さん、僕のこと覚えてる?」
「あ、天宮君よね。小学校の時に一緒に歌った」
「そうそう。よかった。覚えてくれてたんだ。忘れられていたらどうしようかと思った。今年は、合唱コンクールに出られるの?」
「うん」
「そうか。今まで、どうして合唱コンクールに・・・・。まあ、いいやそんなことは。じゃ、今年は、養生さんにとって最初で最後の合唱コンクールなんだね」
「そうなるかな」
「そうか。それなら、合唱コンクールで、絶対に養生さんの歌声を聞きたいな」
爽太は、楓に笑いかけた。
楓もその笑顔にぎこちなく笑い返した。
爽太たちが準備してくれたのは、体育館だった。
ステージ側に近い入口から、ステージ袖の用具置き場を兼ねた控室に入る。そこには、香織が待っていた。
「麻耶さん、わざわざ来てくれてありがとう。まさか呼水町の公会堂に変更になるなんて思っていなかったから、風中生の気持ちはすごく揺れているんだ。あたしたちだけで風中生を説得するのは難しいと思っていたの」
「じゃあ・・・」
「たとえ場所が牟誇崎台でなくなっても、あたしは合唱コンクールをやりたい。そう思っているのは、実行委員だけじゃないわ」
香織は、麻耶に真剣な表情で言った。
香織さんは、風中の鳳麻耶だな。
正臣は、いつも真剣で強気の発言をする香織を見てふとそう思った。
「轟たちは?」
爽太は、香織に聞いた。
「いないわ。今日のことは知られないようにしていたから」
「轟って?」
正臣が聞く。
「風中の札付きのワルなんだ。いつも、授業とか出ないくせにイベントの時に顔を出しては、めちゃくちゃにしてしまう。たしか、鵬中の不良グループとももめたことがあったな。どうしようもない奴なんだ。奴らに気付かれる前に始めてしまおう。最初に僕が概要を説明するから、そのあと自己紹介をしてくれる?そのあとは任せる」
「分かった」
麻耶は力強く答えた。
爽太は頷くと、一人ステージの壇上に上がった。
「皆さん、今日は合唱コンクール実行委員の呼び掛けに応えてくれてありがとうございます。生徒会の皆さんも協力していただいて、ありがとうございました。皆が楽しみにしている牟誇崎台の合唱コンクールの場所が、呼水町公会堂に変更になってしまいました。僕達にとっては、合唱コンクールは牟誇崎台でやってこそ意味がある。突然の変更で、学校も対応に苦慮していて、もしかすると今年の合唱コンクールは中止になってしまうかもしれない。この中には、牟誇崎台でやらないなら中止でもいいと思っている人もたくさんいると思います。でも、場所が変わっても歌うことには変わりはないんです。合唱コンクールは、何でもいがみ合っている呼水と風応が唯一同じ場所で行う大事なイベント。そう思っているのは、僕達だけじゃない。今日は、鵬中の人たちが来ています。紹介します」
爽太は、舞台そでに合図した。
楓を先頭に、ステージ上に出る。
演壇の前に立って一人一人自己紹介を済ませたあと、ステージの横に置かれた椅子に案内されて座る6人。
「この合唱コンクールに対する思いは、一人一人違うと思います。でも、自分だけの思いにとらわれることなく、鵬中の人たちの話に耳を傾けて下さい。お願います」
そう言うと、爽太は楓に演壇を開け渡した。
「こんなに大勢の風中生に集まってもらってすごく感激しています。呼水町の勝手な考えで場所が変更されてしまって、みんなもう、合唱コンクールのことなんかどうでもいいと思ってるんじゃないか、そう思っていました。でも、そんなことはなかった。こんなに大勢の生徒が、合唱コンクールのことをまだ考えていてくれた。まず、そのことに感謝します。わたしは、小さい頃から歌が好きでしたが、歌がもっと好きになったのは、小さいころ聞いた弥七と忍野の物語を聞いてからです。お互いを思いながら、戦争で引き裂かれた2人の物語。