元年 如月 大根
米が減った。
冬というものは、
何もしなくても飯だけは減る。
囲炉裏の前で小僧どもが飯を食っている。
数えてみると、八人いる。
坊主は一人。
寺というより、
どう見ても食堂である。
米櫃を開けてみた。
底が見えている。
米というものは、
減り始めると早い。
秋に山のようにあったものが、
気がつけば桶の底を叩く。
人の腹というものは、
なかなか遠慮を知らぬ。
小僧の一人が聞いた。
「和尚、春はまだか」
「まだだ」
そう言うと、小僧はため息をついた。
春になれば田が始まり、
少しは飯の当ても増える。
だが今は、
冬の一番底の時期である。
寺の門を叩く音がした。
村の百姓が大根を二本持ってきた。
「和尚、これで勘弁してくだされ」
何の勘弁かと言えば、
仏様の前で経を読んでくれということだ。
誰かが病を患ったとか、
畑の神様に願をかけたいとか、
理由はいろいろある。
わしは大根を受け取った。
「経なら読む」
百姓は安心した顔をする。
米の代わりに大根。
時には干し菜。
時には味噌。
寺の暮らしというものは、
だいたいそういう勘定で出来ている。
仏の力というより、
物々交換である。
昼になると小僧どもが大根を切り始めた。
味噌汁にするらしい。
包丁の使い方はまだ危なっかしい。
太いのや細いのが鍋に入る。
それでも煮れば同じである。
鍋の匂いが境内に広がると、
小僧どもの顔が少し明るくなった。
人というものは、
腹が満ちれば少し機嫌が良くなる。
これは大人も子供も変わらぬ。
食いながら、小僧の一人が言った。
「和尚、俺は戦で父を亡くした」
もう一人が言った。
「俺の父は帰ってこない」
違いはあるのだろうが、
わしにはよくわからぬ。
死んだのか、
帰れないのか。
村ではどちらも似たようなものだ。
帰らぬ者の家では、
いずれ畑が荒れる。
畑が荒れれば、
そのうち家も荒れる。
人が減れば、
村も少しずつ小さくなる。
夕方、囲炉裏の火が静かになった。
小僧どもは腹いっぱいになると、
すぐ眠くなる。
八人並んで転がっている。
寺の床は、
まるで雑魚寝の宿である。
わしは米櫃をもう一度見た。
やはり底が見える。
春まではまだ遠い。
それでも寺には小僧が八人いる。
飯は減る。
だが追い返すわけにもいかぬ。
坊主というものは、
だいたい損な役回りである。
仏より先に、
飯の心配をしている。
だが世の中、
そういう坊主でも
少しは役に立つらしい。




