元年 大晦日
雪が静かに降っている。
朝から降り続いて、
寺の屋根も、境内の石も、すっかり白くなった。
年の終わりだからといって、
特別なことは何もない。
それでも――
暮れというのは
筆を走らせるものだ。
ものぐさ者のわしでも
筆がよく滑る。
だから今日は、
少しばかり長く書くことにする。
小僧どもは朝のうちこそ外で騒いでいたが、
昼を過ぎるころには寒さに負けて
囲炉裏の前に戻ってきた。
火のまわりに丸くなっている。
猫のようなものだ。
冬の寺では、
火のある場所が一番偉い。
小僧どもは自然とそこへ集まる。
わしも同じである。
餅はもう無い。
正月の餅は、
明日になってから村でつく。
寺にはそのおこぼれが回ってくる。
坊主というものは、
だいたいそういう仕組みで生きている。
昼過ぎ、寺の門を叩く音がした。
村の者が、暮れの挨拶に来たらしい。
手には少しばかりの土産がある。
干し芋と、
干した野菜だ。
どちらも大した物ではない。
だが冬の寺にはありがたい。
「和尚、今年も世話になりました」
そう言って、頭を下げて帰っていく。
世話になったのは、
こちらの方だろう。
寺の暮らしというものは、
村の者の世話で出来ている。
米をもらい、
野菜をもらい、
ときには味噌ももらう。
その代わり、
仏の前で経を読む。
世の中というものは、
だいたいそういう勘定で出来ている。
干し芋を少し刻み、
干し野菜と一緒に鍋へ入れた。
囲炉裏の鍋の中には、
大根と雑穀の粥が入っている。
そこへ芋が入るだけで、
少し豪華に見えるらしい。
小僧どもが鍋をのぞいている。
「和尚、今日は何が入る」
「芋だ」
それを聞くと、
小僧どもが少し喜んだ。
人の腹というものは、
案外単純である。
九つの椀を並べる。
坊主は一人。
小僧は九人。
寺というより、
相変わらず食堂である。
粥をよそる。
湯気が立つ。
小僧どもは椀を抱えて
ふうふうと息を吹いている。
一人が言った。
「今日は粥が立派だ」
どうやら本気でそう思っているらしい。
芋が入るだけで、
粥は少し立派になる。
それだけのことである。
それでも小僧どもは
満足そうに食っている。
飯を食い終えると、
火の前で眠り始める者が出てくる。
年越しという言葉も、
子供には関係ないらしい。
囲炉裏の火が小さくなる。
薪を一本くべる。
火は人を守る。
煙は屋根を守る。
冬になると、
そのことがよくわかる。
夕方、寺の裏へ回る。
村を見るためだ。
白い田の向こうに、
茅葺きの屋根が並んでいる。
その上から、
細い煙がいくつも上がっていた。
わしはそれを数える。
煙のある家は、
まだ人が住んでいる家。
煙の出ぬ家は、
いずれ荒屋になる。
一つ
二つ
三つ
……二十。
今年の睦月と同じ数だ。
今年は、
新しく荒屋になった家はない。
それなら、
悪くない年だったのだろう。
戦国の世では、
減らぬ年が
良い年である。
夜になるころ、
寺の鐘をついた。
雪の中で鳴る鐘は、
音が遠くまでよく響く。
一つ。
少し間をおく。
また一つ。
村の方でも
この音を聞いているのだろう。
だが囲炉裏の前では、
小僧どもがすっかり眠っている。
鐘の数など、
どうでもよいらしい。
寺の裏へ回り、
もう一度村を見る。
煙はまだ上がっている。
二十。
去年と同じ数。
それなら、
まずは十分だろう。
来年も
この煙が残ればよい。
それだけで、
村は生きていける。
寺へ戻る。
囲炉裏の前では、
小僧どもがすっかり眠っている。
九人。
春には八人だった。
途中で二人減り、
三人増えた。
寺というものは、
人を減らすのがなかなか難しい。
雪はまだ降っている。
年が変わる。
だが村の暮らしは、
たぶん明日も同じだ。




