白い転校生
「今年の合唱コンクールは絶対、大地讃頌で行く」
鳳麻耶は、気を荒くして言った。
「だめだって。何年間、風中にそれで負け続けたと思ってるんだよ」
九十九光吉が言う。
「負けたっていい。あたし、お姉ちゃんが合唱コンクールで大地讃頌歌ったのを見た時から決めていたの。あたしも絶対歌うって」
「お前の姉ちゃんが風中に勝ったの、いったい何年前だと思っているんだよ。他にだっていい曲いっぱいあるじゃん。佐藤先生だって言ってたろ?」
市瓦譲吉も光吉に加勢する。
「しかも、大地讃頌は風中の十八番だぜ?風中生徒はみんな空で歌えるって言うじゃん。なんで、あえてそんな不利な歌を選ぶワケ?」
「他の歌じゃだめなの。歌は勝ち負けじゃない。ねえ、そうでしょ遥果」
「う、うん」
三峰遥果は、麻耶の勢いに渋々うなづいた。
「なあ、マサはどう思う?」
光吉が三宅正臣に振る。
「他の曲って、何かいい曲あるのか、大地讃頌以外に?」
正臣が逆質問。
「そりゃ・・・」
光吉が口籠もる。
「他にこれというのがないんだったらいいんじゃないか?大地讃頌で」
麻耶の顔が輝く。
正臣を見る麻耶の瞳がウルウルしている。
それを知ってか知らずか、正臣は麻耶とは別の方を向いたままだ。
「じゃ、決まりね」
麻耶は、他の3人に満面の笑みで宣言した。
室伏湖は、面積23k㎡、周囲長25kmの東西に長い湖だ。北側を山林に、南を広大な森に囲われた湖で、形的には断層湖の特徴を有するが、この近辺に大きな断層はなく、また、火口湖や堰止湖のカテゴリーにも属さない、その成り立ちがいまだはっきりしない湖だ。
麻耶たちが通う鵬台中学、通称鵬中のある呼水町は、室伏湖の西、彌絡山の裾野に広がる。かつては良質な建築石材の採掘で栄えたが、採掘中に地下水が噴出する事故が起き採掘場は閉鎖。一時は5万人を超えた人口も今は3万人弱に減少した。
室伏湖の東には、入谷大地の北端にあたる風応町があり、地球上でもっとも空気が美しく、天体観測に適しているということで、「宇宙にもっとも近い町」を売りに人口を伸ばし、今は4万を超える。
人口、街の規模ともに風応町に逆転を許した呼水町は、何かと風応町に敵対心を燃やした。その風応町にあるのが、風誇中学。通称風中。呼水町民たちは、経済規模で風応町に追い付けないことが分かると、その想いを子供たちに向けた。
成績やスポーツなどで風中打倒を掲げ、子供たちの応援合戦を展開した。
その中でも異色なのが年1回の合唱コンクール。このときだけは、互いの街を出て、室伏湖の北側、湖に張り出した牟誇崎台と呼ばれる広大な見晴らし台に両町民が集まる。そして、両中学の各学年の熱唱を聞くのだ。合唱の野外コンサートだ。
何ごとにも敵対心を燃やす両町民が、なぜこの時だけは一緒の場所で歌を聞くのか。
それには、両町に伝わる逸話が深く関係している。
戦国時代、呼水の男と風応の女が恋仲になった。当時、呼水と風応は別の城主のもと、戦いに明け暮れる日々であった。そんな中、呼水の祈祷師の霊言で、呼水の男、弥七は風応を天変地異が襲うことを知る。だが、敵である風応にそのことを伝えに行けば裏切り者として処刑される。そこで、弥七は誰にも気づかれぬよう牟誇崎台に登り、そこで歌を歌った。歌声は対岸の女、忍野の元に届き、忍野は天変地異を知る。風応の民は、忍野の指示に従い避難したため、天変地異を避けることができた。城主の手前、敵陣である呼水に感謝の念を伝えに行くことができなかった風応の民は、湖を渡る歌声でその想いを伝えたと言う。
この逸話から、両町の町民は、小さい頃から歌を歌うことを大事にしていた。
牟誇崎台の合唱は、純粋に歌を楽しむ催しのはずであった。しかし、いつの間にか歌うだけでは飽き足らなくなり、ここでもやはり優劣を付けるようになる。
