元年 葉月 虫のもの
暑さが重い。
朝から空気が動かぬ。
寺の境内の石も、
昼になるころには
手を置けば熱い。
蝉の声も
文月より少し弱くなった。
それでも鳴いている。
鳴く間に
秋の風が混じり始めている。
寺の裏から村を見ると、
荒屋が一つ増えていた。
囲炉裏の煙が
上がらなくなった家だ。
煙の出ぬ家は
遠くからでもわかる。
屋根の茅が
黒く燻されぬからだ。
煙は
屋根を守る。
虫を追い、
茅を長持ちさせる。
人の住まぬ家は
煙が消える。
煙が消えれば
屋根に虫が入る。
三年もすれば
梁が弱る。
五年もすれば
壁が落ちる。
家というものは、
人がいなければ
すぐ死ぬ。
村の家は
それほど多くない。
それでも
毎年少しずつ
灯りが減る。
戦で減る。
飢えで減る。
あるいは
町へ出て戻らぬ者もいる。
理由はいくつもあるが
結果は同じだ。
人がいなくなる。
昼過ぎ、
小僧どもが
荒屋の前を通った。
一人が言った。
「ここ、誰の家だった」
もう一人が言う。
「忘れた」
子供というものは
忘れるのが早い。
それは
良いことかもしれぬ。
覚えすぎると
人は前に進めぬ。
夕方、
村の男が寺へ来た。
荒屋になった家の
隣の者である。
「屋根が落ちそうでな」
人の住まぬ家でも
隣には迷惑になる。
風で崩れれば
自分の家に当たるからだ。
村の男が
屋根の茅を少し落としていった。
これで
しばらくは持つだろう。
人がいなくても
家はしばらく残る。
だが
長くはもたぬ。
人の暮らしが
入らぬからだ。
夜、
寺の裏から村を見る。
灯りが
いくつかある。
煙も
いくつかある。
その数は
去年より少し減った。
わしは思う。
人が消えると
家は
すぐ虫のものになる。




