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第三話 交わるとか交わらないとか?

 ファティマはイドリース二世に微笑んだ。


「油断しちゃ駄目だよ、王様。これは、このフェズの街を見出したといわれる王家の秘宝、イドリースの鎌だろ? 王様が鎌なんて持っていたら、どうしても関連性を疑っちゃうよ。違っている可能性も考えたけど、その王様の顔を見る限りだと、ずばりみたいだ」


 ファティマはずっしりとした鎌の重さを感じ取る。


「曲芸師は手癖が悪いのが売り物だしね。これで食い扶持繋いでいるんだから、責められてもね。もしかして、お偉い人は、貧しい人の、たったひとつの持ち物すら奪おうとしているのかな? 唯一の余裕がなくなっちゃうよ、勘弁してよ」


 ファティマの笑みに、どうしてかイドリース二世の顔が強張った。


「私が心配しているのは、ここまで察しちゃっている私を、君たちが大人しく見逃すかな、ということ。王様が鎌を持ち出しているのを目撃しちゃっているんだもの。殺されても文句は言えないよね、君たちからしてみたら」

「ふざけるな!」


 イドリース二世の声に、ファティマは笑うのをやめた。訝しいと感じて、彼を見る。


「俺はそんなことをしない! 隠れて貴様を殺すようなことなど! もし殺さなければいけない状況だとしたら、今、この場で、正々堂々と貴様を殺す!」


 凄まじい眼力に、笑おうとした感情すら潰される。惚けた表情で、ファティマはイドリース二世をまじまじと眺めた。


「殺すに正々堂々もあるんだ、と呆れちゃっているんだけどね、私は」


 ファティマはアリーを一瞥した。アリーは目を閉じている。


「だってさ。そんな王様の意向も『断ります』なわけ?」


 目をゆっくりと開けたアリーは、低い声を発した。


「貴様に何かするつもりはない。約束するから、鎌を王に返せ」

「へえ、素直なんだね。そんなにこれが大事?」


 ファティマは頬に風と熱を感じた。一瞬だった。アリーが懐から短刀を取り出して、ファティマの首から頬に向けて突きつけてきたのだ。イドリース二世が顔色を変えて、怒鳴る。


「アリー、俺は許さないぞ、絶対にだ!」


 イドリース二世を一瞥したアリーは、這うような声音でファティマに告げた。


「……王を怒らせることが、おまえの狙いか?」

「私は単純に、自分にとって危険のある可能性を潰したかっただけ。他意はないよ」


 アリーは、ファティマから、身を離す。


「この流れに持って行ったおまえの言葉に対して、賞賛を送ろうか。断じておまえ自身ではない、勘違いをするな」

「褒めるよりも命の保証がほしいかな、この場合は。はい、王様!」


 ファティマは器用に腕だけ動かして鎌を王へと放り投げた。イドリース二世は鎌を受け取ると、顔を険しくさせて、激しい感情を露わにした声を発する。


「安心しろ、貴様の安全は俺が保証する。アリーも、こいつには手を出すな。いくらアリーとはいえ、許さないからな!」

「人を拾ってくるのは、子猫を育てることとは大違いであることを、あなたは教育するべきかもしれませんな。……いいでしょう。但し、何かあった場合は、次こそは必ず私の言うことを聞いて頂きます」

「かまわん、好きにしろ」


 イドリース二世とアリーの間に、ぎこちない緊張感が漂う。ファティマはそんなふたりの間に割って入れず、沈黙して嘆息するしか術はなかった。ファティマと二人きりで話がしたと譲らないイドリース二世に折れたアリーは、二人のためにひとつの部屋を用意した。扉の前には、何かあったときのために衛兵まで用意している徹底ぶりだ。信用されていないのはわかっていたが、それでも二人きりにさせてくれるアリーに、ファティマは不思議な気持ちを感じていた。

 王に甘いのか。いや、先ほどのやり取りを見るに、単純にそう片付けることができない。二人の間には、他人であるファティマでは知ることのできない関係が築かれているように見えたのだ。

 用意された部屋に入り、イドリース二世と二人きりになって、ファティマはその場に流れている何とも言えない空気を誤魔化すために、すぐ近くにあった柔らかそうな椅子に座った。立ったままの彼に向かって話しかける。


「しかしわからないな、どうしてそこまで私にこだわるのかな。確かに私は身よりもないし、私ひとりいなくなったところで誰も気にもとめないし、扱いやすい存在ではあるけれども。私が駄目ならば、また次の人間を用意すればいいわけだしね」

