穏やかな日々
郷里の母から今週も電話があった。
内気で心配性で、少し寂しがりやなところのある母は、なにかにつけて私の声を聞きたがる。
だけど、私たちの会話に広がりはない。
私は就職してからこのかた、地味でなんの代わり映えもない生活を送っているし、趣味もなければ交友関係も狭い母の生活も、やはり似たようなものだろう。
「おじいちゃん、だんだんわからんくなってるわ。こないだなんか、私が訪ねてったら、じいーっとひとの顔見て、どちらさんですかって。昔はしっかりしたひとやったのに、悲しいもんやねえ」
「お父さんはもう、毎日毎日、なんもせんとテレビばっかり見て。私よりテレビに向かって話してる時間のほうが長いぐらいやわ」
母の話の大半は、定年退職して以来、一日中家にいながらなにもしない父のことや、認知症が進み始めた祖父のこと。そしてときどき、親戚の近況が話題に上がる。
「志保ちゃん、大学受かったんやて。K大の工学部。末っ子で甘えん坊やったのにねぇ。大きゅうなって」
年の離れた親戚の話なら安心して聞ける。
それよりも、私の心を波立たせるのは――
「理沙ちゃん、二人目できたんやって。上の子はもう三歳やろ。つい最近生まれたと思っとったのに、早いもんやなぁ」
当たりさわりのないあいづちを打ちながら、私はまたひとつ、胸に小石が積まれた重みを感じる。親戚や職場の後輩など、身近な女性の結婚、出産……その知らせを受けるたび、小石の数は増えてゆく。ひとつひとつは大した重みではないけれど、決して取り去られることのないそれらは、年を追うごとに私の胸を圧迫する。
通話が終わると、私は携帯を閉じ、小さくため息をついた。
あれこれと考えてしまいそうになるのを抑え込むように、今日、仕事帰りに買ったアッサムの茶葉のことに意識を持ってゆく。さっそく開けて、今晩はミルクティーを淹れよう。
ソファに腰を下ろし、ティーカップを口につける。ひとくち飲むと、ほんのりとした甘みが口のなかに広がる。ゆっくり飲み進めると、体全体にやさしいぬくもりが伝わり、心がほぐれる。
ふと、テレビ台横のディスプレイラックが目に入る。そのまま視線が吸い寄せられる。小説や小物を収めたそのすみに、引き出物のカタログの背表紙。先週、同じ職場の男性の結婚式に出席したさい、もらったものだ。
どうしてだか、涙をこらえながら手紙を朗読する、花嫁の姿が頭に浮かんだ。そして、ぼんやりと考えた。もしも私が両親に手紙を書くなら、どんな内容になるのだろうと。そんな予定もないのにばかばかしいな、なんて苦笑交じりに思いながら。