本当は、互いの手を握り、その暖かさをいつも隣で感じていたかったに違いありません。戦争という厚い壁がそれを許してくれなかった。でも、唯一、その想いを伝える方法があった。それが歌うこと。歌は、互いの想いを伝え会うのと同時に、天変地異から多くの人々の命を救った。歌って、何て強いんだろう。歌って、何てやさしいんだろう。歌って何て素晴らしいんだろう。そう感じてからずっと、そして今も、わたしは歌に魅了され続けています。わたしが合唱コンクールに参加するようになってから、鵬中は一度も風中に勝ったことはありません。勝ち負けだから、負ければ悔しいとも思いました。でも、風中の歌を聞いている時って、そんなこと全然感じないんです。耳から入った歌声で心をわしづかみにされている感じ。それは、歌の技術じゃないんだと思います。きっと、想いの強さなんです。わたしたちも、風中に負けない想いをみんなに届けたい。でも、それは、鵬中の生徒だけじゃだめなんです。風中の生徒がいるからこそ、想いを伝えようという気持ちが強くなれる。相手がいなければ、想いは伝わらないんです。合唱コンクールは、風中生がいなければ意味がありません。だから、ぜひ場所が変わってしまっても、今年も合唱コンクールに参加して下さい。お願いします」
麻耶は、壇上で頭を下げた。
後ろにいた正臣たちも立ち上がり、演壇の横に並んで一斉に頭を下げる。
生徒の一部から、拍手が鳴った。
その拍手も、しりすぼみに消えかける。
麻耶は、唇をかみしめて顔を伏せた。
風中生は、やっぱり呼水町の仕打ちを許してくれていないんだ。
麻耶が演壇を爽太に開け渡そうとしたその時、再び拍手が沸き起こった。その拍手は、波となって風中生全員に伝わり、体育館を震わした。
正臣たちは、顔を上げた。
その時、体育館の後ろの扉が、乱暴に開けられる音がして、拍手が一斉に止んだ。
柄の悪そうな、5、6人の男子がつかつかと入ってくる。
「何これ?何の集会?俺たち聞いてないけど」
先頭の男子が言いながら、列の中央に開いた通路をゆっくりとステージの方に歩いてくる。
そして、ステージ上の正臣たちに気付く。
「あんたら誰?ああ、その制服。鵬中じゃん。何?鵬中が俺達に謝りに来たんか?」
こいつが轟ってやつか。
正臣は思った。
鵬中の不良グループともめたことがあったって言ってたけど、謝りに来たというのはその時のことか?
「あれ、メネコじゃねえか?てめえ、なんでこんなとこいるんだよ!」
メネコ?メネコって誰だ?
突然、先頭の男、轟が、ステージ上に上がる。
それを止めようと轟の前に立ちふさがる爽太。
「なんだ、てめえ」
轟は有無を言わさず、爽太を殴った。後ろから来た取り巻きが、倒れた爽太を足蹴にする。
やば・・・。
何かしなくちゃと思いながらも緊張感で身体が動かず、次は自分か?の緊張感で正臣の後頭部は熱くなった。
轟は、演壇の麻耶を横目に見ながらその前を素通りし、正臣の方に歩いてくる。そして、正臣の隣にいた楓の前に止まって、上から下までねめ回した。
「何澄まして、そんなとこつっ立ってんだよ」
楓の眼光が鋭くなる。だが、ぐっと歯を食いしばっていた。
突然、轟が壇上から生徒の方に向かって振り向いた。
「おい、みんな、この女、ガキタを病院送りにしたグループの頭だぜ!なんで、みんなこんな奴の話聞いてんだよ!こいつらは俺達の敵だ!仲間を傷つけたハイエナ野郎だ!」
生徒達がざわつき始める。
楓の方を振り向く轟。
「ハハ、いいザマだな?こいつらに骨抜きにされたのか?鵬中のメネコも落ちたもんだな」
楓のこぶしが一瞬動いた。
それを、正臣の反対隣にいた譲吉が、楓の手を握って止めた。
「出てけよ!」
譲吉の声が響いた。
次の瞬間、轟のこぶしが譲吉の腹に入った。
譲吉が腹を抱えてうずくまる。
光吉が、轟にタックルする。
その瞬間、何かがプチッと切れ、正臣も轟に掴みかかった。
