元年 水無月 流れ
雨が止んだ。
皐月の終わりから続いていた雨が、
ようやく空を軽くした。
だが川はまだ濁っている。
寺の裏の坂を下りると、
流れは相変わらず速い。
水は茶色く、
枝や草を巻き込みながら下へ走っていく。
昨夜、川に流された者がいた。
村の男である。
堤を見に行った帰り、
足を滑らせたらしい。
夜の川は暗い。
一度落ちれば、
人の力ではどうにもならぬ。
朝になって、
下流で見つかったという。
村の男たちが
何人も川沿いを歩いていた。
黙って歩いている。
誰も大きな声を出さない。
水は、まだ多い。
昼頃、寺に人が来た。
流された男の家の者である。
顔は青く、
言葉も少ない。
「和尚、経を……」
そう言われれば、
断る理由はない。
仏の前に座り、
短く経を読んだ。
長く読んでも、
短く読んでも、
死んだ者が戻るわけではない。
それでも人は、
何かをしないと落ち着かぬ。
村では、
こういう時の話がすぐ出来る。
「あの者のおかげで堤が守られた」
誰かがそう言った。
それが本当かどうかは、
誰にもわからぬ。
川に落ちた場所と
堤の場所は
少し離れている。
だが村では、
そういうことにしておく。
そうしておけば、
その家は村で肩身が狭くならぬ。
ただの不運より、
役に立った死の方が
残された者は生きやすい。
夕方、寺の裏から村を見た。
男たちが
まだ堤を見ている。
流された男の家の前には
灯りがついていた。
人が死ぬと、
しばらくは人が集まる。
だが時が過ぎれば、
また元の家に戻る。
村とは
そういうものだ。
囲炉裏の前で
小僧どもが飯を食っている。
数えてみると
九人いる。
誰かが増えたわけではない。
ただ
一人多く感じるだけだ。
死人というものは、
生きている時より
役に立つことがある。
人の世とは、
そういう勘定で
出来ているらしい。