「自己保身のために自分を卑下するな。逆に痛々しい」


 イドリース二世の鋭い言葉にファティマは無言になる。


「……俺は、つい最近まで貧困層のことを知らなかった」


 イドリース二世は少しだけ俯いて告げる。


「貴様ら曲芸師は、好きでやっているものとばかり思っていた」


 ファティマは自分に置き換えて考える。ファティマも、別に曲芸が嫌いというわけではない。むしろ人から注目を浴びることは好きだ。だから、慎重に言葉を選んで答える。


「好きでやっているものもいると思うよ? その好きという感情が、状況に流されてのものなのか、純粋に自分の心から生まれてきたものなのか、人によるだろうけど」


 状況に流されて、辛い気持ちを覆い隠すために順応したゆえの『好き』が多いだろうと、言葉に出さず、心中で続けた。


「俺は昔、幼い頃、貴様らを見たことがある」

「へえ、それで? それで私たちに興味をもって、後々になって同情したから、適当にひとり声をかけてみたと?」


 イドリース二世はファティマの言葉に、僅かに顎を持ち上げた。


「自分を卑下するな、と先ほど言ったはずだが? だが、その言葉は否定しない」

「君は本当に不思議な人だね」

「それをいうなら、貴様もな。俺を王だとわかっていて、まさかそのままの口調でいるとは思わなかった」

「当然だよ。だって、とくに何かを大事にしているわけでもない私にとって、王様という身分がそこまで重要なものなのか、理解できないだけさ。正直、この部屋を出た瞬間に殺されても仕方ないと思っているしね。死にたくないけど」

「わかっている。だから、アリーに貴様を小姓として、俺自ら紹介する予定だった。あんなに早く本人と出くわすとは思わなかったが」


 ファティマはそれを聞いて、笑いながらも、頬を引きつらせた。


「本当に私を小姓にする気? 小姓にして、何をする気なのさ」

「これだ」


 イドリース二世は、持っていた鎌を見せつけてきた。鈍い光沢を放つ鎌は、繊細な様子を感じさせる。硬い石の壁を打ち砕くことのできる刃だとは到底思えなかった。


「これが、このフェズの地域を見出した事実は知っているか?」

「知っているよ、イドリースの鎌。昔の王朝、ウマイヤ朝時代の正当後継者に受け継がれるといわれる不思議な力を持つ秘宝。先代がアッバース朝に戦いを挑んだとき、厳しくも破れたのちに、無事逃げおおせることができたのは、その秘宝の力のおかげだと云われているよね」

「そうだな、その事実は嘘であり、真でもある」


 イドリース二世の勿体ぶった言葉に、ファティマは苦笑した。


「そんな逸話、本当でも嘘でも、貧み……」


 言いかけて、イドリース二世に睨まれてしまったので、慌てて言い直す。


「私には関係のないことだけど?」

「これから関係を持たせるつもりだ。……イドリースの鎌は、確かに高尚なる血族を受け継ぐものであれば、その力を使いこなすことができる。何でも願いを叶える。その力は、強大だ。だが、制約がある」


 ファティマは、頭に巻いた布のずれを直しながら、返答した。


「そうだろうね。何でもかんでも願いを叶えることができるのであれば、周辺諸国を全て支配して、強大な国を作り上げているに違いないし。それができないというのであれば、それなりの理由があるんだろう。それで? 制約って何かな? 私がそれを知ることで意味はあるの?」


 ファティマは、言いたいだけ言っているが、内心、すごく不安を覚えていた。王の立場である人間が、ここまで見ず知らずのものに、王家の秘宝の秘密を明かしているのだ。聞かないほうがいいに決まっていた。だが、ファティマにはその選択肢はなかった。アリーがいれば、まだ彼を利用して、どうにか対策を練れたかもしれないが、こうして二人きりにされると逃げ場が完全に防がれていることを認識せざるを得ない。聞きたくない、といっても聞かせるだろうし、それに聞いてしまえば自分の身に危険が及んでしまうだろう。

 諦めてしまおう、と思った。

 そうすると、清々しい気持ちになる。そもそも、最初から貧民が王と同じ立場に立とうというほうがおかしいのだ。わかっていたからこその、敬語を伴わない口調だし、相手を王と敬わない態度である。そんなことをしたところで、自分のような小さな人間には立ち向かうことなどできはしない。自分の身を弁えているからこそ、である。


「交わることだ」


 イドリース二世の言葉に、ファティマは笑みをやめた。思い切り低い声音で聞き返す。


「何だって?」

「人と交わることだ。そうして願いを口にしながら、交わったものに対して、この鎌で斬りつけることで、望みは叶う。効果のほどは、相手の心に依存する。相手の心が貧弱であれば、その程度の効力しか発現せん」

「な、何だって?」

「聞こえなかったのか? 人と交わることで」

「あ、ああ、もういいよ、おしまいにして、そこで止めて。少し考えさせて」


 ファティマは頭を抱えた。再度、イドリース二世の言葉を反芻する。交わる、言葉通りの意味で考えていいのだろうか、それとも深い意味があるのだろうか。聞いてみるしかないのだろうか。制約と聞いて、第三者の命を生け贄にでもして、その対象が自分自身なのかもしれないくらいは、最悪の状況を想定していたが、この展開は頭になかった。けれども、いつまでも現実逃避しているわけにはいかないので、考えを切り替えて、ファティマはイドリース二世に尋ねた。


「斬りつけるってどういう意味?」

「おまえをこの鎌で傷つけることだ」

「よし、わかった」


 ファティマは目を閉じて沈黙した。大きく息を吸い込む。


「交わるってどういう意味?」

「試してみるか?」

「試さなくていい」


 即答だった。自分でも驚くほどだった。

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