元年 神無月 支度
朝の霧が深くなった。
寺の裏山も
しばらくは白く霞んでいる。
日が上がるころ
ようやく田が見えてくる。
村では稲刈りが始まった。
朝早くから
鎌の音がする。
しゃり
しゃり
乾いた音が
風に混じって聞こえる。
田には
男も女も出ている。
子供もいる。
刈った稲を束ね、
畦に並べる。
それを
また別の者が運ぶ。
稲というものは
植える時より
刈る時の方が忙しい。
一年の仕事が
ここに集まるからだ。
昼頃
小僧どもが戻ってきた。
雀追いに行っていたらしい。
「米の匂いがする」
そう言っている。
田の米は
まだ飯にはならぬ。
だが
乾いた稲の匂いは
確かにする。
あれを嗅ぐと
人は少し安心する。
今年は
どうやら実りそうだと
思うからだ。
夕方
村の長老が寺へ来た。
囲炉裏の前で
腰を下ろしている。
「今年は持ちそうだ」
そう言った。
持つ、というのは
冬を越せるという意味だ。
米があれば
人は冬を越せる。
なければ
越せぬ。
それだけの話である。
だが
長老は続けて言った。
「役人も来る」
それもまた
秋の決まりごとだ。
米の匂いがすると
役人はよく来る。
戦の兵も
よく来る。
どちらも
米を運ぶ仕事は
しない。
だが
米を持っていく仕事は
とても早い。
夜
寺の裏から田を見る。
刈られた田が
黒く広がっている。
昼まであった稲が
もうない。
人の一年というものは
あの田のようなものだ。
長く育てて
あっという間に
刈り取られる。
囲炉裏の前で
小僧どもが
芋粥を食っている。
今年は米があると
皆言っている。
だが
米はまだ
村の蔵にあるわけではない。
田から家へ。
家から蔵へ。
蔵から役人へ。
米というものは
人の腹に入るまで
ずいぶん旅をする。
わしは思う。
米は
人のために実る。
だが
人の腹に入るとは
限らぬものらしい。




