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手紙(三枚目)

 お父さん、お母さん。

 ふたりには、心から感謝の気持ちでいっぱいです。


 泣き虫だった私を、いつも抱きしめてくれてありがとう。

 忙しいなか、たくさん遊びに連れて行ってくれてありがとう。

 毎日おいしいお弁当をつくってくれてありがとう。

 家計にそれほど余裕があるわけではないのに、東京の私大に行かせてくれてありがとう。

 おしゃべりの下手な私の言葉に、耳を傾けてくれてありがとう。

 つらいときも悲しいときも、いつもそばで見守ってくれてありがとう。

 こんな私を愛してくれて、ここまで育ててくれて、ありがとうございます。


 だけど、それよりもっと、あふれてやまない想いがあります。


 人見知りが激しく、臆病で、人前でおどおどしてばかりの娘でごめんなさい。

 いつもひとりぼっちでいたことで、心配をかけてしまってごめんなさい。

 授業参観や面談で、悲しい思いをさせてしまってごめんなさい。

 クラスメイトとうまくやれなくて、ふつうの楽しい学校生活を送れなくてごめんなさい。

 卒業アルバムの寄せ書きのページを、真っ白なまま持って帰ってしまってごめんなさい。

 私が地元に残ることを望んでくれていたのに、逃げるように上京してしまってごめんなさい。

 花嫁の手紙を読んであげられなくてごめんなさい。

 孫の顔を見せてあげられなくてごめんなさい。

 当たり前の幸せを、つかむことができなくてごめんなさい。


 お父さんとお母さんが、私に多くを望んでいなかったことはよく分かっています。いい大学を出たり、有名な企業に入ったり、なにか偉業を成し遂げたり、そういったことを私に望んだことは、一度もなかったでしょう。

 でも、生まれたばかりの私の顔を見たとき、きっとふたりは願ってくれたのではないかと思うのです。

 楽しい学校生活を送って、やさしいひとと結婚して、ふたりくらい子どもを産んで……平凡でいいから、 たくさんのひとに愛される、幸せな人生を歩んでほしいと。


 それさえもできずに、ひとりきりのこの部屋に安らぎを覚える私は、ここに存在してもいいのでしょうか。

 由乃が元気に暮らしているだけでいいのだと、きっと言ってくれるだろうふたりに、甘えてしまってもいいのでしょうか。

 私はもう、死にたいとは思いません。ふたりの存在は、私にとって唯一の心の支えで、私をこの世界につなぎとめる枷でもあるのでしょう。

 けれども、不慮の事故や病気で、みんなに惜しまれながら亡くなったひとの話を聞くたび、思ってしまいます。そのひとの命と、三十年以上前に生まれ落ちた私の命を、入れ替えることができればいいのにと。そうでなくても、私が初めからこの世に存在しなかったことにできたなら、どんなにいいだろうと。そして、とてもやりきれない気持ちになります。

 私にも、幸せなときは確かにありました。

 いまでも思い出せます。温かい夕飯が並んだ食卓を、私とお父さん、お母さんの三人が囲んでいます。私は今日小学校で習ったことを得意げに話していて、お母さんは笑ってそれを聞いてくれているのですが、お父さんはテレビの野球中継に夢中になっています。せっかくひさびさに早く帰ってきてくれたのだから、もっとお父さんにも話を聞いてほしいのに、と私はむくれて、でも、一緒にお風呂に入ろうと誘われて、すぐに機嫌を直します。お風呂から上がったら、お母さんが入れてくれたミルクティーを飲んで、そしてふかふかの布団にくるまって、明日は友達よりたくさんなわとびが跳べるといいな、なんてたわいのないことを考えているうちに、眠りに落ちていって……

 どうしてなのでしょう。こんなにはっきりと思い出せるのに、私はあのころの私には、どうやっても戻れないのです。

 だから、お母さん――私を産んでくれてありがとうと、言ってあげられなくてごめんなさい。

 そのことがいまいちばん、私の胸を締めつけています。


 お母さん、今度私が帰省したときは、一緒にお買い物に行きましょう。最近ぜんぜん自分の服を買っていないと聞きますから。年相応なんて考えなくていいんです。気持ちが明るくなるような、華やかですてきな服をプレゼントさせてください。

 お父さんとは、お父さんの行きつけのお店に、ふたりでお酒を飲みに行きたいです。私が成人したとき、これで由乃と飲みに行けるなぁ、と言ってくれたのに、結局一度も実現しませんでしたものね。私はお酒には詳しくないので、お父さんのおすすめを、いろいろ教えてくださいね。

 そして、もし今後ふたりになにかあったら、駆けつけます。すべてを捨て置いてでも、必ず駆けつけます。だから、どうか私を許してくれるでしょうか。

 こんな娘ですが、ふたりのことを愛しているし、幸せであってほしい――

 ほんとうに、心からそう願っています。

幸せとはこうあるべき、という世間一般の価値観や思い込みが、

ひとを幸せから遠ざけてしまうこと、ままあるんじゃないかなあ…と思います。

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