正臣と光吉に掴まれた轟の所に、取り巻きが駆けつける。
そのとき、ステージに飛び乗ってきた風中生が、轟の取り巻きたちをひきはがし始めた。
剛志だった。
剛志が飛び出したのに気付いた野球部員も、壇上に上がってくる。
ステージ上は、人が揉み合う混乱の渦と化した。
その混乱の中、爽太と香織は鵬中の女子たちをステージ上から舞台そでに避難させた。
「おい!何をしているんだ!」
風中の先生たちが、混乱の収拾を始めた。
剛志たち野球部員によって、正臣たちも、混乱の渦から舞台そでに避難する。
「こんなことになってごめんな」
剛志が3人にそう言った瞬間、轟が舞台そでに飛び込んできた。剛志が振り向いて、轟を押し返す。野球部員2人も轟の肩を掴んで、3人がかりでステージに引きずり出す。
「行こう。こっちだ」
爽太と香織は、正臣たちを体育館の裏口から、校門まで連れて行った。校門のところで、ようやく一息つく。
「まさかこんなことになるなんて、ホントに申し訳ない。今日は、このまま帰ってもらった方がいい。生徒たちも興奮状態だ。もう収めきれない」
轟に殴られた左ほおを赤くしながら、爽太が言う。
「天宮君、あたし・・・」
楓が、何か言いかける。
「養生さん、君が合唱コンクールに出てこれなかったのは・・・・」
楓の表情が、固まる。
爽太は、それ以上言わず、ポケットから英単語用の白紙のカードを出すと、それに何かを殴り書きして楓に渡した。
「鳳さん、申し訳ないが、僕は、先生にこの事態を説明しなくちゃ。あとはお願いします」
爽太は、そう言うと、踵を返した。
香織も頭を下げて爽太の後を追ったが、顔を上げた時、その目は楓を冷めた視線でとらえていた。
帰りの電車の中、6人の内で口を開く者は誰もいなかった。
「・・・・わたし、小学校の時、歌の教室に行ってたんだ」
誰に言うでもなく、楓がぼそっと呟いた。
「歌が大好きだったらから、一生懸命練習した。先生に褒められるのがうれしくて、時間の限り歌った。でも、その教室がある日突然閉まってしまったの。何の前触れもなかった。大好きだった先生にお別れも言えなかった。しばらくして、同じ教室に通っていた子に行き会った。その子はなぜかあたしに冷たくするの。あとで分かったんだけど、その教室は借金まみれの経営で、その取り立てが厳しくなって夜逃げしたんだって。その取り立てをしていたのは・・・・あたしんちだった」
ひとり言のように言うその言葉は、封印していた辛い思い出を絞り出すように綴られていった。
「歌を裏切った。そう思った。もう歌えない。あたしには歌う資格がない。そしたら、あたしには、何も残らなかった。歌が占めていたところにぽっかり穴が開いた。親の笠を着て、強そうなメンツと遊ぶことで、その穴を塞ごうとした。強そうな奴の後ろでただ見てるだけのあたしは、いつも寝そべってる猫みたいだからって雌の猫、メネコって呼ばれてた。見たくないことや、したくないことも、心の穴を塞ぐためならどうでもいいと思ってやってた。そんなことばかりしてたから・・・・ばちだよね」
「・・・・楓はいつも、周りを掻きまわして、ずっと楽しんでるみたいだったけど、ホントに楽しかった?楽しんでいるフリをしていただけじゃないの?」
麻耶の問いに楓は口をつぐむ。
「風中の子を傷つけた時に一緒にいたの?」
「・・・その時はいなかった」
「やっぱり・・・。ホントにやばいことは、楓なら止めるはずだもん。どうして、そのことを言わなかったの?」
「いつもあたしとつるんでいるグループがやったことだもん。あの男も、その場にあたしがいたと勘違いしてたみたいだったし。今さら何言ったって、信じてもらえない。そういう連中と付き合っていたのは事実。あたしも同罪」
麻耶は何かを言いかけたが、結局口にしなかった。
帰りの電車の中は重苦しい空気に覆われていた。