そして、ここ何年間かは風中の勝利が続いていたのだ。
「ちょっ、なんで、学級委員が合唱曲を決めなきゃならないんだよ」
光吉が文句を言う。
光吉は野球部の4番。譲吉はバレー部のエース。小さい頃から歌には慣れ親しんできたものの、どんな歌がいいかなんて知識はまるでない。たまたま学年の学級委員になっていたので、合唱曲を決めるメンバーになってしまっただけ。
「麻耶も遥果も合唱部なんだから、2人で決めりゃいいのにな」
と譲吉も同意する。
「まあいいさ。これでマサは、麻耶ポイントかせいだもんな」
と光吉。
「なんだよ、その麻耶ポイントって」
と正臣が、光吉に聞く。
「隠すなよ。お前が麻耶のこと好いてることぐらい分かってるんだぜ」
「ああ?」
正臣は知ったかぶりしたが、顔に出た心の動揺は隠しきれない。
「まあな。天体部の宇宙オタクでいるよりは、やっぱり女の子のケツ追い掛けている方がマサにはあってる」
「俺は、どんな女ったらしなんだよ」
譲吉の言葉を受け流して、正臣は麻耶のことを2人からうまくはぐらかした。
たしかに、正臣は、1年の時から麻耶のことが気になっていた。何でもハキハキとして、誰にも分け隔てなく接する爽やか女子。それだけだった存在に、2年になった時には心のほとんどを占められてしまっていた。正臣にとっては、初恋だった。だが、この狭い町じゃ2人並んで歩いていればアッと言う間に噂になる。この気持ちをどう伝えたらいいか分からないまま、ふと気付けば中学3年になっていた。
譲吉と光吉とは、小学校からの腐れ縁。体育会系の2人に対して、正臣はバリバリの文科系だったが、なんとなくいつも3人つるんでいた。実は、小学校のときにはもう一人、泉剛志がいた。4人そろってバカばっかりやっていたので、4バカカルテットと呼ばれていたが、剛志は、小学校卒業間際に風応町に引っ越し、今は風中野球部のピッチャー。リトルリーグでは光吉とバッテリーを組んでいたが、光吉と剛志は、いまや敵同士になってしまった。
中学になって剛志が欠けた4バカカルテットは、3バカトリオになってしまった。
部活がない時は、たいてい3人は一緒の行動をしていた。
テスト期間で部活がなかったため、一緒に帰宅しようと昇降口で靴を履き替えている3人の前を、見慣れぬ女子が先生に連れられ職員室の方に歩いていった。
3人は思わず見とれてしまった。
「・・・・あれ、誰?見た事ねえよな?」
「転校生?」
その女子が、廊下の角をまがったのを確認すると、光吉と譲吉が言った。
3人はお互いの顔を見合った。
この街の中学生には絶対いないような清楚な雰囲気を纏っていた。
「なんか、・・・白かったな」
妖精というのが現実にいるならあんな感じ。
そう思わせるほど彼女の美しさは人間離れしていた。
翌日、3人は、正面からその女子の顔を拝むことになった。
黒板の前に立つと、なおさら白さが目立つ。
肌も白いが、その輝きのようなものがまぶしさを際立たせていた。
そう、人はそれをオーラと呼ぶ。
「榊原みどりさんだ。今日からみんなと勉強することになる。・・・榊原さん、自己紹介はできるかな」
先生が、みどりの顔を覗き込む。
みどりは、その先生の期待に応えようと、少しうつむき加減で、口をわずかに開けた。
だが、赤く形のいい唇は、小刻みに震えるばかり。
開きかけたその口から言葉を発することはなかった。
しばらく、様子を見ていた先生は言った。
「よし、もういい。皆も分かったと思うが、榊原さんは、原因不明の症状で言葉を発することができない。コミュニケーションを取るのは難しいと思うが、みんな協力しあって彼女を助けてやって欲しい」
妖精のようなオーラを放つ美少女。
どんな可愛らしい美声が聞けるのかと期待したが、彼女は声を発することができなかった。